琥珀色の戯言

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【読書感想】番号は謎 ☆☆☆

番号は謎 (新潮新書)

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番号は謎(新潮新書)

番号は謎(新潮新書)

あの番号にはワケがある!
上野駅「13.5番線」はどこへ向かうのか?
●「国道109~111号」はなぜ欠番なのか?
●「交響曲マイナス1番」を書いたのは?
●背番号「1+8」に秘めた男の意地とは?
●「13は不吉」にはじつは根拠がない?
「面白くてためになる」――22の番号のウラを徹底調査!


 世の中にが「番号」が溢れています。
 身近なところでは、電話番号や車のナンバー、道路の〇〇号線にスポーツ選手の背番号。
 良いことが起こるという科学的な根拠が無いのは百も承知なのに、スーパー銭湯のロッカーでは、自分の誕生日や好きなスポーツ選手の背番号のロッカーを探してしまう人は少なくないはずです(僕もそうです)。
 病院やホテルでは「4」は「死」を連想させる縁起の悪い番号だということで、使われないことも多いのです。

 ただしこうしてあまりに忌み数を気にしすぎると、弊害も起きてくる。欧米では中国人に売れないという理由で、13階の他に4階、14階、24階……などを飛ばしたビルも増えてきた。カナダのバンクーバー市では、これでは消火活動などに大いに差し障りが出るとして、正しい階数表示を行うよう通達を出している。縁起をかついだ結果、命にかかわる弊害が出るのでは何もならない。

 たしかに、縁起にとらわれすぎて、数字と実体がかけ離れてしまえば、数字で示すメリットが失われ、かえって混乱してしまいますよね。

 欠番でよく見かけるのは、縁起が悪い数を飛ばす「忌み数」によるものだろう。欧米では13が代表的な忌み数だ。13階がない高層ビルは多いし、13号室であるべき部屋が「12a号室」になっているようなケースも見られる。航空関係は特に縁起を気にするジャンルであり、米軍の戦闘機もF-13は欠番だし、多くの空港で12番ゲートの次は14番になっている。米国のアポロ計画においては、あえて迷信を打破する意気込みでアポロ13号を打ち上げたが、トラブルに見舞われて月着陸を果たせないまま、宇宙飛行士たちが命からがら生還する事態となり、13にまつわる迷信を強化する結果となってしまった。「13恐怖症」を意味するトリスカイデカフォビアtriskaidekaphobia' ギリシャ語で「13」を意味するtriskaidekaと「恐怖症」を意味する「phobia」の合成語)という言葉もあり、アメリカだけで約2000万人の患者がいるというから大変なことだ。
 13が忌み数になったのはなぜなのだろうか。裏切り者のユダがキリストの13番目の弟子であったからとか、キリストが処刑されたのが13日であったからなどいくつかの説があるが、聖書にこうした記述はなく、歴史的にも根拠のある話ではないようだ。


 「忌み数」なんて迷信だよ、と思いはするのだけれど、それを証明しようとしたアポロ13号の苦難を考えると、「その数を避けられるものなら避けたい」というのが自然な感情であるような気がします。
 2000万人も「恐怖症」の人がいるのならば、その人たちをいちいち説得するより、その番号を飛ばしてしまったほうが、手っ取り早いでしょうし。
 なぜよりによって、アポロ計画も「13号」のときに、そんなことになるのかねえ。
 ただし、映画でも描かれていたように、絶望的な状況からのアポロ13号の乗組員たちの奇跡的な生還は「栄光ある失敗」と称えられてもいるのです。


 大概の番号の割り振りには規則性があるのですが、社会情勢の変化に対応していくうちに、その規則性がわかりにくくなってしまうということもあるのです。
 地下鉄の駅の番号なども、新しく駅ができるたびに番号を換えていたら、表示の変更にかかるコストも莫大なものになります。
 最近では、新駅がつくられる機会はそんなに多くないみたいですけど。
 

 では日本の国道番号はどうなっているか。まず1952(昭和27)年には、1号から40号までが「一級国道」として指定を受けた。この時、国道1号から12号までが国土の背骨を成す大幹線となり、13号以降としていわば肋骨のように大幹線と主要都市を結ぶ道が選ばれた。このため、一級国道の多くが、県庁所在地を起終点としている。
 翌1953(昭和28)年には、二級国道として144路線が指定を受けたが、この時には101号から244号の番号が用いられた。一級国道は1~2桁、二級国道は3桁とはっきり差をつけたわけだ。この時は、青森から順に国道番号が付けられ、鹿児島まで南下した後に北海道に戻るという順序が採用されている(沖縄は当時米国統治下)。
 この後、ほぼ10年毎に約50本ずつの国道が追加されていったが、この時は北海道から順に南下する方式で付番された。というわけで、今や国道番号は入り混じっており、もはやほとんど規則性が見えない状態になってしまっている。
 
 1959年(昭和34)年と1963(昭和38)年には、二級国道の一部が一級に格上げされ、国道41号から57号が誕生している。1972(昭和47)年の沖縄返還の際には、琉球政府道1号であった道が国道58号となり、これにて二桁国道は打ち止めとなった。というわけで、59号から100号までは今も欠番のままだ。
 また、二級国道から一級国道へ昇格したことでできた欠番は、多くの場合のちに国道昇格した路線で埋められた。たとえば、名古屋~富山間を結んでいた国道155号は、1959(昭和34)年に国道41号に昇格したことでいったん欠番となったが、1963(昭和38)年に愛知県常滑市~同弥富市を結ぶ道が国道155号に指定され、穴埋めがなされている。
 だが、東北地方にあった109~111号と、九州にあった214~216号は、二桁国道に昇格した後の穴埋めが行われず、今に至るまで欠番状態が続いている。現在では一級国道二級国道の区別も撤廃されたので、欠番が埋まることはもうなさそうだ。

 
 ちなみに、1993年(平成5)年以降は新規の国道指定は行われておらず、著者が関係者に聞いた話では、今後国道が増えることはなさそう、ということでした。
 現在の国道でいちばん数字が大きいのは沖縄にある国道507号で、これで打ち止めになる可能性が高いようです。
 国道の59号から100号までが「欠番」になっているというのは、1号から順番に割り振られていると思い込んでいたので、けっこう意外だったのです。


 スポーツ選手の「背番号」についての、こんなエピソードも紹介されています。

 1936(昭和11)年には7チームによる「日本職業野球連盟」が設立され、プロ野球が産声を上げる。この時は全チームが算用数字の背番号を着けてスタートした。巨人は打順に合わせて番号を振るヤンキース方式を採用、一方ライバルの大阪タイガース(現・阪神)は、名前のイロハ順で背番号を決めていった。ただし若林忠投手は、背番号4番になるところを縁起が悪いとして拒否、空いている中で一番若い番号の18番をつけた。後に若林は「七色の変化球」と呼ばれ、タイガースの初代エースとして活躍する。もし若林が順番通り4番をつけていたなら、18番がエースナンバーという伝統は生まれていなかったかもしれない。

 その中でも10番が(サッカーチームでの)エース番号となったのは、「サッカーの神様」ことペレの活躍によるところが大きい。1958(昭和33)何のワールドカップで、わずか17歳でブラジル代表となったペレは、大会通算6得点を挙げる活躍で母国に優勝をもたらした。以来、10番は各国のストライカーの憧れとなっていく。この時のブラジル代表はくじ引きで背番号を決めており、ペレの10番は全くの偶然であったというから面白い。

 
 「エースナンバー」としてもてはやされるようになった番号を、そのきっかけになった選手がつけたのは「消極的な選択」や「偶然」でしかなかったのです。
 それでも、そのイメージが固まってしまえば、多くの人がピッチャーの「18番」やサッカー選手の「10番」に憧れる。

 番号をつくったのは人間なのだけれど、人間は、けっこう番号に縛られている。
 マイナンバー制度に対しても「人間を番号で管理するのか!」と憤っている人も多いのです。


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