琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】危ない読書 教養の幅を広げる「悪書」のすすめ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

本書では、ヒトラー金正恩などの独裁者の自伝や、革マル派リーダーの獄中記、
元銀行員による経済犯罪の記録など、20冊の「悪書」を紹介する。
いずれも日本における社会的常識や倫理観に反する危険な本である。

このような自分の価値観とは異なる本、生理的に受け容れがたい本、
普段であれば決して手に取らないような本を読んでこそ、
深い教養と高い視座が手に入る。

国家の裏側と人間の闇を知り尽くす佐藤優が案内する、善悪を超えた知的読書の世界とは。


 僕の子供の頃の「悪書」といえば、いわゆる「エロ・グロ」や過激な暴力描写などが、PTAに目をつけられて、「悪書追放運動」で槍玉に挙げられていたのを思い出します。
 確かに、性描写の「18禁」みたいなのは致し方ない、と感じていたのですが、当時は『北斗の拳』とかも「暴力描写が残酷」とか言われていたんですよね。18禁や発禁にはなりませんでしたが。『北斗の拳』がテレビアニメになったときには、悪党がやられるシーンがシルエットになったんだよなあ。

 この新書では読書家として知られる佐藤優さんが、「悪書」をすすめているのですが、佐藤さんは、この本での「悪書」を以下のように定義しています。

 私の考える「悪書」とは、現代人にとって咀嚼しにくいような、「強烈な個性を放つ”ざらざらした”本である。
 本書では、悪書を20冊紹介しながら、「悪書のススメ」を試みたい。
 なぜ悪書をすすめるのか。
 それは自分の価値観とは異なる本、生理的に受け容れがたいざらざら感のある本、普段であれば決して手に取らないような本を読むことを通じて、世の中と自分を多面的に捉える絶好の機会となるからである。
 ネット社会は同質な考え方を持つ人間同士がつながることを容易にした。その反面、自分にとって異質なものと遭遇する機会が減った。自分が気に入らない人はフォローを外したり、ブロックしたりすればいいだけだからである。
 その同質化が極端に進めばサイバーカスケード現象(集団極性化)につながるし、そこまでいかなくても現代は中二病(思秋期によく見られる全能感)をこじらせている大人が増えている。


 そして、「選書の基準」をこのように紹介しています。

・現代の日本人にとって異質さを感じる著者もしくは作品
・このまま歴史に忘れ去られてしまってはもったいない作品
現代社会を動かした(動かしている)人物の書いた作品
・タブーに挑んだ作品もしくは人間の本質をえぐるような作品


 こうした基準から、荒唐無稽な内容の、いわゆる「とんでも本」は取り上げていない。あくまでもここで選んだ20冊は、特定の時代でのベストセラー、もしくは特定の国でのベストセラーであった作品ばかりである。


 こういう「悪書」を紹介する本って、「トンデモ本」の「不合理な内容」をあげつらったり、独裁者たちの偏った主張の誤りを糾したりするようなものが多いのですが、佐藤優さんは、これらのベストセラーの「読んでおくべきところ」や「なぜ、その時代にベストセラーになったのか」を解説しています。

 最初に出てくるのは、ヒトラーの『わが闘争』です。
 ヒトラー=歴史の汚点、というイメージもあり、いまでも熱狂的な支持者がいる一方で、ほとんどの日本人は『わが闘争』をきちんと読んだことはないと思われます。

 発売当初は大きな反響はなかったが、ナチスの支持層が拡大するにつれベストセラーとなり、1932年にナチスが政権を奪取してからは各家庭に配布されるなどして、ドイツだけで1千万部売れた。
 本としての特徴は、とにかく読みづらい。当時のドイツが置かれていた時代背景や歴史、宗教、思想などの素養がないと理解が難しいこともあるが、あまりに内容が体系立っていないのである。前半は彼の生い立ちからナチス結党までの話が、後半はナチスの具体的な政策や手法について書かれているが、あらすじを解説しろと言われても難しい。基本的にヒトラーが思いついたことを雑多に書き連ねているだけである。逆にいえば、この作品は気になったところを前後関係なく拾い読みしていくだけで十分だ。
 もうひとつの大きな特徴は、論理的飛躍が随所に見られることだ。たとえばこのようなユダヤ人に対する文章がある。

 わたしは幾度もつっ立ったままでいた。
 かれらの口達者と噓の手ぎわと、どちらのほうをよけいに驚いたらいいのかを人々は知らなかった。
 わたしは次第にかれらを憎みはじめた。


 見事なまでの論理的飛躍である。しかし一文ずつ改行してあるのでなんとなく勢いでごまかしている。現代でも扇動者に多く見られるデマゴギーの特徴だ。


 それでも、当時のドイツ人たちは、この「見事なまでの論理的飛躍」に同意し(実際は、『わが闘争』をちゃんと読んでいなかったのかもしれませんが)、ナチスヒトラーを支持していたのです(ちなみに、ユダヤ人の強制収容所での虐殺については、ほとんどのドイツ国民は知らなかった(知らされていなかった)とされています)。
 逆に言えば、「勢い」に乗ってしまえば、多少のアラがあっても、ほとんどの人はそれに気づかない。
 人は、論理的だから信じるとか、読みやすい、正確だから支持する、というわけではないのです。
 僕も、『ノストラダムスの大予言』を子どもの頃に信じていて、「自分は30歳にもならずに死ぬんだ」とけっこう本気で思っていました。それなら勉強しても意味ないのでは……とみんな言っていたのですが、なんのかんの言っても、それを理由に本当に勉強しなかった人はいませんでした。『と学会』などがあの「大予言ブーム」を検証した本を後に読んで、「なんでこんなものを信じていたんだろう……」と自分にがっかりしました。


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 「江戸しぐさ」でも「アメリカ大統領選挙の不正投票疑惑」でも、結局のところ、人は自分が信じたいものを信じやすいのです。

 ちなみに『わが闘争』は、ドイツでは長年一切出版されてこなかったのですが、ヒトラー没後70年の2015年にEUの定める著作権保護期間が過ぎて、著作権が消滅したため、現在はフリードメインで誰でも自由に出版できるそうです。そこで、ドイツ政府は、政府が詳細な解説を入れた『わが闘争』を出版したのだとか。仮にドイツ国内での出版を禁じたとしても、ネット経由で『わが闘争』が流布されるのを防ぐことはできないだろうから、ということで。

 僕は『オウム真理教』が世の中に広まっていく過程をリアルタイムで見てきました。
 知人が「出家」もしています。
 その人は「自分はオウムでようやく『真理』にたどり着いた」と言っていたそうです。
 『わが闘争』のような政治的な思想や宗教に関しては、いまの日本では忌避されがちですよね。
 「宗教」というだけで、不快さをあらわにする人も多いのです。
 僕自身も特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、聖書やブッダの教えなどがどういうものなのか触れておくことは、オウム真理教のような存在に対して、免疫をつけるために大事なのではないか、と感じます。
 「同じようなことを言っていた人が、人類の歴史のなかに少なからずいて、「真理」はひとつとは限らないし、そう簡単にわかるようなものではない。それこそ、手塚治虫の『ブッダ』でも十分なんですよ。
 「ただ、至高の存在を信じていれば救われていた時代」ではなくなった、ということでもあるのですが。


 『クーデターの技術』という本の項では、トロツキーのこんな話が紹介されています

 次がこの本の核心部分にあたる攻撃対象である。クーデターの前日、トロツキーボリシェヴィキ警察の創始者ジェルジンスキーに語った言葉だ。

「赤衛軍は、ケレンスキー政府の存在を考慮に入れてはならない。機関銃で政府と闘っても大して意味はない。大切なことは、国家権力を奪取することだ。戦術的な観点からみれば、共和国評議会、各省庁、ロシア国会は、武装蜂起の対象としては、まったく意味がない。国家権力の中枢は、政治・官僚機構、つまりトーリッド宮殿、マリア宮殿、冬宮にあるわけではなく、国家の神経組織、すなわち発電所、鉄道、電信・電話、港湾、ガスタンク、水道にある。」 P.115


 国民生活に不可欠な主要インフラを運用する技術者たちを味方につける、あるいは攻撃部隊による急襲によって支配下に置いてしまえば、国家権力は奪取できるとトロツキーは考えた。実際、彼が指導した精鋭部隊は郵便局や発電所、印刷所を次々に占領して革命を成功に導いている。
 イタリアのムッソリーニも同じ技法を使った。1922年8月、ファシストに抵抗して共産主義者ゼネストを起こす。そのときムッソリーニは技術者と専門労働者からなるファシスト部隊を組織し、これを蹴散らした。


 「最近のミャンマーのクーデターも基本的に同じ構図だ」と、佐藤さんは書いておられます。
 実際に僕がクーデターを起こすことはないでしょうが、「いまの『国家』にとって、もっとも重要な場所はどこなのか(あるいは、大事なものは何なのか)」を、あらためて考えさせられます。


 この本では、政治家や革命家、思想家の本だけではなくて、文学作品もいくつか紹介されています。
 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は定番としても、倉橋由美子さんの『パルタイ』や村田沙耶香さんの『地球星人』も「常識や価値観を揺さぶる『悪書』」として挙げられているのです。

 『カルロス・ゴーン経営を語る』の項では、晩節を不正疑惑で汚したものの「名経営者であった事実は揺るがない」と述べられています。

 この本を読む解く価値は、「日本の製造業がグローバリゼーションが進むなかで生き残るためには、結局のところ、ゴーン型の経営改革しか選択肢がない」ことがわかるところにあるだろう。
 グローバリゼーションとはすなわち低賃金化の圧力が絶えずかかっている状態のことである。もしその状態で国内製造にこだわるのであれば、リストラによる人件費の削減、販売ルートの整理、下請け・孫請けの解消による合理化など徹底した効率化しかない。とくに新型コロナの時代において先進国のメーカーは海外に移していた製造拠点を国内に戻す動きが活発化している。そういう意味でも改めてゴーン型経営を学び直す価値はあると思う。


 僕はこの佐藤優さんの「カルロス・ゴーンさんへの評価」を読んで、なるほどなあ、と思ったんですよ。
 会社の資金の不正流用疑惑および保釈中の国外逃亡で、イメージがかなり悪化してしまったゴーンさんなのですが、だからといって、破綻寸前だった日産を建て直した時期の経営手法まで全部否定すべきではないのでしょう。

 この本では、「良書」「悪書」でひとくくりにしてしまうのではなくて、「いまの時代では『悪書』とされていても、読むべきところがある本の、要所を忖度なく紹介する」というものなのです。
 ネット社会では、「白黒、敵味方で二極化しやすい」からこそ、こういうスタンスには学ぶところが大きいと思います。


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