琥珀色の戯言

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【読書感想】ベルリンは晴れているか ☆☆☆☆

ベルリンは晴れているか (単行本)

ベルリンは晴れているか (単行本)


Kindle版もあります。

ベルリンは晴れているか

ベルリンは晴れているか

内容(「BOOK」データベースより)
総統の自死戦勝国による侵略、敗戦。何もかもが傷ついた街で少女と泥棒は何を見るのか。1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅出つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり―ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。最注目作家が放つ圧倒的スケールの歴史ミステリ。


 2019年『ひとり本屋大賞』8冊め。

 うーむ。
 この作品が、当時(第2次世界大戦)前後のドイツのことを調べ尽くして書かれていることも、著者の「良心」みたいなものも、余韻のあるミステリとしての結末も素晴らしいと思うのです。
 480ページもある分厚い本なのだけれど、一気読みしてしまうくらいの吸引力もありました。
 
 それでも、僕はこれを読み終えて、「すべてが及第点以上なのだけれど、何かが足りないような気がする……」という気持ちをぬぐえませんでした。
 
 そもそも、日本人である著者が、あえて、「あの戦争」でのドイツを舞台にしたのはなぜなのか……
 著者は前作の『戦場のコックたち』でも、あえて、外国の軍隊を舞台にしているので、「そういう世界観に惹かれ、それを自分で描いてみたくなる人」なのだろうとは思うのです。
 僕はこれまでけっこうたくさん、ナチスの迫害を受けた人、そして、迫害する側にまわっていた人の手による、「ドイツ人、あるいはフランス人が、あの戦争の悲劇について書いたもの」を読んできたのです。
 それらのなかで、「あの戦争を体験してきた人たちの悲しみや緊迫感」で僕を圧倒したものに比べると、この『ベルリンは晴れているか』は、「ミステリ」であるために、かなり御都合主義的な印象を受けました。
 事件の犯人は最後までわからなかったけれど、あの人がやっていたことは、登場人物に起こっていたことの描写を読めば、知識がある人にとっては、「あれか……」と理解することは、そんなに難しくはないはずです。
 ソ連軍の登場人物にしても、さすがにこれは回りくどいにもほどがあるだろう、という気がするし、主人公をサポートする人たちも、あまりにも良いタイミングで登場しすぎではないか(もちろん、そういうタイミングで出てくるのにも、理由がある人もいるのですが)、と思うんですよ。

 なんだか悪口ばかり書いてしまいましたが、ミステリというジャンルは、何らかの「御都合主義」的なものがないと成り立ちにくいものではありますし、「犯人は誰か」という導線のおかげで、「あのとき、ドイツで起こっていたこと」の一端を、第二次世界大戦や太平洋戦争に興味のない読者も、読んでいくうちに、知ることができる、という面もあるんですよね。
 もしこれが「戦争のこと、ナチスがやったことを学んで、人類の悲劇を繰り返さないようにしましょう!」という啓蒙精神にあふれただけの小説であったら、こんなに多くの人が手に取ることはないはずです。
 ドイツの人たちが、いつのまにかナチスの熱狂的な支持者になり、戦局が悪くなると「総統は何をしてやがるんだ」とぼやくようになる様子を、著者は、容赦なく描いています。


「自分たちは仕方なくヒトラーを支持していたんだ」
「われわれもまた、被害者なんだ」
 本当にそうなのだろうか?と、僕は考えずにはいられませんでした。
 あの時代にも、ヒトラーのやり方に反対し、危険を承知で抵抗運動をしていた人たちもいた。
 共産主義を信じ、ナチスに抵抗していたにもかかわらず、ソ連ヒトラーと不可侵条約を結び、ポーランドを分割したことに、心底絶望した人たちもいたのです。
 悪の反対は正義、というほど、人の世は簡単なものではなくて、たいがい、ある人にとっての正義を、おたがいに振りかざして戦うことになります。
 終わったあと、「自分たちも被害者なのだ」と言うのは「卑怯」なのではないか。
 とはいえ、大きな時代の流れに逆らえるほど強い人は、ほとんどいないのも事実ではないのか。
 面従腹背で、とりあえず生き残る確率を上げたほうが「生物としては正しい」のではないか。
 もし、「個人」のレベルで、もっと多くの人が、ナチスの勃興期に「反対」を唱えて行動していれば、あんなことにはならなかったのかもしれません。
 とはいえ、ソ連だって、その後、スターリンによるとんでもない粛清が行われているわけで、連合国は正しいから勝った、と言い切れるのか。むしろ、「勝ったから正しいことになっただけ」ではないのか。


 人は、「自分が傷ついている」ことを理由に、他者にとんでもないことをしてしまいがちです。
 そんなのは「こちら側の事情」でしかないのに。
 あるいは、自分でも、良くないことだと思いつつ、生活をちょっとマシにするため、あるいは、他者より自分が優越している、という意識を満たすために目の前の正しくないことを見逃す理由を見つけてしまう。
 

 著者はドイツを舞台にこの小説を書いているのですが、異国が舞台だからこそ、読者はこれを読んで、「日本では、あの戦争のとき、どうだったのだろうか?」と考えずにはいられないはずです(僕もそうでした)。
 

「フロイライン、あなたも苦しんだのでしょう。しかし忘れないで頂きたいのは、これはあなた方ドイツ人がはじめた戦争だということです。”善きドイツ人”? ただの民間人? 関係ありません。まだ『まさかこんな事態になるとは予想しなかった』と言いますか? 自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です」
 この人はあれが私のせいだというのか。ドイツの女性たちは父や兄や弟が他国で人を殺した代償に、凌辱されたのか。


 本当に「善き小説」であり、「善きミステリ」だと思います。
 分厚いし、外国が舞台だと敷居が高く感じるかもしれないけれど、ぜひ、読んでみていただきたい作品です。


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