琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】達人はここを見る いちばんわかる日本美術鑑賞 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

なるほど!
この絵がなぜ名作なのか、
ずばり納得の入門書

名画の前に立ってもイマイチ響かないあなたに! 
美術の味わい方なら達人に聞こう!
長谷川等伯、狩野永徳、伊藤若冲、葛飾北斎……日本美術の超有名作品を取り上げ、美術界の第一人者たちが深く、わかりやすく教えてくれます。
「何を見るのか」「なぜそれが大切なのか」を、納得できる豊かな美術鑑賞を開く夢の入門書。

人気アートブロガーが達人たちと深掘りする
いちばんわかる日本美術入門書


そういえば、コロナ禍以降、美術館にほとんど行っていないなあ、と思いながら読みました。
僕はけっこう美術展を観に行っていたのですが、最近は仕事上の感染のリスク、とかを名目にして(実際は「あの人混みはつらいなあ」がいちばんの理由なんですけど)、出かける機会が激減しました。

大きな展覧会も、以前より少し減ったような気がします。
これは、コロナだけではなく、日本の経済状況や、美術品を海外から借りてくるハードルが上がったのが理由なのかもしれませんが。

「書」とか「茶器」、「現代美術」ほどではありませんが、「日本美術(絵画)」というのは、ピカソやゴッホ、モネなどの近代西洋絵画に比べると、敷居が高いし、よくわからない、というイメージがあるのです。
版画などは「1点もの」ではない、というのもあるし、作品の良し悪しもよくわからない。
永谷園のお茶漬けにカードが入っているやつだろ、とか、つい考えてしまう。

もう20年くらい前になりますが、日本美術のコレクションで有名なアメリカのボストン美術館に行った際、日本美術コーナーは閑散としていて、ピカソやルノワールなどの西洋絵画のコーナーはにぎわっているのをみて、「それなら日本に作品を返してほしい」と思った記憶があります。

そう言いつつも、僕も日本美術への熱意は、ゴッホやフェルメールの作品が来たときほどではないし、日本でも伊藤若冲のような近年のスターを除けば、西洋美術のほうに人が集まりがちです。
有名な仏像とか国宝展とかは、かなり人気があるんですけどね。


この本、人気美術ブロガーの「青い日記帳」さんが、日本美術の代表的な作品の「鑑賞する際のポイント」を専門家に聞きながら紹介する、という内容です。

僕も「おお、若冲!なんか『週刊少年ジャンプ』に載っていてもおかしくない絵だな」と妙な感心をしながら観るくらいが関の山だったので、おおいに参考になりました。

作品の写真も掲載されていて、解説を読みながら見直してみると、「こういうところがすごいのか!」と思えてきます。

最初に紹介されているのは、長谷川等伯の『松林図屏風』です。
2012年に上梓された安部龍太郎さんの『等伯』という小説は、第148回の直木賞を受賞していて、僕もこの小説を読みました。


fujipon.hatenadiary.com


日本美術鑑賞にはあまり乗り気ではない僕も、『松林図屏風』は大好きで、地元の九州国立博物館に展示されたときなどに、たぶん3回くらい観ています。
この本によると、2026年3月の時点で1149点の国宝のなかで、絵画は約2割弱の169点あって、そのなかでも知名度が高く、人気があるのがこの『松林図屏風』なのです。

長谷川等伯は、当時の画壇の主流派だった狩野派のなかでも実力者として知られる狩野永徳と同じ時代(安土桃山時代)を生き、傍流ながら存在感を示していたとされています。

『松林図屏風』について解説されている現・明治神宮ミュージアム館長の黒田泰三先生は、著者の「もともと絵仏師(仏画を描く絵師)だった等伯は、主流派の狩野派に対抗して存在感を示すために、どんな工夫をしたのか?」という問いに、こう答えておられます。

黒田泰三:それは「狩野派には描けないような絵」を描くことに尽きます。花鳥画というジャンルで見ると、狩野派は「調和」という言葉で捉えることができるような絵を描きます。花を描くなら、色、大きさ、形、種類をなるべく多彩に描こうとするのです。まるでいろんな楽器の調和を美しく聞かせる交響曲のような絵が狩野派です。狩野派は絵の描き方も体系立っており、さまざまな要素を調和させる技術を持っているのです。
 ところが等伯は違います。もともと絵仏師ですから、本格的な絵画教育を受けたわけではありません。狩野派のように交響曲のような調和のとれた絵は描けなかったでしょう。そこでどうしたかというと、ジャズでいうソロとかトリオとかカルテットのように、モチーフの数や種類を絞り、そのかわりにその楽器の音色をしっかりと聴かせる、という絵を描きました。《松林図屏風》もそうです。モチーフは松だけ。
 智積院の《楓図》も楓の木が中心で、根もとに他の草花を描いていますが、鶏頭と萩の花程度で種類は多くはない。長谷川等伯や長谷川派が描いた花の絵は、種類や数は厳選するが、描いたモチーフの美しさをきちんと伝えるタイプの絵です。
 それは狩野派の豪華さとは真逆で、狩野派の交響曲的な絵が主流だった時代に、逆の意味でインパクトの強い作品が登場すると、それは目立ったでしょう。新しいもの好きな京都人の中には、「これはいい」と思った人が少なからず存在しただろうと思います。
 当然、等伯はどういう絵を描けばウケるか、調べていたと思います。《柳橋水車図屏風》なんかはその典型で、本当にうまくヒットしたと思います。


『松林図屏風』は水墨画で、墨の濃淡だけで描かれていて、現代の僕からすれば、シンプルかつスタイリッシュで、力強さと寂寥感を同時に味わえる気がするのです。
当時は、かなり「異端の絵」であり、等伯には「狩野派という巨大なグループに対して、独自性を打ち出さなければならない。自分や自派の仲間も絵師として食べていくための存在感のアピールでもあったのです。

アートには、アーティストの自意識や創造性が表現されるとともに、「商業的な事情」も避けては通れない。
そういう「したたかさ」も、『松林図屏風』の人気がある理由なのかもしれませんね。

僕もこの絵を観るたびに、凄みとともに、「こんなシンプルな絵で高評価されるなんて、なんかズルいよなあ」と、少しだけ考えてしまいます。


この次の章では、狩野派の代表作、狩野永徳の《上杉本洛中洛外図屏風》が紹介されています。
細かいところまで妥協しないこだわりや、飛行機やドローンがない時代に、どうやってこんな「俯瞰図」を描いたのか、など、こちらもすごい作品です。当時の人々の暮らしを描いた歴史的資料という面もありますし。
狩野派という巨大アート企業の「組織力」を思い知らされます。


葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》という作品(富士山をバックに巨大な波が描かれている絵です。それこそ『永谷園』を思い出してしまうのですが)の項では、太田記念美術館の主席学芸員・日野原健司先生が、こんな話をされています。

──日本美術史上、庶民が買える絵画が作られたのは浮世絵が初めて、と考えて差し支えないでしょうか。けれどもそれは世界的にかなりエポックメーキングなことだったと考えられそうですね。


日野原健司:はい、恐らく不特定多数の人たちに向けて浮世絵が大量生産されたということは、日本の美術においても、さらには世界史的な美術あるいは文化の流れにおいても、かなり重要なことだろうと思います。近代以前の西欧文化では、美術はあくまで王侯貴族や裕福な僧侶・商人などが享受するもので、お金や権力が集まるところに芸術を作り出す技術を持った人が集まるという流れがありました。日本でも古代から安土桃山時代にかけては同様です。富裕層の中で文化が育まれ、それが少しずつ庶民に下がっていくというのが基本的な流れだと思うのです。一方、浮世絵は、庶民の画からニーズが生まれて、それが広まっていくという感じで、下からの文化であったというのが大きなポイントです。それは多くの人が集まる都市の発展があったから可能になった。つまり20世紀的な大衆文化の先駆けとも言えます。では浮世絵が生まれた時代に、ほかに大衆から生まれたアートって何があるかなと考えると、ヨーロッパの美術では、とくに思いつかない。
 階級が上の権力者が普及させるというのとは真逆に、下の階級の集合知みたいなところで展開していった芸術だというところが、現代のマンガやアニメ、ゲームなどと類似していて面白いですよね。実際に浮世絵は、法令によって取り締まられる側にあり、発禁処分を受ける危険が常にありました。


浮世絵は「1点もの」じゃないから、と冒頭に書きましたが、「文化が大衆のものになっていった」過程において、浮世絵というのは世界史的にも1点ものじゃないからこそ、エポックメイキングな存在だったのです。
日本でマンガやアニメ、ゲームが他国とは異質の「進化」を遂げていったのには、「大衆から生まれたアート」の歴史があったからなのでしょう。

いま、この時代を生きていると、美術館で、「本物」を鑑賞することと、ディスプレイ越しに見ることはどう違うのか? 精密な3Dプリンターで「再現」したら、人間の「わざわざ本物を観に行った」という感情以外の「違い」はあるのか?なんてことを僕は考えてしまうのです。
「本物」を観ても、どのくらい自分がわかっているのかも自信がないし、こういう「舞台背景」というか「文脈」みたいなもので評価が変わるのが正しい鑑賞方法なのか、とも思います。

僕はときどき、美術館で「国宝」「重要文化財」とか、画家名とかを確認しないで、自分の第一印象だけで好きな絵を選ぶ、という遊びをやっています(競馬場で予想紙やオッズを見ずに、パドックの印象だけでごく少額の馬券を買う、なんていうのも、ときどきやります)。

それで実感するのは、自分の「見る目のなさ」なんですよね。人というのは、自分で見ているようでいて、実際は「事前の情報」とか「先入観」の影響から逃れられない。

この本で紹介されているような知識を得ることで「わかる」のか、僕には正直、わかりません。
でも、たぶん、知らないより知っているほうが、作品を観ることができて嬉しくなるんだろうな、とは思います。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター