- 作者: 宮下洋一
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2019/06/05
- メディア: 単行本
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Kindle版もあります。
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内容紹介
NHKスペシャルでも特集!ある日、筆者に一通のメールが届いた。
〈寝たきりになる前に自分の人生を閉じることを願います〉送り主は、神経の難病を患う女性だった。全身の自由を奪われ、寝たきりになる前に死を遂げたいと切望する。彼女は、筆者が前作『安楽死を遂げた日本人』で取材したスイスの安楽死団体への入会を望んでいた。
実際に彼女に面会すると、こう言われた。
「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は“お守り”のようなものです。安楽死は私に残された最後の希望の光です」彼女は家族から愛されていた。病床にあっても読書やブログ執筆をしながら、充実した一日を過ごしていた。その姿を見聞きし、筆者は思い悩む。
〈あの笑顔とユーモア、そして知性があれば、絶望から抜け出せるのではないか〉日本では安楽死は違法だ。日本人がそれを実現するには、スイスに向かうしかない。それにはお金も時間もかかる。四肢の自由もきかない。ハードルはあまりに高かった。しかし、彼女の強い思いは、海を越え、人々を動かしていった――。
患者、家族、そして筆者の葛藤までをありのままに描き、日本人の死生観を揺さぶる渾身ドキュメント。
僕はこの本の前作にあたる『安楽死を遂げるまで』も読みました。
fujipon.hatenadiary.com
前作で、著者は、実際に安楽死を遂げる前日の患者さんと話をしたり、その瞬間に立ち会ったりもしています。
痛かったり辛かったりするのはわかるけれど、そうやって人と話ができるような状態の時点で、死ななくてもいいのに、とは思うんですよ。
でも、彼らは、「自分で自分の死にかたをコントロールして、ちゃんと周りの人にお別れを言って死にたい」という強い意志を持っている。
「自分の人生の終わりを自分で決められるのも『人権』のひとつなのだ」という考えを持っている人と、「人の命というものは、その人だけのものではない、人は『生かされている』のだ」と認識している人と、どちらが正しいか、決めることができるのだろうか。
著者は「安楽死の現場」に立ち会い、それが「安易な殺人」ではないことを実感しながらも、完全には受け入れられない自分の感情を発見することになったのです。
「家族とのつながりを重視」する一方で、「他人に迷惑をかけたくない」日本人にとって、「安楽死」はあまりにもハードルが高すぎるのではないか。
著者も、前作を書き終えた時点では、安楽死に対して、少なくとも「日本での法制化について、積極的に賛成はしかねる」というスタンスだったようです。
個々の死の現場が、「すばらしい人生の幕引き」のようにみえることはあっても。
『安楽死を遂げるまで』を書いたことによって、著者のもとに、「安楽死を希望する人々」からの問い合わせが少なからず来るようになったのです。
取材者であり、積極的に問題提起をしてきた方とはいえ、そうやって、「死にたい人々から頼られる」というのは、すごく重苦しいことだろうなあ、と考えずにはいられませんでした。
「安楽死したい」という人のなかには、「淋しい」「家族とうまくいかない」「鬱を抱えている」というような、安楽死を行っている団体が掲げている「安楽死を実行する要件」にあてはまらず、他の治療やカウンセリングをまず受けるべきではないか、という事例もあったのです。
そんななかで、著者の元に「小島ミナ」という女性からのメールが送られてきます。
この本は、その小島さんへの取材が主になっています。
小島さんについては、NHKで、2019年6月2日のNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」でとりあげられ、大きな反響がありました。
私は多系統萎縮症(以下MSA)という難病に罹患しています。
今から約3年前に神経内科の医師から告知されました。
私は長らく東京で一人暮らしを送っていましたが、その告知を受けてから慌てて故郷新潟の長姉の所に移り住みました。つまり長姉とその夫の家に。年老いた愛犬がいることで、一人で暮らしていくことを諦めました。
MSAは時間をかけて徐々に全身の機能を無くしていくという病気ですが、2015年11月に愛犬を連れて故郷に帰ったときは、既に呂律がおかしくなっており、酔っ払いのような歩き方をしていました。
愛犬は昨年の10月に天寿を全うしました。愛犬が死に約9か月が経ちます。
現在私は〇〇病院(筆者註・原文は実名)に入院しています。ここは療養所としての機能も持っています。もう歩くことも出来ず、移動は全て車椅子、話すことも不自由で、あまりにも発語不明瞭なため訊き返されてばかりですし、呼吸量の少なさからか、話すことが肉体的にも辛く、痛みまでも感じます。両腕に強い痛みを感じ、震えのために物をまともに掴むこともできませんし、首はグラグラとし、やはり痛みを伴っています。健康な人と比べて全身に異常が表れています。(中略)段々と出来なくなることが増えています。やがては寝たきりとなり、胃ろうと人工呼吸器をつけるようになります。つまり思考を司る大脳を除く全ての臓器は機能を失くしていくのです。
摂取と排泄まで一人でできなくなるとは徹底して酷いと思いました。そして、もっとも切なく感じたのは、ゆっくりと時間をかけて機能を失っていくという病気の性質でした。(中略)1年以内に、寝たきりとなっているかもしれないと思うと恐怖すら感じています。私は寝たきりとなり、排泄も人の世話を受けながら、いつも天井を見つめ、唯一正常な大脳を以て、何を考えているのでしょうか……。
私はこの歳で独身なのです。ですから夫もいなければ子供もおりません。幸せを見届けたい相手もいませんし、その姿を見守っていきたいということもありません。
今までの人生、それなりに楽しんできたと思います。思い残すことはありません。
この「手紙」を読みながら、僕が同じ状況だったら、どうするだろうか、と考えずにはいられませんでした。
たぶん、あの『NHKスペシャル』を観た人たちも、そうだったはずです。
「回復の見込みがなくて、どんどん悪くなっていく一方なら、自分で意思表示できるうちに、死なせてほしい」
「それでも、生きられるだけ、精いっぱい生きていくべきではないのか。もしかしたら、画期的な治療法が発見されるかもしれないし」
どちらかが正解だとも、間違いだとも思えないのです。
小島さんも、再三、安楽死という選択は自分にとっては最良だと思うけれど、他の人には「悪い例」として伝えてほしい、と仰っていたそうです。
相手の立場になって考えてみる、というけれど、とりあえず大きな病気もなく、余命も告知されていない人が、同じような気持ちになるのは困難でしょうし。
著者は、小島さんとメールで、あるいは、面と向かってやりとりしながら、その「安楽死への道のり」を取材していきます。
「積極的に安楽死を薦めるようなことは絶対にしない」というルールに基づいて。
小島さんの強さや弱さ、思慮深さと衝動的な行動、ブログの記事などを読んでいて、僕はずっと、この人は、いま、死ぬべきなのだろうか、と考えずにはいられなかったのです。
このくらいのことができるのであれば、もう少し先伸ばしにしても……
しかしながら、著者は、小島さんのエピソードを語るなかで、「スイスで安楽死するタイミングを逸してしまった人のこと」にも触れています。
日本とスイスの距離は、「安楽死」を選ぼうとしている日本人にとって、「適切なタイミングで死ぬこと」を難しくしている面もあるのです。
人間の病状というのは、予期せぬ経過をたどることが多いものではありますし。
あともうひとつ、こうして著者やNHKに取材されること、ブログに書くことによって、無意識のうちに「安楽死を選ぶ人を演じきってしまう」可能性もあるように感じました。
ただ、もしそういう要素があったとしても、それによって、本人が感じている苦痛がやわらいだり、自分の死に意義を見いだせるのであれば、それも広義の「緩和ケア」だと言えるのかもしれません。
これを読んでいると、いまの医療では、本当に「安楽死しかない」という状況は、そんなに多くはないと思います。
末期がんの苦痛に対しては、緩和医療の専門家が身体の痛みだけではなく、精神的なケアも行ってくれるし、いまわのきわには、セデーションという、薬をつかって眠ったような状態にして苦痛をやわらげることもできます。
それでも、MSAのような徐々に、確実に進行していく病気や、医療では緩和することが難しい精神的な苦痛、「自分らしくあるうちに、周りにちゃんと挨拶をして人生の幕を引きたい」という意思はあって、それは、現代医療では、まだ手が届かないところがあるのです。
安楽死は、「死にたい人を死なせてあげる」という処置ではなくて、前提条件として、「不治の病とそれに伴う耐え難い苦痛があること」そして、「本人の確実な意思表明と家族の同意」が必要ではあるのです。
どんなに本人が希望していたとしても「安楽死を行う医師や、見守る家族」にとっては、大きな後遺症が残ることもあります。
小島の結論はこうだ。
「寝たきりで10年も20年も生きるなんてまっぴらごめんなの」
誰がなんと言おうとも、この信念は変わらないのだろう。他人が変えられようものなら、とっくに変わっていると思う。
これは後に聞いた話だが、ある時、小島は姉たちに次のような発言をしたという。
「たぶん私は、末期癌だったら安楽死は選んでいないと思うよ。だって期限が決まっているし、最近なら緩和ケアで痛みも取り除けると言われているでしょ? でも、この病気は違うの。先が見えないのよ」
闘病生活中、小島は様々な人間の意見に触れ、また書籍も読んできた。同じ病を患いつつも生き続けようとする患者とも意見を交換してきた。しかし、小島に光は見えなかった。そのような彼女を、一体誰が止められるというのか。
私が部屋を出ようとした際、小島がさりげなく言った。
「宮下さん。お願いがあります。どうか、ありのままの私を伝えてくださいね」
彼女の生き方は尊重したい。ただし、同じ症状を抱え、それでも生き抜こうとする患者がいる中で、全員が参考にすべき手本ではないとも思っている。
「ありのまま」って、何なのだろう?
こうして、取材を受けたり、「安楽死」という手段を選んだりすることは、「ありのまま」なのだろうか?
著者は、この取材のなかで感じた疑問や取材相手との諍いも書いていて、その「取材者としての迷い」に、僕は少し救われたような気がします。
本当は、何かを演じずに、死に向かっていける人なんて、いないのかもしれない。
www.nhk.or.jp
(この番組は「NHKオンデマンド」で配信されています)
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