Kindle版もあります。
時代を映す鏡であった仕事「女給」を通し、
大正から昭和を生きた市井の女性の人生を描き出す。
『襷がけの二人」著者、心ふるえる最新作。東京・上野の片隅にある、あまり流行(はや)っていない「カフェー西行」。食堂や喫茶も兼ねた近隣住民の憩いの場には、客をもてなす個性豊かな女給がいた。竹久夢二風の化粧で注目を集めるタイ子、小説修業が上手くいかず焦るセイ、嘘つきだが面倒見のいい美登里を、大胆な嘘で驚かせる年上の新米・園子。彼女たちは「西行」で朗らかに働き、それぞれの道を見つけて去って行ったが……。大正から昭和にかけ、女給として働いた“百年前のわたしたちの物語”。
第174回直木賞受賞作。
近年の直木賞は、『地図と拳』『極楽征夷大将軍』のような歴史を扱った分厚い「大作」と『ツミデミック』『八月の御所グラウンド』といった「現代の日常をテーマにした、ボリューム的にも読みやすい作品」とに二極化している印象です。
この『カフェーの帰り道』は、どちらかというと後者寄りなのですが、大正から昭和のこじんまりとしたカフェを舞台にすることによって、「歴史によって翻弄される人生」と「時代が変わっても、人というのはそんなに変わらない」ということが浮き彫りにされていました。
僕はこの本を読みながら、大学時代の飲み会で、女性の同級生に「なんで医学部に行こうと思ったの?」と定型的な質問のつもりで尋ねたときのことを思い出したのです。
「人の命を救いたいから」「医学の進歩に貢献したいから」あるいは「やりがいがある仕事だから」
そんな答えを予想していた僕に、彼女はこう言ったのです。
「だって、女性で一生できる仕事って、医者か看護師か学校の先生くらいしかないから」
いまから35年くらい前の話です。
その時代、1990年代のはじめくらいでも、東京などの大都市に行けば、もっといろんな選択肢があったのかもしれないけれど、ずっと地方で生きていた当時の「女の子」にとっては、それが「現実」だったのだと思います。
男性で、進学校に通い「ものすごくデキる人たち」にコンプレックスを抱き続けてきた僕だけれど、それでも、ここまで切実に「選択肢は限られている」というような意識を持ったことはありませんでした。能力的な限界はあったとしても。
この本、大正から昭和にかけての、こじんまりとしたカフェ(喫茶店とアルコールも出す小料理屋をあわせたような店)と、そこで働く女性たちの物語です。
当時の世相や時代の空気がすごく丁寧に描かれていて、働いている女性たちも、すごく「人間的」なんですよね。
本音と建前があり、感情と打算がある。そして、「女性が働くこと、働かなければならないこと」への期待と諦めがある。
大きな店でチップを稼ぎまくれるほどの器量も才覚もないのはわかっているけれど、それでも、少しでも稼ぎたいし、自分を認めてもらいたい。
この本を読んでいると、僕は自分が入った飲食店で働いている人たちの「それぞれの人生」について、あんまり考えたことがなかったなあ、と痛感するのです。
みんなひとりの人間で、「ここにいる」のには、なんらかの理由や過程があるのに。
あの時代に「女給」しかも、そんなに流行っていないうらぶれたカフェで働いたなんで、かわいそう。なんかもう「女給の悲劇」が書かれているのだろうな、と僕は思っていたのです。
でも、当時の女性たちには「外で働くこと」への高揚感があったし、「うらぶれたカフェー」という世界でも、「そのなかで、どうやって自分の居場所をつくるか、たくさんのチップを客からもらうにはどうすればいいか」という「競争」もありました。
「女給」とか、いまでいえば「風俗店」などは「お金のために嫌々やらされている汚れ仕事」だというイメージを持たれがちなのですが、そこで働いている人たちは、「自分をプロデュースして高く売る、より多く稼ぐ」「自分の才覚でのし上がる」ことにやりがいを感じている面もある。
いまの世の中でも、「自分の努力や工夫が、ストレートに、かつ、すぐに金銭的あるいは名声として反映される(可能性がある)仕事」って、そんなに多くはありません。
即効性があるのがプラスかマイナスか、という議論はあるとしても、「働く」ということそのものに後ろ向きになりがちな時代を生きている僕としては、彼女たちの「したたかさ」「貪欲さ」がすごく印象に残りました。
彼女たちの人生も「カフェー」のメニューも、大正から昭和という「戦争」に揺れた時代によって、大きく変わらざるをえないし、たぶん、それぞれの人生は、若い頃に望んでいたようなものではないはず。
それでも、生きている人は、自分の人生を生き抜こうとしていく。
正直、読み終えて、「いい小説ではあるけれど、ダイナミズムというか、起伏に乏しい感じではあるよなあ……」と思いました。
すごい話を読んだ!というような高揚感は得られません。
しかしながら、そこがたぶん、この作品の「魅力」であり、「普通の人生って、こんなもんだよね、僕もそうだし」と、安心するところでもあるのです。
もちろん、彼女たちが生きた時代は、ずっと平和なわけではなかったし、「女性が働ける場所」も2026年よりずっと、限られていました。
そのなかで、みんな懸命に生きてきた。
これまで風景の一部だった、飲食店やスーパーマーケットの店員さんが、あらためて「ひとりの人間として」見えてくる。この人はどんな人生を送ってきたのだろうな、と想像してしまう、日常にそんなちょっとした変化をもたらす小説だと思います。










