- 作者: 大木毅
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2019/07/20
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。
日本に生まれ、日本で生きてきた僕にとっては、第二次世界大戦についての知識の多くは、太平洋戦争に関するものなのです。
ヨーロッパで行われていた戦争については、知識としては持っていても、映画とかシミュレーションゲームの題材として、というのが実感です。
独ソ戦、ヒトラーのドイツとスターリンのソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)との戦いは、第二次世界大戦のターニングポイントであり、最大の激戦でもありました。
僕はこれまで、「ドイツのファシズムとソ連の共産主義とのイデオロギーの激突」だと思っていたのですが、この本を読むと、この戦いにはそれだけではないさまざまな側面があり、だからこそ、多くの犠牲者が出る泥沼の状況になっても、ドイツも退くことができなかったということがわかります。
独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。そのため、独ソ戦の惨禍も、日本人には想像しにくいような規模に達した。
まず、比較対照するために、日本人の数字を挙げておこう。1939年の時点で、日本の総人口は約7138万人であった。ここから動員された戦闘員のうち、210万人ないし230万名が死亡している。さらに、非戦闘員の死者は55万ないし80万人と推計されている。充分に悲惨な数字だ。けれども、独ソ両国、なかんずくソ連の損害は桁がちがう。
ソ連は1939年の段階で、1億8879万3000人の人口を有していたが、第二次世界大戦で戦闘員866万8000ないし1140万名を失ったという。軍事行動やジェノサイドによる民間人の死者は450万ないし1000万人、ほかに疾病や飢餓により、800万人から900万人の民間人が死亡した。死者の総数は、冷戦時代には、国力低下のイメージを与えてはならないとの配慮から、公式の数字として2000万人とされていた。しかし、ソ連が崩壊し、より正確な統計が取られるようになってから上方修正され、現在では2700万人が失われたとされている。
対するドイツも、1939年の総人口6930万人から、戦闘員444万ないし531万8000名を死なせ、民間人の被害も150万人ないし300万人におよぶと推計されている(ただし、この数字は独ソ戦の損害のみならず、他の戦線でのそれも含む)。
このように、戦闘のみならず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられたのである。人類史上最大の惨戦といっても過言ではあるまい。
太平洋戦争での日本の犠牲は甚大なものでした。
しかし、この数字をみると、独ソ戦、とくにソ連では、あの戦争で亡くなった日本人の7倍から9倍の人が命を落としているのです。
もともとの人口が3倍近くあるとはいえ、途方もない犠牲者数だとしか言いようがありません。
この新書では、独ソ戦がその開始から終わりまで、時系列で書かれているのですが、ドイツのソ連への宣戦は、ヒトラーの独断専行ではなく、ドイツ国防軍の意向もあったそうです。
当時のソ連は、スターリンが自分の権力を確立するために、政敵たちをどんどん粛清し、軍部の有能な人材が枯渇していました。
ドイツは、そんなソ連の状況をみて、軍がこれだけひどい状態で、優秀な指揮官や下士官が枯渇しているのなら、一気に攻めれば勝てる、と踏んでいたのです。
ところが、ソ連はその国土の広さと気候を武器にし、ドイツの侵攻によってかえってまとまりを見せ、大きな犠牲を払いながら精強なドイツ軍に抵抗していきました。
僕はこの本を読みながら、もし、ドイツが不可侵条約を破って侵攻してこなければ、ソ連はスターリンの恐怖政治に耐えられず、瓦解していた可能性もあるのではないか、とも思ったのです。
権力を握ったヒトラーは、国防軍の再軍備を開始し、アウトバーンの建設などの公共事業を進め、不況からの脱出を目指したのです。
しかしながら、軍備拡張と国民の生活を豊かにする、という「二兎」を追うのは現実的には難しい。
それでも、第一次世界大戦の末期に国民生活の逼迫から革命が起こり、帝国が崩壊した経験から、ドイツ国民に犠牲を強いるリスクをナチスは知っていたのです。
第2次世界大戦でのドイツの侵略は、ヒトラーの野心によるものだと考えられがちだけれど、実際は、内政的、経済的な問題が大きかったのではないか、と著者は指摘しています。
外交ではなく、内政において「危機」が生じたのである。通常、こうした場合に取られる対応は、軍需経済への集中を緩和し、貿易の拡大をはかるか、逆に、より厳しい統制や国民の勤労動員強化でしのぐかのいずれかであろう。ところが、「大砲かバターか」ではなく、「大砲もバターも」の政策を選んだナチス・ドイツ政府には、どちらの措置も不可能だった。
結果として、彼らは、第三の選択肢へと突き進んでいく。他国の併合による資源や外資の獲得、占領した国の住民の強制労働により、ドイツ国民に負担をかけないかたちで軍拡経済を維持したのだ。むろん、そうした内政的要因に推進された領土拡張政策は、他国との紛争をエスカレートさせていくものだが、ナチス・ドイツは「危機」克服のため、戦争に突入せざるを得なくなっていたのである。
こうして、第二次世界大戦ははじまった。やや折衷論的な説明が許されるならば、ナチス・ドイツは、独裁者ヒトラーの「プログラム」とナチズムの理念のもと、主導的に戦争に向かうと同時に、内政面からも、資源や労働力の収奪を目的とする帝国主義的侵略を行わざるをえない状態に追いつめられていたのだといえよう。事実、フランスなどの諸国を制服したのちのドイツの占領政策は、資源や工業製品の徴発、労働力の強制動員といった点を強調したものとなる。そのおかげで、ドイツ国民の生活は、戦時下であるにもかかわらず、1944年に戦争が急速に攻勢に傾くまで、相対的に高水準を維持していた。彼らは、初期帝国主義的な収奪政策による利益を得ていることを知りながら、それを享受した「共犯者」だったのである。
戦争責任をヒトラーに集中させることで、戦後のドイツはなんとか平常心を保とうとした面はあるとしても、ドイツの国民がナチスの政策から受けていた恩恵についても、著者は言及しているのです。
ドイツでは、占領地から収奪した物資を本国に移送することにより、敗色濃厚になるまで、戦時下でも人々は比較的豊かな生活をしていたのです。
おそらく、「共犯者」なんて意識はなかったとは思いますが、この戦争に負けてしまえばいままで得てきたものが失われる、あるいは、奪ってきた相手から復讐される、という恐怖感はあったのではないでしょうか。
この新書を読むと、独ソ戦のかなり初期の頃から、ドイツ軍は個々の戦闘には勝利しても損害が激しく、ソ連に短期間で勝つのは難しい、あるいは勝てない、と悟った軍人も少なからずいたようです。
この激烈な消耗戦は、途中からは、どちらもフラフラになり、決定打を出す力もなくなっているのに、だからこそ決着がつかずにリングから降りられずにパンチを撃ち合っているボクサーの勝負のようになってしまいます。
それでも、ドイツには、というか、ナチスが権力を維持していくためには、「戦って、奪い続ける」しかなかった。
著者は「終章」で、独ソ戦について、こう述べています。
ドイツが遂行しようとした対ソ戦争は、戦争目的を達成したのちに講和で終結するような19世紀的戦争ではなく、人種主義にもとづく社会秩序の改変と収奪による植民地帝国の建設をめざす世界観戦争であり、かつ「敵」と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争でもあるという、複合的な戦争だったことが理解されるであろう。
最初、対ソ戦は、通常戦争、収奪戦争、世界観戦争(絶滅戦争)の三つが並行するかたちで進められた。しかし、この三種類の戦争が重なるところでは、国防軍による出動部隊の支援やレニングラードへの飢餓作戦などの事象がすでに現れていた。続いて、通常戦争での優勢が危うくなると、収奪戦争と絶滅戦争の比重が大きくなる。さらに敗勢が決定的になり、通常戦争が「絶対戦争」に変質した。しかも、それは、絶滅戦争と収奪戦争に包含され、史上空前の殺戮と惨禍をもたらしたのである。
これに対し、ソ連にとっての対独戦は、共産主義の成果を防衛することが、すなわち祖国を守ることであるとの論理を立て、イデオロギーとナショナリズムを融合させることで、国民動員をはかった。かかる方策は、ドイツの侵略をしりぞける原動力となったものの、同時に敵に対する無制限の暴力の発動を許した。また、それは、中・東欧への拡張は、ソ連邦という、かけがえのない祖国の安全保障のために必要不可欠であるとの動機づけにもなったのであった。
日本でも、みんな「知っている」けれども、何を知っているかと問われると、第二次世界大戦のターニングポイントとなり、ヒトラーが負けた戦い、というくらいに留まってしまう「独ソ戦」。
それを新書一冊で概観できる、かなりの労作だと思います。
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