琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】誰の味方でもありません ☆☆☆

誰の味方でもありません (新潮新書)

誰の味方でもありません (新潮新書)


Kindle版もあります。

誰の味方でもありません(新潮新書)

誰の味方でもありません(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
炎上したいわけではない。でも、つい言いたくなる。みんなが当然のように信じている価値観や正論って、本当にただしいのだろうか、と。いつの時代も結局見た目が9割だし、観光名所はインスタの写真に勝てないし、血がつながっているから家族を愛せるわけじゃない。“目から鱗”の指摘から独自のライフハックまで、メディアや小説など多方面で活躍する著者が「誰の味方でもない」独自の視点を提示する。


 社会学者の古市憲寿さんには、しばしばワイドショーで空気を読まない発言をしてネットニュースに採りあげられる人、というイメージが僕にはあるのです。
 小説を書けば芥川賞候補になるし、なんのかんの言ってもコメンテーターとしての需要は途切れないし、才能はある人なのでしょう。
 『とくダネ!』の司会の小倉さんも、「古市いじり」を楽しんでいるようにも見えますし。

 とはいえ、なんで古市さんに、コメンテーターとして、こんなにニーズがあるのだろう?と僕は疑問だったのです。
 このエッセイ集を読んで、腑に落ちたような気がしました。
 ああ、古市さんは、「言いたいこと、思いついたことをそのまま口にしてしまうがちな人」だけれども、逆に、他人からけっこうキツイことを言われても根に持ったり、あとで復習したりすることもなく、「こちらからも駆け引きなしで言いたいことをいいやすい相手」なんだろうな、って。
 『とくダネ!』のあの「小倉シフト」のなかで、小倉さんという権威に傍若無人な態度をさらりととれるのは、貴重な存在でもあります。

 林真理子さんから「古市くん、ママ活しますか」というLINEが来た。フグの名店、味満んに連れて行ってくれるという。グループLINEでの会話で、もちろん冗談なのだが、ふと思い出したことがある。
 僕はマネーフォワードという家計簿アプリを使っている。クレジットカードと連携していて、明細を自動的に「交通費」「書籍費」などと分類してくれるのだ。そのアプリを見返していたのだが、ある月の食費がたったの5000円だったのである。
 自分でもびっくりした。ベテラン主婦のように、スーパー巡りをして節約に励んだわけではない。一体何があったのか。
 カレンダーを見て答えがわかった。毎晩のように誰かと食事をしていて、一切自分でお金を払っていなかったのである。ある日は出版社に接待され、ある日は友だちにフグをおごられ、ある日はパーティーに参加して、という具合だ。
 昼間はもっぱら備蓄したチョコレートで暮らしているため、食費はほとんどかからない。唯一払った5000円は、スターバックスカードへのチャージ代である。
 自分でもひどい話だと思う。林さんには「あなたは無意識にパパ活ママ活してる」と言われた。確かに、性的サービスこそ提供していないが、本当によく色んな人にご飯をおごってもらう。

 
 古市さんは、若者たちにとっての「若者の代弁者」ではなくて、権力者や年長者が「若者に理解がある」ことを示したいときに都合の良い存在なのかもしれません。「社会学者」だし、「テレビにコメンテーターとして、よく出演している人」だし。
 でも、ここまでくると、「社会学者」というより、「太鼓持ち」みたいなものではないか、という気もします。

 古市さんが、「気軽におごられてくれて、後腐れもない人」だからこそ、お誘いがかかりやすい、というのもあるのでしょう。
 そこで、貸し借りとか、人脈とかにつなげようという野心が透けてみえる人は、誘う側も警戒するのではなかろうか。

 初めて安倍昭恵さんと会ったのは、もう6年以上前のことだ。慶應義塾大学のイベントで知り合い、僕の『絶望の国の幸福な若者たち』という本を渡した。
 数日後、彼女はフェイスブックに僕の本の感想を書いてくれた。さらに「日本なんて終わってもいい」という、本の中で一番過激なページの写真もアップされていた。当時は自民党が野党だった時代。時代錯誤な憲法草案を発表したり、今よりもずっと右に偏って。昭恵さんのフォロワーにも、非常に保守的な人が多かった。結果、コメント欄は大荒れになる。「日本なんて終わってもいい」とは何事だ、というわけだ。
 ほどなくして昭恵さんから食事に誘われた。そのメールには、私は本の内容に共感したけれど、あのような形で紹介してしまってごめんなさい、とも書いてあった。20代の若者に対しても、対等に接してくれる人なのだと思った記憶がある。
 昭恵さんに連れていってもらったのは、「たまにはTSUKIでも眺めましょ」というオーガニックバーだ(2018年に閉店)。店主の高坂勝さんは、脱原発派であり、思想的には反アベ。そこでどんな乱闘が始まるのかと思ったら、高坂さんと昭恵さんは完全に意気投合していた。
 その後、昭恵さんは二度目の「総理府人」となったが、パワフルに活動を続けた。交流を続けてわかったのは、彼女が本当に純粋な無私の人ということである。少なくとも利害やイデオロギーで人付き合いはしない。
週刊文春』は悪意を込めて「善意の怪物」と表現したらしいが、あながち間違いではない。森友学園の名誉校長が話題になったが、昭恵さんは一時期、何と五十近くの名誉職を引き受けていたという。「社会のため」と言われれば断れない性格なのだろう。


 こういうことを自分の体験をもとに書けるのは、古市さんならでは、なのでしょうし、だからこそ、権力側のスポークスマン的な役割を、本人も自覚しないまま務めているのではないか、という気もするんですよ。
 みんなにごちそうをおごってもらって、月の食費が5000円なら、そりゃ「幸せ」だろう、とも思いますし。

 伊藤洋介という男がいる。色黒で黒縁眼鏡の50代。いかにも業界人らしい見た目である。新卒で入った山一證券時代に秋元康プロデュースのシャインズとして歌手デビュー、その後もサラリーマン生活を続けるかたわら東京プリンとしてヒットを飛ばしてきた。平成が終わろうとも「バブル」を生きるリアル平野ノラである。
 この伊藤さん、大変な人気者。毎晩のように会食が入り、権力者たちとの社交を繰り広げている。実は彼、参議院選挙に2回立候補して、2回とも落選している。正直、彼のワガママに付き合って、迷惑を被っている人も多いと思う。
 しかしなぜ、彼の周りには人が絶えないのか。その理由を最近、伊藤さんとの共通の友人(もちろん偉い人)が言い当ててくれた。
 人生で努力をしてないから、他人のことを嫉妬しない。だから付き合いやすいというのだ。
 成功者たちは日々、嫉妬の中を生きている。同じ業界の人から陰口を叩かれたり、根も葉もない噂を立てられたりというのは日常茶飯事だろう。だから嫉妬をしない伊藤さんがモテるというのはよくわかる。
 ある売れっ子の女性学者は、雑誌の撮影でスタイリストが用意したディオールのジャケットを着ただけで、売れない研究者たちから叩かれていた。
 奨学金で大学に通う苦学生の気持ちを考えろとか、ブランドに頼るのは自信のない人がやることとか、とんでもない反応の数々に笑ってしまった。
 別に清貧を気取る学者がいてもいいが、それは他人に強要することではない。もし苦学生うんぬんの話をするなら、学費が下がるような社会活動をしたり、せめて自分の著書を無料で公開したり、できることはたくさんあるはずだ。そもそも研究者なんだから、ファッションではなく、研究成果で勝負しなさいよ、と思ってしまう。
 嫉妬する人は、それが嫉妬であることを認めない。「うらやましい」と口に出してくれる人はマシだ。嫉妬は、仲間外れや嘘の拡散など、もっと陰湿な形を取ることが多い。


 古市さんも、そういう「他人のことを嫉妬しない人枠」で、権力者たちから愛されているのだろう、と僕には思われるのですが、その古市さん自身は、多くの人から「嫉妬されている」と感じているのでしょうね。

 個人的な好みを言えば、「そういう太鼓持ちでいられるのも『才能』なんだろうけど、僕は嫌い」なんですが、この本は、今の時代をうまく渡っていける人の考え方を知るためには、けっこう有用なテキストではないか、と思うのです。


だから日本はズレている(新潮新書)

だから日本はズレている(新潮新書)

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