琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】「推し」という病 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

なぜ彼らは苦しくても「推し」続けるのか
AKB、ホスト、VTuber、アニメキャラ、ゲーム、地下アイドル、AV女優、ビジュアル系バンド…

当事者への取材を重ねた「推し活」の現在地

「推し」という言葉は、「好きなものを応援する」ポジティブな言葉として使われることが多い。
だが、アニメグッズを購入したり、アイドルのコンサートに参加したりすることだけでなく、たとえば地下アイドルライブでのチェキの大量購入、ホストクラブやメンズ・コンセプトカフェでの過激な売り掛けなどを表す際にもこの言葉は使われている。
少なくとも、言葉のうえでは、学生のささやかな「推し」と、身を滅ぼすほどの出費をともなう「推し」は地続きだ。

「高田馬場ライバー刺殺事件」をはじめ、「推し」を端緒とした刑事事件も発生している。その精神性の根が同じであるならば、私たちは「推し」とは何かを慎重に見極める必要がある。
実際に「推し」によって人生を大きく変える選択をした人々の言葉に耳を傾けることで、「推し」の何が人々を病的なまでにエスカレートさせていくのかを探る。


この本のタイトルを見たときに思ったんですよ。
なんでも「病」にしなくても良くないか?って。

その一方で、これまで、対象への「依存」や経済的な「搾取」と呼ばれてきた過剰なものまで「推し」という言葉に含まれ、美化されているのは、まさに「病的」なんですよね。

多くの人が自分自身のつまらない人生で無駄にあがくよりも、キラキラしている「推し」をよりいっそう輝かせることに生きがいを見いだす気持ちは、ちょっとわかるような気もするのです。

統一教会の信者はさんざん搾取されて多くの被害者を生み出してきたけれど、あれほど極端ではない伝統的な宗教では、信じることによって死の恐怖が緩和されたり、報いの少ない人生を受け入れやすくなったりもするわけです。
「宗教」=「危険」というのは太平洋戦争後の日本人の感覚でしかなくて、世界では「無宗教」を公言する人は異端視される文化圏が少なからずあります。

この『「推し」という病』という新書は、宗教を「推し」ている人たちではなく、アイドル(地下アイドルも含む)とか、ホストなどの特定の芸能人やグループを、多額のお金や長い時間を使って応援(支援)している人たちに取材をして書かれています。

読んでいると「なんでそんな他人のことに何千万とかのお金や、10年、それ以上の時間を使えるのだろう?」と、それほどの「推し」を持たない僕は思うのです。

そんなに「推しにすべてを捧げる」なんて、バカじゃない?って。

でも、僕は自分の人生が彼ら、彼女らより正しかったとか充実していた、何か語るべきものがあった、とは言えないのではないか、と切なくもなりました。

生活が破綻してしまうくらいの経済的な負担や社会生活に支障をきたす戒律、他者への勧誘があるわけではなく(まあ、借金したり、人によっては後追い自殺を試みたりもしているんですが)、これはこれでひとりの人間の「人生の選択」なのか、それとも「人生の無駄遣い」なのか。


じゃあ、無駄遣いじゃない人生、自分自身のための人生って、どんなものなの?


この新書の第一章では、1971年生まれのTO(トップオタク)【かちょす】さんを取材されています。

【かちょす】は「最善・ドセン」(最前列のセンターの座席)に強いこだわりを持つが、それというのも「推し」からレス(「推し」と目が合ったり、手を振ったりしてもらうこと)をもらうという目的があるからだ。最前・ドセンを確保するために、現場でその席にいる人と交渉する。自分の席と交換してもらう、いわゆる「最前交渉」である。
「僕が通っていた当時、最前交渉も黙認されていました。ある程度の現金を渡したり『好きなグッズをいくらでも買ってあげる』と持ちかけたりすれば、だいたい応じてもらえましたよ。友人と連れ立ってきている人は交渉には応じないだろうし、グッズをたくさん持っている人にはグッズ購入を持ちかけるなど、そのへんは見極めが必要ですね。『推し活』をするにはコミュニケーション脳力も大事なんです。だからコンサートの日は、サイフの中に10万円くらい入れてから会場に向かってました。一度、10万円で最前の席を譲ってもらったこともあります。
 彼はこともなげに言うが、定価の10倍の金額である。
「なんとなく、高い金を払って観るライブのほうが能汁が出るというか、テンションが上がる気はします」
 彼が言う「能汁が出る」とは、興奮した時に脳内でドーパミンやエンドルフィンといった快感伝達物質が分泌される状態を意味する。実際に脳内物質が分泌されているかどうかは確認のしようがないが、いわゆる「興奮してテンションが上がる」ことを指す俗語だ。
 結局、峯岸みなみの「推し活」には1000万円、大場美奈には2000万円を使っていた。
 ここであらためて、冒頭の【かちょす】の言葉を思い出してほしい。
「総選挙の時にはシングルCDを1000枚買いました。大場美奈のために買ったCDは、合計1万枚は余裕で超えてますよ」


握手会への参加券や総選挙の投票権を付加することによって、ひとりのファンがCDを大量に購入するようになる「AKB商法」は、大きな批判にさらされてきました。僕も報道番組で部屋に大量に積み上げられたCDの映像をみて、「なんなんだこれは……」と啞然としたものです。
しかもこれは「若いファンの暴走」ではなくて、自分と同じくらいの年齢の、アイドル側にとっては恋愛対象になる可能性が限りなく低いオッサンがやっていることなのです。

でも、【かちょす】さんのインタビューを読んでいると、結局のところ、人の「価値観」はそれぞれあるし、(ファンじゃない僕からすれば)身を削っての他者への奉仕にしか見えないけれど、本人にとっては「TO(トップオタク)としての自己顕示欲を満たす行為」でもあり、そこに自らの存在意義を見いだしている面もあるのです。

「アイドルに依存している」一方で、コミュ力もあり、そのアイドルのファンの間では、一目置かれる特別な存在として認知されている。
選挙に出馬した人の後援会長も、こんな感じなのかもしれません。
自らが恒星になれなくても、恒星からもっとも光を浴びられる存在になれば、その近くにいる人たちには「星」に見える。

そんなことにお金を何千万円も使わなくても、とは思うのですが、じゃあ、毎月極限の節約をして積み立てNISAに「投資」し、遺産はたくさん残っても人生で楽しめる時間を減らすのが「正解」なのか?

この本を読んでいると、アイドルも地下アイドルもホストもキャバクラ嬢も、「お金を落としてくれる人」に支えられていて、それで食べていこうと思えば、程度の差はあれ疑似恋愛的なサービスをすることを避けられない。
あとは、「広く薄く」なのか、「狭く太く」対価をもらうかの違いだけ。

そして、「推す」側には、「推す対象」への情熱からスタートしても、「ここまで推しに貢献している自分」が、ファンの中で特別な存在と見なされることが目的になってしまう人もいる。


そして「推される側」も無傷ではいられない。

地下アイドルの「推し活」から、自らも地下アイドルとして活動するようになった【出窓なも】さんに取材した章より。

 お金を多く積まれるほど、ファンの期待に応えようと自分を演じてしまいそうになる。そんな自分が怖かったため、【出窓なも】はいつでも「私は私がやりたいようにここにいるから、それが楽しいうちは来て。いつでも来なくなってもいいよ」というスタンスを貫いた。ビジネスとして割りきるのであれば「できるだけお金を出してもらう」のが正解なのかもしれないが、彼女にはそれが難しかった。
 また、「推す側」と「推される側」の両方を経験した【出窓なも】は、アイドルとオタクの関係について、彼女ならではの知見を持つ。
「オタクは4600円を払って、ライブ25分とチェキ1枚の会話1分、計26分間だけ『推し』に会いにきます。それはお金で人間関係を買っているようで、どうしても歪に感じてしまいました」
 その歪さについて、彼女はさらに踏み込んだ発言をする。
「だからアイドルとオタクはお互いに対価を払って、出会うはずのなかった運命を捻じ曲げて、お互いの人生を交わらせているんです」
 オタクが金銭を支払っていることは理解できる。では、アイドルは何を支払っているというのか。
「自分の人生を狂わせること、です」
 人生を狂わせる……。
 一瞬ぎょっとする言葉だが、あらためて彼女が書いたnoteの記事タイトルを思い出す。
「アイドルは人生を狂わせ続けることで、オタクは4600円を払い続けることで、出会うはずのなかった運命を捻じ曲げて共に生きる」
 彼女が言う「人生を狂わせる」とは、具体的に何を意味するのだろうか。
「地下アイドルの多くは、学歴とかキャリアとか人生設計なんかを全部放り投げてアイドルをして、履歴書に書けない空白の期間を何年も作ります。人によっては10年やる人もいます」


アイドルにとっては「人生の選択肢を狭める」ものではあるでしょうし、オタクにとっては「自分にはほとんど直接的な見返りが期待できないもののために多くのお金や時間を浪費する」行為ではあるのです。

バカバカしい、無意味だと言われるような行為だからこそ、当事者たちには「楽しい共犯関係」が生まれる。

この本を読んでいると、彼らの多くは「悪質な宗教団体に騙されて貢がされている」というよりは、「推すこと」によって、「〇〇を推している人」という自分のアイデンティティを確立し、生きがいにしているようにも見えるのです。

実際、多くの人は、仕事、勉強、研究、趣味、宗教など、何かを「推して」いる。
仕事や恋愛や宗教のように、メジャーな「推し」の対象なのか、地下アイドルやホストのような少数の「信者」しかいない対象なのか、という違いだけなのかもしれません。

オタクは「食い物」にされているのか、アイドルを「消費」しているのか?
「推し」に貢ぐことなく「自分の人生をまっとうする」ことなんて、本当に可能なのか?
そもそも、「自分の人生」って、何?

「推し」のことしか考えない人生は虚しくみえるけれど、「推したいもの」がない人生も、なんだかせつない。
その一方で、「推し」という言葉によって、他者に「貢ぐ」ことが正当化・美化され、より「集金ビジネスとして洗練されてきている」ようにも感じます。
僕が子どもだった40年前なら「そんな他人のためにお金を使って応援するなんてバカバカしい」と言われていたものが、いまでは「『推し』も立派な趣味」だとみなされてきています。
ソーシャルゲームの「課金」とかもそうですよね。
自分の収入や資金でまかなえて、他者に迷惑をかけたり借金をつくったりしなければ許容範囲内。

それがはたして、その人にとっての「幸せ」なのか「幸せだと思い込んだり、思い込まされたりしているだけ」なのではないか……
僕にも正直、「正解」はわからないのです。
じゃあ、身ぐるみはがされるような新興宗教にハマっても、本人がそれを幸せだと感じていれば、それでいいのか?

自分の人生って、けっこう、つまらないのものなのかもしれませんね。
「かもしれませんね」って、僕もよく「つまらない」と思っていますし、そういうものなのだと自分に言い聞かせてはいるのですが。


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