琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ふつうの人が小説家として生活していくには ☆☆☆☆


版元資料より

津村記久子 著
島田潤一郎 聞き手

小説家に聞いた4 日間。生きるヒントにあふれるインタビュー。

2005年に太宰治賞の受賞作『君は永遠にそいつらより若い』でデビューした津村記久子さんは今年、デビュー20周年を迎えます。休むことなく、『ポトスライムの舟』、『ディス・イズ・ザ・デイ』、『つまらない住宅地のすべての家』、『水車小屋のネネ』などの傑作を発表し続けた作家はどのように暮らし、どのように小説を書いてきたのか? 同世代の編集者が共通の趣味である音楽、サッカーの話をまじえながら、その秘密を根掘り葉掘り聞きました。「オープンソースだけで仕事をしてきた」と語る「ふつうの人」がなぜ、唯一無二の作家となったのかを解き明かす、元気が出て、なにかを書きたくなる、ロング・インタビュー。名言がたくさんです。


2009年に『ポトスライムの舟』で第140回芥川龍之介賞を受賞した津村記久子さん。
『この世にたやすい仕事はない』『水車小屋のネネ』などの作品を僕も読みました。
津村さんが芥川賞を受賞したのは、もう17年も前なのか……と思うと、僕も年を重ねてしまったな、と思います。
芥川賞から17年間、小説家としてずっと活躍されているというのは、すごいことではありますよね。
最近はスマートフォンの普及や動画配信など娯楽も多様化しており、村上春樹さんや東野圭吾さんといったレジェンドは別格としても、作家も10年以上第一線で活躍できる人は少ない気がします。もともとそんなもの、なのかもしれないけれど。


この本、その津村記久子さんに、夏葉社の島田潤一郎さんが4日間にわたってインタビューしたものが収められています。
「文学とは」「小説家とは」という文学論みたいな話よりも、津村さんはどんな子ども時代、若者時代をおくってきて、どんな仕事をして、どのようにして小説家になり、その仕事をずっと続けているのか、という「仕事論」であり、「好きな音楽の話」であり、津村さんの「個人史」的な内容でもありました。


ちなみに、インタビュアーの島田潤一郎さんは、「夏葉社」という「ひとり出版社」を立ち上げた人で、こんな著書もあります。

fujipon.hatenadiary.com


津村さんは、どこにでもありそうで、現実とは少しズレているような日常と、「普通なんだけど、普通なんて世界には存在しないのかもしれないな」と考えさせられる登場人物を描いておられることが多いのです。

──情報が好き? 物語というよりも?


津村記久子:物語もやし、情報も好きだった。どっちも読んでいましたもん。なんか、体の仕組みとか、タケノコの生え方とか。ものすごい熱心に読んでいましたよ。


──それはいまのご自身の創作と繋がるところがあるんですか?


津村:あると思います。


──そういうタケノコの仕組みみたいなものを楽しむ子と、そういうのはどうでもいい、という子のふたつに分かれる気がします。


津村:私は異様に読んでいましたね。だから、いまも詳しい。頭の出ているタケノコは食べられなくて、(手で説明しながら)このぐらい出ていたらもう無理。地中の絵とかが載っていたんですよ。体の仕組みも上のほうから説明してくれていて、だから幼稚園児やけど胆嚢とかを知っているわけですよ。機能は知らないですけど、胆嚢が体のどの辺にあるとか、なんとなくイメージできて、でも勉強はできへん。

津村:最近、人に説明していて思ったんですけど、私はすごく「堀る」子どもだったんですよ。それはたぶん、一貫して変わっていない。音楽が好きで、中学三年になって、ハードコアパンクとかまで辿り着くわけですよ。


──たしかに掘ってますね。


津村:聴いてもなんの役にも立たないというか、社交には一切役に立たないけれど、とにかくそれを知ろうと思ったら知りたいわけです。能力の高い低いとかは全然関係なくて、その「掘る」ということが、いま、いちおう文章を生業にできていることの基盤なんだと思います。勉強できるとかできひんとか、書けるとか書けないとかは別で。ものすごくディグる。幼稚園児のときでも。


──タケノコを。


津村:そうですね、タケノコを解説した絵本を。


このやりとりを読んでいて、僕は子どもの頃、『〇〇のひみつ』(『からだのひみつ』とか『手品のひみつ』とかですね)といういろんなものの仕組みを解説した子供向けの解説本を読みまくっていたことを思い出しました。
「感性」で文章を書ける人もいるのかもしれないけれど、津村さんは「これまでの知識や経験を活かしたり、それをさらに突き詰めて深掘りして書く」タイプで、「データ収集とその蓄積が好き」なのかもしれませんね。

僕は津村さんよりも他人の目が気になって、「好きを深掘りする」よりも、「話題についていけるように、人気があるほうに寄ってしまう」ほうだったのだよなあ。

以前、ある有名作家が、「小説家には、過去の記憶を鮮明に持ち続けていることが利点になる」というようなことを書かれていました。
ある意味「執念深さ」とか「この恨みは忘れない!」みたいなのが、「書く」ことにおいては武器になる。

これを書きながら考えていたのですが、こういう「深掘りを積み重ねていく手法」というのは、まさにChatGPTなどのAI的な営みであり、小説家・作家がAIに代替される日は、そう遠くないのか、とも思います。

読者のほうがAIになって、孤独な人間が書いた「わたしの文章」を「AI読者」が読んで、感想を述べてくれたり、応援や批判の言葉を投げかけてくれる世界も想像してしまうのです。

──たしかに、そういわれてみると、今日お聞きした経歴や津村さんがこれまで書かれてきた小説は、物語としての奇跡とか、なにか特別なコネクションとか、そういうものとはまるで無縁ですよね。
 

津村:ほんと、オープンソースですよ。私の知っていることとかで閉じられたことは一切ない。見た目もよくない。学歴もない。もうなんにもない。全部、世の中でほぼただで後付けで手に入ることの組み合わせだけでできています。


──なんか、元気が出てきます。


津村:でもほんと思いますけど、適度に社交的で、適度に見た目が充実していて、適度にモテてみたいなのも楽しいかもしれないですけど、でも最終的に大人になって、四十七歳のおばはんとして思うのは、大人になって好きなことを仕事にしたいと思ったら、とにかく自分のいま好きなことを掘ったほうがいいって、それだけです。他人がぜんぜん好きじゃないものを自分が好きでも臆さないこと。才能も努力もいらんから追った方がいい。ものにならなくても、その後何かにはなるんです。


それは、津村さんが作家として成功しているからだ、「成功者バイアス」だろう、と感じる人もいるはずです。
たぶん、同じことをやっても、みんなが津村記久子になれるわけじゃない。
正直にいうと、津村さんが同じ年齢の男性で、まったく同じ作品を書いていたら、小説家として生きていくきっかけをつかめただろうか?なんて僕は考えてしまいます。

でも、世間的な成功にはつながらなくても、「好きだったものを臆さずに深掘りしておく、とくに若いうちに」というのは、大事なことじゃないかとも思うのです。その「何かに夢中になって深掘りした記憶」が、年を重ねてから、自分を温めてくれることがあるから。
僕も子ども時代に欲しくてたまらなかったマイコンとそのゲームのことはずっと覚えているし、『デゼニランド』の「ATTACH」や『惑星メフィウス』の牢屋から出られなかったことは、いまでも根に持っています。

AI時代に残された「人間らしさ」って、そういう「こだわり」みたいなものだけなのかもしれませんね。


僕がいちばん印象に残ったのは、この話でした。

──毎年二篇の長編小説を書こうって決めてからの一日のタイムスケジュールって覚えていますか? 6時ぐらいに帰宅するわけですよね?


津村:6時かな……もうちょい遅いですね。普通の日は5時半に会社が終わって、まっすぐ帰ったら6時半とかに家に着くんですけど、だいたいぶらぶらして少し遅くなります……投稿していたころの話ですよね?


──そうです。そうです。


津村:11時ぐらいから寝て、夜中に起きて。


──夜中の何時ぐらいに起きるんですか?


津村:2時ぐらいですね。それぐらいの時間に起きて、風呂入って、2時間ぐらい書いて、また寝て、そんで8時前ぐらいに起きる。で、また会社に。


──実質、書いていたのは?


津村:2時間ぐらいですね。


──思っていたよりも、すこし短い感じがします。


津村:ただ、毎日書いていたんで。


──なぜ、夕飯を食べてからではなく、夜中なんでしょう?


津村:ご飯食べたら眠くなるし、なんかダラダラしたいんでしょうね。今も、ご飯食べたらなにもやる気がしません。ご飯食べてがんばろうとかってことは一切ない。だいたいは空腹の状態で書いています。


──ちなみに、毎日2時間かけて、どれくらいの枚数が書けるんですか?


津村:一日4、5枚書いてたんじゃないですか。半年で400枚の小説を出したりしていたんで。いまは無理ですけど。



──半年で400枚はすごい。


津村:恐ろしいですよね。いま考えると。


──すごい体力。


津村:月80枚くらい。最高で月100枚ぐらい書けていた時期があったんですけど、1か月のうちの平日はだいたい二十二日じゃないですか。土日はほぼ作業しないんで。


──土日は書かない? ほんとうですか?


津村:二十二日間、4枚と書き続けたら88枚。だいたい、こんぐらいだったと思います。一日4枚ぐらいを平日ずっと書いていたんですよ。で、2時間でしょ。つまり30分で1枚。めちゃくちゃ無茶なスケジュールではないですよ。


たしかに「めちゃくちゃ無茶なスケジュールではない」ような気がします。
1日4枚ずつ書けば、土日休みでも、月に80枚も書けるし、半年くらいで小説1冊分くらいの分量になります。

しかしながら、これを本当にやれる人は、ほとんどいないと思うのです。プロになってから、ではなく、小説家になれるかどうかはわからない、修行時代の話ですし。

僕自身、いろいろやってみましたが、作品を完成させるというのは、とくにそれがある程度以上の長さになると、すごく難しい。
書き始めることはできても、とくに序盤から中盤は、ゴールが見えない努力を続けるのはつらい。

村上春樹さんも、きちんとした生活をして、マラソンをやったりしながら、小説執筆期間中には、毎日決まった時間書くと仰っていました。

「継続は力なり」と言いますが、「小説家として生活する」には、安定して高品質の作品を一定量生み出す「継続力」が大事なんだな、と思い知らされました。
どんなに「才能の片鱗」があったとしても、それが完成形にならなければ伝わらない。

こういう話が出てくると、「それは『努力する、継続する才能』があっただけ」という人もいて、結局、「じゃあすべて才能で決まってしまうのかな……」なんてことも考えてしまうのですが。


津村さんは、以前「『友達がいなさそう』が罵倒の文句になる理由」という文章を日経ビジネスオンラインに寄稿されていました。
僕は、この津村さんの「友達」に対するスタンスが、すごく好きだったのです。

fujipon.hatenadiary.com

※リンク先には、津村さんの文章の一部を引用していますが、元の津村さんの文章はもう消えて読めなくなっています。


「うまく世渡りする」よりも、自分の「好き」を掘り続けることを選んだ津村さんが、こうして職業作家として多くの読者を得て生き残っている。

「自分は人にうまく合わせられない」とか「友達がうまくつくれない」「自分はなにも持っていない」という人に、ぜひ読んでみていただきたい本です。


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