琥珀色の戯言

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【読書感想】陰謀論と排外主義 分断社会を読み解く7つの視点 ☆☆☆☆

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。




Kindle版もあります。

日本社会において陰謀論と排外主義を内包する政治運動が急速に拡大している。
2020年の米大統領選前後に始まった反ワクチン系運動は、レイシズムや極端なナショナリズムを伴いながら国内で定着し、2024年には1万人規模のデモが複数回開催されるなど、その勢力は可視化された。それ以降も、それまでデモに縁がなかったような層が、「財務省反対デモ」など陰謀論ベースのデモを行っている。
その陰謀論界隈に、外国人差別を訴える排外主義が合流し始めて、急速にその勢力を強めている。
なぜこんなことになったのか? この現象はどうした結果を招くのか?
本書は、そうした陰謀論デモや排外主義の現場で取材を続けていた執筆陣を招聘。それぞれの視点から、この現象を「陰謀論ブーム」、「排外主義ブーム」として捉え、特定の政党に留まらない、より広範な現象として多角的に分析。地方議会を舞台にした極右系団体の本格参入、泡沫候補の演説に見る“共闘”や排外主張の流行、さらには「財務省解体」など反グローバリズムを掲げる新勢力の台頭に至るまで、現場取材を通じて浮かび上がった実態を明らかにする。


僕が子どもの頃、『ノストラダムスの大予言』がブームになり、1999年に「恐怖の大王」がやってきて人類は滅亡する、その「恐怖の大王」とは核戦争のことではないか、と言われていたのです。

当時の大人が本気で信じていたのかどうかはわからないけれど、僕たちはけっこう本気で、「自分たちは30歳までは生きられないのか……勉強とか、する意味あるのかなあ……」とか言い合っていたものです。

そんななか、大学生のときに「と学会」の人たちが、ノストラダムスの大予言の矛盾や疑問点にツッコミを入れた本を読んで、安堵したのを覚えています。

30歳どころか、50歳をも越えてしまった僕は、あの頃を振り返って、「なんであんな『予言』を信じていたんだろう?」と苦笑したくなるのですが、当時はアメリカとソ連の冷戦が続いていて、核戦争もかなり現実的なリスクではあったのです。

現在、2020年代でも核兵器そのものは地球の人類を何度も絶滅させて余りあるくらい存在していることを考えると、むしろ、いまの人類は核戦争のリスクについて、あまりにも楽観的すぎるのかもしれません。
ウクライナ戦争では、ロシアのプーチン大統領は、小規模な核攻撃の可能性にも言及していましたし、戦争で負けそうになった国は「死なばもろとも」みたいなことをやらないとはかぎらない。

アメリカのトランプ大統領支持者たちが「陰謀論」を信じ、トランプ大統領を救世主のように妄信しているのをみると、「この人たちはどうしてこんなにトランプ大統領を信じられるのだろうか、現実的にトランプ大統領になって、何かすごく良いことでもあったのだろうか」と疑問になります。

日本の参政党支持者たちもそうだし、高市早苗首相を熱狂的に応援している人たちもよくわからない。
高市さんの政権運営は、現時点では「予想していたよりも穏健なもの」で、少し安心はしているのですが、「もっと(排外主義的に)やれ!」みたいな声も僕が危惧していたより少ないんですよね。

石破茂前首相も「首相になる前に言っていたことを実行できていない」とさんざん批判されていましたが、石破さんの支持率は落ち続け、高市さんは、まだはじまったばかりとはいえ、高い支持率を維持しています。
「何をやるか」よりも「誰がやるか」で、判断してしまうのが人間なのかもしれません。
不祥事を起こした芸能人のように、一度そのカリスマ性が失われてしまうと、何をやっても叩かれるようになることもあるけれど。


前置きが長くなってしまいましたが、この新書は、陰謀論者、排外主義者、怪しい(危険な)新興宗教について長年取材・執筆してきた、黒猫ドラネコ、山崎リュウキチ、藤倉善郎、選挙ウォッチャーちだい、清義明、古谷経衡、菅野完(敬称略)の7名の論客が各1章ずつ、それぞれの取材対象について著したものです。


ウェブライターの黒猫ドラネコさんの章より。

 こうした(コロナ禍での極端な排外的、あるいは反ワクチンの)デモが気軽に開催されるようになってしまった世の中で、全国区の知名度にのし上がったのが参政党である。反ワクチン・陰謀論によって支持者を増やした政治団体は、2022年の参院選で約177万票を集めて比例区で現代表の神谷宗幣が当選を果たし、ついに国政政党になった。
 私は同年春頃から参政党のウォッチを始め、政治資金パーティ(大規模フェス)に何度も自腹で参加してきた。


(中略)


 神谷代表が壇上から「江戸時代こそ黄金期だと思っている」(2025年、ベルサール高田馬場での第6回フェス「飛躍」)と述べていたように、参政党が理想としているのはいつも「戦前」である。この「戦前回帰志向」は党員の間に浸透しており、党員らが全国から案を持ち寄って憲法をゼロから作る「創憲フェス」(2024年、永田町星稜会館)では、「今の6・3・3・4の教育ではなく、戦前のように小卒で働きに出たほうが多様な人生の選択がある」などの提案が飛び出すほどだった。
「日本人が敗戦によって抜かれてしまった大和魂、古き良き時代(彼らにとっての)を取り戻すのが参政党の役割なのだ」みたいな感じが大体のフェスを覆っている雰囲気である。もちろん国歌斉唱は必須。皆さんにも一度、体感してもらいたいぐらいの声量で参加者が歌う。余談だが、第6回フェスで壇上から君が代を歌ったのは「みんなのお母さん」となった塩入清香(2025年参院選で東京選挙区から初当選、選挙時の名前「さや」)だ。
 さまざまなフェスを見ていると、参政党が右派ポピュリズムそのものであることは一目瞭然だった。万事その調子で、そこに陰謀論がプラスされている。具体的であるようでない。実体が誰にも見えていないような「巨悪」こそが参政党が見ているもので、支持者を焚き付けるための「仮想敵」なのである。
 神谷代表が著した『参政党Q&Aブック 基礎編』(2022年刊行、青林堂)の中に、「参政党のメンバーが言う『あの勢力』とは何でしょうか」という質問がある。この質問に対する答えは「ユダヤ系の国際金融資本を中心とする複数の組織の総称です。彼らは欧米社会を実質的に支配して数百年前から日本を標的にしています」と書かれている。古典的なユダヤ陰謀論であり、中韓と欧米で違いはあるが、思想としては前述のトンデモ・デモと近いものがある。
 だから、参政党はそれらと戦う意気込みで「日本をなめるな×4」(2022年参院選最終日の神谷)みたいな演説を繰り返すのだ。「何か知らんけど巨大な外的要因が日本を苦しめているから、それに抗うためにみんなで団結するぞ! さあ一緒に「1、2、参政党──!(うおおお!)」
 読者の皆さんは困惑するかもしれないが、実際に現場に行くと、本当にこのような感じなのである。ただ、彼らはそういう側面をメディアの前ではあまり出さないだけなのだ。


そんなに江戸時代に戻りたいの?

政党や政治団体、宗教団体の「内側」に関しては、選挙の際などはとくに「報道の公平性」が強調されますし、取材する側も後難や圧力をおそれてなのか、このネット社会でも、外部から知るのは難しいのです。

僕の家のポストにもときどき参政党の候補者の選挙のチラシが入っていますが、こういうトンデモ主張はそこには書かれておらず、「日本人ファースト」「この地で生まれ育ち、地元が大好きで、家族のくらしを大事にします!」などという、フェスの内容よりは穏健で多くの人が共感しやすそうな内容でした。

正直、イスラエルのガザ攻撃に対する欧米の反応をみていると、「ユダヤ陰謀論」を信じてしまう人がいるのもおかしくはないな、とも思うのですけどね。

信じてしまう側は「愚かで、何も考えていない」わけではなくて、陰謀論でも信じないとやってられないほど現在の自分の状況に閉塞を感じていて、なんでもいいから「いまの秩序」をぶち壊してリセットしたい、のかもしれません。

この本に出てくる「トンデモ・ウォッチャー」たちにも温度差があって、陰謀論を主導する人たちにはみんな否定的ですが、「信じてしまう人たち」には一定の共感から冷笑的まで、さまざまな姿勢の取材者がいるのです。

この本で紹介されている「メディアではなかなか報道されない、インテリ層は眉をひそめてスルーしている陰謀論者たちの現場」は、大変興味深いものでした。
その一方で、世間から「あんなものを信じるなんて」と冷笑されることによって、内部的にはかえって結束を強めていく面もありそうです。
オウム真理教の信者たちや多くの新興宗教が、そうであったように。
「信じる」方向に針が振れてしまえば、「周りから批判されるのも、財産を喜捨するのも『神が与えた試練』」になってしまう。


『やや日刊カルト新聞』で新興宗教やスピリチュアル団体、反ワクチンなどを20年以上取材し、報じつづけている藤倉善郎さんは、こんな話をされています。

 私が現場で目にした中で象徴的だったのは、2024年2月に国会前で行われた「改憲反対デモ」(街宣)だ。自民党改憲案にある「緊急事態条項」が、パンデミック時に国民を統制しワクチンなどを強制することにつながる(その背後には日本支配を目論むWHOがいる)として、反ワクチンの陰謀論者たちが集まった。
 改憲反対と聞くと左派的なテーマ設定に思える。実際、「現在の日本国憲法を守れ」という立場からスピーチする人もいた。ところが、「日本国憲法は戦後にGHQから押し付けられたもの」とスピーチする登壇者もいた。改憲反対で一致はしていても、前出の「真正護憲論」のように、日本国憲法は無効である(だから改正という主張は受け入れられない)という立場の人もいたようだ。
 しかし、「日本国憲法を守れ」も「日本国憲法は戦後にGHQから押し付けられた」も、集会参加者たちから野次が飛ぶこともなく併存していた。右なのか左なのかさっぱりわからない。
 全体的に極右運動と捉えて差し支えないように思うが、集団の性格を理解するには、「極右集団」との断定を急がないほうがよさそうだ。運動の主目的においては、いわば「右も左もない、普通の陰謀論者」だったはずの群れが、時間の経過とともに排外主義の要素を肥大化させていったように見える。もちろんそれは、右派の活動家が関与してきたからであり、以前からあったレイシズムが盛り上がりを見せている(陰謀論政治運動にとっても人々を煽る上で都合が良いトレンドになっている)からだ。


いまの陰謀論界隈は、主張の内容を理解して信じている人たちよりも、陰謀論にハマりやすかったり、とにかく現状が不満という人たちを、どんな方法でもいいから自分が注目されたい、インフルエンサーになりたい、というイデオロギーなき教祖が煽ることによってできている「推し活」みたいな面もあるのです。
排外主義になった人が増えた、というよりは、推し活をしたい人にとって、いま、多くの人とつながれる人気のトレンドが「排外主義」になってしまっているようにもみえます。

アイドルとか鉄道とかを「推して」くれればいいのに、とか、つい考えてしまうのです。


藤倉さんは、長年の取材経験も踏まえて、「陰謀論、その論者との『対話』の可能性」についても書かれています。

 しかし、デマゴギーで熱狂する政治運動と、どんな対話が可能なのだろうか。


(中略)


 陰謀論や排外主義を社会的にどう扱うかという場面や文脈は、特定の個人への説得とは全く違う。批評の対象は個人ではなく、政治運動を行ったり、それを支持したり、煽られて漠然とした不安をいだいてしまう、不特定多数の人間の群れだ。そこで対話だの妥協だのを目指せば、一般の第三者に向けた「これはダメなものなので、真に受けてはいけない」といったメッセージが曖昧になる。特にメディアや言論人が、これを曖昧にしてしまってはまずいだろう。
 ましてや、デマや差別は、「意見や立場の違い」の問題ではなく、どこまでいってもデマや差別だ。対話で処理しようとすれば、「意見や立場の違い」の問題として扱うことになる。
 これらの対話不能な集団は、決して自然発生するわけではない。必ず、SNSなどで煽った人間がいる。デモや街宣ともなれば、警察への事前の届け出や相談が事実上必要な日本では、主催する人間がいない限り絶対に発生しない。


長年、「陰謀論者」と対峙してこられた藤倉さんの言葉は重いな、と思います。
僕も「相手の立場も考えて」と言いがちだけれど、デマや差別に関しては、たしかに「どこまでいってもデマや差別」であり、妥協や寛容は、集団の理性の決壊にしかつながらないのかもしれません。
そして、その末端にいる人たちをひとりずつ説得してもキリがない。
首謀者に切り込まないと、状況は変わらないのです。

とはいえ、「では、誰がその首謀者を『危険』と判断するのか」などの問題もあり、やっぱり難しいよなあ、と考え込んでしまいます。

7人の、さまざまな立場の著者によって書かれているがゆえに、読む側にも「面白さと困惑」がある本でした。


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