
- 作者:木崎 賢治
- 発売日: 2020/12/07
- メディア: 新書
名音楽プロデューサーが伝授する、全ての仕事に応用自在の仕事術!
沢田研二、吉川晃司から槇原敬之、BUMP OF CHICKENまで。そうそうたるアーティストをプロデュースし、阿久悠や平尾昌晃、松本隆などのクリエイターとも仕事をしてヒットを連発してきたプロデューサー、木崎賢治。
彼によれば、ものづくりの基本は「好きだとかいいと感じたら、実際につくってみること、つくるからこそ見えてくることを徹底分析すること」だという。
70代で現役、まだまだ新しいアーティストと仕事をしている彼の実践的仕事術を惜しみなく披露。
いい作品づくりのためのコミュニケーション術、多くの人に聴いてもらえる工夫、日々の生活で心がけるべきことなどをさまざまなアーティストやクリエイターとのエピソードを例にしてわかりやすく説く。
著者の木崎賢治(きさき・けんじ)さんは、 1946年の音楽プロデューザーです。
沢田研二さんから、槇原敬之さん、BUMP OF CHICKENと、僕が子どもの頃から現在に至るまで、さまざまな人気アーティストのプロデュースを続けている方なんですね。
その木﨑さんが、自らの半生を振り返りつつ、「プロデューサー」、「ものをつくる」という仕事とは、について書かれているのです。
僕はこれを読みながら、プロデューサーって、努力すればなれるというより、生まれつきの才能というか、向き不向きみたいな要素が大きいのではないか、と思ったのです。
僕は行く店にはこだわりがあります。すごくこだわっていると言っていい。レストランでも洋服屋さんでもです。だけどずっと通い続けることはないですね。どこかで雰囲気が違ってしまって飽きてしまい、自然に距離ができてしまいます。
それは、そのお店のスタイルがずっと変わらずにいることで世界観が古くなってしまうとか、反対に肝心のスピリットが変化してしまうとか、そんな理由であることが多いです。僕が受けとめきれなくなってしまうと、さようならすることになるんですね。
だから風来坊のようにいつも店から店へと旅をしているような感覚です。ヤドカリじゃないですが、常に住む家を探している。それは面倒くさいことではあるんですね、また「こんにちは」と一から関係性をつくり上げなければいけないわけですから。
でも、馴染みの店ができてしまうのは、僕にとっては危険信号なんです。行けば同じものが出てくる。その安心にどっぷり浸かってしまうと進化できないでしょう。お店との別れがやってこないと、自分は退化しているんじゃないかという不安に駆られてしまいます。世の中は絶えず進化しています。だから、僕は”常連さん”にはなりません。
僕も別の理由で、お店などで「常連さん」として扱われるのは苦手なんですけどね。
この本には、木﨑さんの「常に変化を求める姿勢」に圧倒されると同時に、努力したらできる、というより、そういう遺伝子が組み込まれている、という感じじゃないと、こんな生き方はできないな、と考えさせられるのです。
若い頃はどんどん新しいものに惹かれていくとしても、ある程度以上の年齢になると、これまで好きだったもの、慣れているものを選びがちになるのが普通なんですよね。こういう「常に泳ぎ続けないと死んでしまう」ような人じゃないと、「新しいものをつくり続ける」ことはできないのです。
プロデューサーになることよりも、プロデューサーとしていろんな人と仕事をして、成功し続けるほうが、ずっと難しそうです。
木﨑さんは、この本のなかで、「アイディアの出し方」だけではなくて、「他者、とくにクリエイターや上司との付き合い方」にも多く触れているのです。
なかなかできるようにはならなくて、40歳を過ぎたぐらいから徐々にやり方が変わっていきました。
昔は「メロディ、このほうがいいんじゃないの」とか「詩、こういうふうにしたいな」とか具体的に言っていたことを、あまり言わないようにしたんです。僕がこれまでいろんな人と仕事をしてきたなかで得た守ったほうがいいこと──メロディや詩をつくるときの原則的なこととか、ギャップがあるほうがおもしろいとか、ヒット曲を出した経験なんかは伝えて、それを枠として捉えてもらって、あとはそのなかで自由に遊んでもらえればいいのかな、と思うようになりました。
歌詞は、僕の言葉と若い人の言葉は違うから、自分たちでいいなと思う言葉で歌ったほうがいいんんですよね。でも大枠として、詩とは何かということは教えてあげたいんです。詩というのは、心で思ったことを絵が見えるように伝えるもの。だから「悲しい」とか「寂しい」といった言葉を使うんじゃなく、悲しいときにどんな気持ちだったとか、周りがどんなふうに見えていたとか、ものとか絵とかそういうものに置き換えたほうがいいよって。そんな話は最初にするようにしています。
曲づくりの自分なりの法則もたくさんあるので、それも必要に応じて少しずつ説明したりしています。
いいもの、新しいものをつくる、のは大事だけれど、周りとうまく協調していかないと、それを世の中に広げていくのは難しい。
そして、自分の立場や相手との関係によって、「適切な伝え方」というのは、変わっていくものなのです。
わかっているつもり、若者たちとうまくやっているつもちでも、自分の立場が上がっているから、相手が気を遣って合わせてくれているだけ、というのも、よくあることですよね。
この本のなかでは、槇原敬之さんが実際に詩をつくっているときの様子が紹介されているのですが、アーティストというのは、こんなふうに「日常」を言葉にすることができるのか、と読んでいて驚かされました。そういう能力を発揮できるのも、木﨑さんのような「それを正しく評価できる人」や「受け取ってくれるファン」がいればこそ、なのですが。
会議のとき、近所の喫茶店から飲み物を出前してもらっていたのですが、あるとき、人数だけ数えて、「コーヒー12杯ね」と注文した社員がいたんです。社長(渡辺音楽出版の渡辺晋さん)はすかさず注意しました。
「ひとりひとり飲みたいものが違うんだから、全員に聞きなさい」と。
クリエイティブな人は、人の好みは千差万別だということを知っているし、それを尊重しようとします。でも、面倒だからという理由もあるのでしょうが、自分の好みを押しつけたり、画一化したりすることに疑問を持たない人もいます。そういう人は想像力が足りないように思います。アートや音楽などはたったひとりの発想が多くの人の共感を得るものです。人と違う個性が元にあることが前提ですから。人と違うことを僕らは大切にしなくれはいけないですね。実はBUNP OF CHICKENがぼくたちと仕事をしてもいいと思ったきっかけのひとつは、これだったそうです。初めて事務所にきたとき、社員がひとりひとりに「なにが飲みたいですか」と訊ねたので、「ああ、ここはクリエイティブな場所なんだな」と思ったと、あとで聞きました。
一見些細なことのようですが、大切なポイントだと思います。
クリエイティブとは何か、クリエイティブな人は、どんなふうに考えているのか。
自分自身が「つくる人」ではなくても、そういう人たちの力を借りなければならない場面も出てくるはず。
木﨑さんの話は、「いろんな人と、うまく仕事をやっていくための心得」としても有用だと思います。
他者への想像力って、大事なんですよね。自分に余裕がないと、すぐに失ってしまいがちだけれども。
僕も子どものころは、自分でボードゲームをつくったり、スーパーカー消しゴムでひとりでレースをやったりしていたのですが、いつから、「自分でつくる」ことをやめてしまったのだろう、と考えながら読みました。
きっと、「クリエイターとしての可能性」を持っている人は大勢いるのだと思います。
でも、ずっとクリエイティブであり続けることは、本当に難しいのだよなあ。

#207『ウド鈴木が今改めて思う皆さんとやっておきたい事に耳を貸してあげる男達!!』
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