琥珀色の戯言

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【読書感想】コミカライズ魂: 『仮面ライダー』に始まる児童マンガ史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

仮面ライダー』に始まり、いまも熱く語り継がれる1970年代を中心としたコミカライズ作品。児童向けテレビ番組を原作としたマンガが多数生まれた時代の実作者が語る、自伝的マンガ史


 小説やマンガなどがアニメや映画になるのは、僕が子どもだった1970年代、80年代の頃から、よくある話でした。
週刊少年ジャンプ』の連載マンガのテレビアニメ化が「特報!」として大々的に誌面でアピールされていましたし、読者の側にも、「人気作品はアニメ化される」というイメージがありました。
 その一方で、映画やドラマ、アニメ、テレビゲームなどのコンテンツから「マンガ化」される、というのも近年では当たり前のことになりました。
 ライトノベル作品は、テレビアニメ化されるのと並行して、あるいはアニメ化に少し遅れてマンガ化されることが多いのです。

 この本の著者は、『ゲームセンターあらし』『こんにちはマイコン』の作者である、すがやみつる先生。
 小学校時代にテレビゲーム、そしてマイコンと出会って魅了され、ゲームやコンピュータの発展とともに生きてきた50歳の僕にとっては、大恩人でもあります。
 『あらし』のおかげで、当時は学校から行くことを禁止されていたゲームセンターに入り浸るようになり、『スペースインベーダー』で「炎のコマ」をやろうとして即死して「僕の100円が……」と嘆き悲しんだこともありましたが。
 あらためて考えてみると、いくら初期のコンピュータとはいえ、人間の手の動きがCPUの処理速度を超えるわけないよね……というか、もしそれでバグが起こっても、プレイヤーに都合がいいバグになるというより、暴走してゲームが動かなくなるだけの可能性が高いと思われます。すがや先生、そんなことは百も承知で描いていたんだろうなあ、でも、あの頃のテレビゲームも、マンガも、「なんでもあり」って感じなのが、当時の僕にはすごく楽しかったのです。

 映画やドラマ、アニメ、ゲームなどがマンガ化されるのも、いまでは当たり前です。そのマンガ化作品が「コミカライズ」と呼ばれるようになったのは2000年代に入ってから──というのは「はじめに」で述べたとおりです。


 その「はじめに」をみると、「コミカライズ」という言葉が一般的に使われるようになったのは2000年以降だそうです。
 僕が子どもだった1970年代から、子どもが読むマンガ雑誌での「テレビアニメのマンガ化」はたくさんあったけれど、その多くは、テレビアニメとタイアップした宣伝目的で、まだオリジナル作品を描かせてもらえない修業中のマンガ家たちの修業の場でした。
 テレビアニメや映画を小説化する「ノベライズ」も、長いあいだ続けられてきましたが、駆け出しの、あるいは売れない小説家たちが、安い印税で出版社から請け負う仕事だったのです。
 新海誠監督が、監督した映画を「ノベライズ」してベストセラーにしているのをみると、「一粒で二度おいしい」とはこのことか、などと、つい考えてしまうのですが。

 この本、「コミカライズの歴史」というよりは、漫画家として生計を立てようと志した若者が、石ノ森章太郎先生の「石森プロ」に入り、石ノ森先生の元で描きまくって学びながら、漫画家として自立していくまでの「すがやみつる自伝」という印象でした。
 史料的に「コミカライズの歴史」が紹介されているというよりは、すがや先生が実際にやってきた仕事を紹介しながら、当時の漫画家の生活ぶりや、石ノ森章太郎という偉大な漫画家のこと、さんざん「絵が下手」と言われながらも、マンガの世界で生き残っていくことができた理由、などが語られているのです。

 石ノ森先生はまさに「本の虫」でした。自宅二階にある寝室は十畳ほどもありそうな広い部屋でしたが、奥に置かれたベッドにたどり着くには、ベッドの高さと同じくらいに床の上に積まれた本の上を移動しなければなりません。積まれていた本はグラグラと不安定なので、先生は四つん這いになってベッドまで移動していたものです。
 ラタンにネームに出かけたときも、帰宅前には桜台駅の書店に寄って、数冊の本や雑誌を買うのが日課になっていました。私の原稿チェックがラタンで終わらないときは、一緒に書店に寄って、それから先生の自宅にタクシーで移動することになります。先生が本を選んでいる間、私が気になる本を見ていると、「その本も持ってきな」と言って一緒に買ってくれることもありました。
 私も本中毒のようなところがあって、監修を受けに行くときの電車やバスの中では、いつも本を携えていました。石ノ森先生は、私が持つ本に目を留めて、「それ、面白かったぞ」などと声をかけてくれることもありました。その頃の私は、ミステリーやSF小説を多く読んでいましたが、先生は、私が読んでいた本は、たいてい先に目を通していたものです。
 石ノ森先生は、深夜三時くらいまでにペン入れを終え、原稿をアシスタントに渡すと、入浴後に寝室に籠もり、寝るまでに最低一冊は本を読むのを日課にしていました。その後、ビデオデッキやレーザーディスクが登場すると、やはり寝る前に、最低一本は映画を見ていたといいます。また、映画館や試写会にも足繫く通い、話題の映画はほとんど見ていました。先生は、「本の虫」であるのと同時に「映画の虫」でもあったのです。


 石ノ森先生の多作・多忙を考えると、よくそんな時間があったなあ、と驚くばかりです。本人にとっては「勉強・研究」であるのと同時に、「本や映画が大好き」ではあったのでしょうけど。
 以前、川崎市にある、「藤子・F・不二雄ミュージアム」を訪れたことがあるのですが、F先生の仕事机もたくさんの本に囲まれていました。そして、F先生は、マンガの中に出てくる単なる背景の植物であっても、きちんと調べたうえで描いていた、というのを知りました。現在、2022年であれば、ネットであれこれ指摘されることもあるかもしれませんが、子ども向けの1980年代のマンガで、そこまで細部に気を配っておられたのです。いや、「子ども向け」だからこそ、丁寧に、間違ったことを描かないようにされていたのです。

真田十勇士』原作者の柴田錬三郎先生がエッセイでこんなことを書いていました。ストーリーの面白さだけでは読者は作者のことを憶えてくれない。江戸を舞台にした時代小説なら、そば一杯の値段がいくらだったかというような雑学をちりばめておくと、読者はそのことを作者名と一緒に憶えてくれるものだというのです。柴田先生は、そうしたことを「読者にお土産を持たせる」と表現していました。

 ホビー、すなわち趣味の世界をマンガなどで描く場合は、生半可な知識をひけらかすと、かえって恥をさらすことになります。「ホンモノ」の情報を描かなければ、その世界に詳しい読者は納得してくれません。小学校でもクラスにひとりくらいは「○○博士」といわれるような物知りがいるものです。そんな「博士」からインチキと指摘されたら、そのマンガは、一瞬にして子どもたちから見放されてしまいます。


 僕は長年、小説やマンガに触れてきて、「メインのストーリーとは関係ない蘊蓄」がやたらと出てくる作品や、「題材へのこだわりや豆知識がメインになっている」作品をたくさんみてきました。そういう作品は、近年になって、さらに増えてきているようにも感じます。
 マンガでいえば、『美味しんぼ』なんて、「食べ物に関する知識とこだわり」をひたすら描き続けていましたし、描かれるジャンルや職業もどんどんニッチなものになってきているのです。
 読者としての僕も、「読むと、少し自分に知識が増えたような気がする作品」を好む傾向があります。

 すがや先生は「漫画家としては、絵が上手いとはいえない」のを自覚し、それゆえに、「画力以外のセールスポイント」を意識し、テレビゲームやマイコンなどのホビーの知識が詰まったマンガや、株の知識が得られる実用マンガに軸足を移していったのです。
 それと同時に、生活の糧を得るための手段として、「コミカライズ」も長い間続けておられ(原稿料はオリジナル作品より安かったみたいですが)、そこで実験的な描写などを試してきました。

 すがや先生といえば、『ゲームセンターあらし』を真っ先に思い浮かべてしまうのですが、この本を読むと、ひとつの大ヒット作品というのは、突然変異的に生まれるのではない、ということを思い知らされます。
 コミカライズで試行錯誤してきた新しい構図やマンガとしての見せかたの工夫と、「読者にお土産を持たせる」ホビーマンガの経験が、『あらし』として昇華されたのです。

 僕にとっては、自分の半生で触れてきたコンテンツがたくさん出てきて、とても楽しい読書でした。
 「創造力が求められる世界で、自分の才能に限界を感じたときのサバイバル術」としても、役に立つ本だと思います。


fujipon.hatenablog.com

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