- 作者:中谷 功治
- 発売日: 2020/06/22
- メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
アジアとヨーロッパをつなぐ首都コンスタンティノープルを中心に、千年以上にわたる歴史を刻んだビザンツ帝国。ローマ帝国の継承国家として地中海に覇を唱えた4世紀頃から、イスラム勢力や十字軍に翻弄される時期を経て、近代の到来目前の1453年に力尽きた。賢帝や愚帝がめまぐるしく登場し、過酷な政争や熾烈な外交および戦争を展開する一方、多様な文化が花開いた。波瀾万丈の軌跡をたどり、この帝国の内実を描き出す。
「395年、ローマ帝国が東西に分裂」。
「サク(柵:39)こ(5)しらえて、ローマ分裂」なんて覚え方をしていたよなあ。
世界史では、ローマ帝国が東西に分裂したあと、その後の西ローマ帝国の滅亡と西ヨーロッパ世界の変遷は比較的詳しく習った記憶があるのですが、「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のその後については、あまり勉強した記憶がないのです。
その後のビザンツ帝国は、十字軍のときと、1453年にコンスタンティノープルが陥落するときくらいしか僕の世界史の記憶には残っていません。
実際は、教科書にはけっこうちゃんと載っているのに、僕が勉強していないか忘れてしまっただけ、という可能性も高そうではあるのですが。
僕が使っていた山川の世界史の教科書って、大人になって読み返してみると、限られたページのなかに、体系的な歴史が詰め込まれていることに驚かされますし。
とはいえ、分裂してから1000年以上も続いた国家がどんな歴史を辿ってきたのか、というのは、歴史好きにとっては気になるところではあります。
20世紀を代表するビザンツ史家オストロゴルスキーは、ビザンツ帝国を次のように定義した。「ヘレニズム的東方に位置する、キリスト教化されたローマ帝国」。言いかえるなら、コンスタンティノープル(現イスタンブール)を首都とし、キリスト教を国教とするローマ帝国の継承国家、となるだろうか。
この千年以上にわたるビザンツの歴史を、研究者たちはおおむね三つの時代に分けてきた。初期は、地中海を「われらの海」とした古代ローマ帝政の後半部、つまり4世紀のコンスタンティヌスから6世紀のユスティニアヌス1世の後継者たちの治世まで。中期は、7世紀のイスラムの地中海世界進出に始まり、幾多の荒波を乗り越えたビザンツ帝国が第4回十字軍の攻撃により解体する1204年まで。そして後期は、首都コンスタンティノープルを奪還して復活したビザンツがその存続をかけて奮闘しつつも、近代の到来を目前に消滅するにいたる200年ほどの衰亡期である。
いや正直、ユスティヌスとユスティニアヌスとか、(僕にとっては)紛らわしい名前の皇帝がたくさん出てきたり、動乱の時代には、次から次へと皇帝が替わったりしていくので、読んでいて、かなり混乱してしまうんですよ。
1000年の歴史を300ページくらいの新書にまとめているので、駆け足で皇帝の代替わりを追っていくので精一杯、ということころもあります。
いちばん印象に残ったのは、ビザンツ帝国では、帝位を争う人たちの間で、「摘眼刑」というのが頻繁に行われていたのだな、ということでした。
本当に眼球を摘出していたのか、何らかの方法で見えないようにしていたのかは不明ですが、少なくとも東洋や西ヨーロッパでは、偉い人に課せられる刑罰としては、あまり見かけない気がします。
眼が見えなければ、権力争いをするのは難しそうなのですが(この刑を受けてから皇帝に復位した人の話も出てきます)、処刑でも幽閉でも追放でもない、というのは文化の違いなのかもしれません。
ビザンツ帝国では、イコノクラスム(聖像破壊)という運動が、とくに8世紀から9世紀前半にかけて激しかったそうです。
イエスをはじめとする聖なる画像(イコン)を『旧約聖書』で禁じられた「偶像崇拝」として撤去しようとし、イコンを崇める人々を迫害した皇帝たちと、それに抵抗した人々との長い争いをみると「見ること」に対して、ビザンツ帝国では、かなりこだわりを持っていたのかもしれません。
多くのビザンツ帝国の皇帝が、頻繁に軍勢を率いて遠征をしています。
それだけ外征をしていたにもかかわらず、この帝国は1000年近くも続いていたわけで、イスラム教世界と西欧世界の緩衝地帯のような立場で、うまく生き延びてきたのです。
あと、現在伝えられている「歴史」の多くが、ビザンツ帝国を経由しているというのを、この本ではじめて知りました。
コンスタンティヌス7世(在位913-959)は、ビザンツ帝国の皇帝のなかでは例外的な存在で、生涯遠征に出ることはなく、古今のさまざまな書物を整理、体系化し、当時の儀式についての細かい資料なども残しているのです。
コンスタンティノス7世の名前を冠した著作の数と内容には驚かされるばかりだが、さらに壮大な規模で構想された企画も紹介しておく。それはこの皇帝の歴史への思い入れの集大成とでも言うべきもので、彼が生きた10世紀半ばの時点で帝国に残されていた歴史にかかわる書物をすべて探し出し、それらから集めた情報を53の主題ごとに分類・編纂するという事業である。この成果は一般に「コンスタンティノス抜粋」として知られる。
残念ながら、「コンスタンティノス抜粋」で完全に現存するのはたった一巻のみである(『徳と悪徳について』)。他には『格言について』が約半分を残して改作されるかたちとなり、さらに三作品(『ローマ人の使節について』『外国人使節について』『伏兵について』)は重要部分のみが伝わる。それ以外は、皇帝・戦争・政治・教会・地理・レジャー・文学・道徳など、いくつかタイトルが判明するだけである。
「現在に完全な写本が残る古典作品の多くが10世紀のものであることは特記しておきたい」と著者は述べています。ホメロスやヘロドトス、トゥキュディデスの著作は、ビザンツ帝国の写本編纂事業がなければ、どこかで失われていた可能性があるのです。
自ら軍を率いて対外戦争に乗り出した皇帝が多いビザンツ帝国のなかで、異端だった「記録マニア」の文人皇帝が、「世界の歴史を記録する」という点で、大きな役割を果たしたことになります。
ところで、21世紀の現代においてビザンツ史を学ぶ意義はどこにあるのだろうか。研究にたずさわる者として、あれこれ理屈をこねることはできるが、それらはビザンツの歴史は輝かしい栄光に彩られていたというよりは、領土的にはたび重なる縮小を経験しつつも、時代ごとの状況に柔軟に適合しつつ、それでいて一本筋を通して数世紀にわたり生き残った、という点である。
そのことは、直接には縁もゆかりもない日本という国の今後を考えるうえでヒントとなるような気がする。右肩上がりの経済成長への未練ではなく、ダウンサイジングしつつも自信を喪失せずにしぶとく生き残る、これである。もちろん、どうしたら滅亡しないかも考えつつであるが。
名前はみんな知っているけれど、どんな国なのかはほとんど知られていないビザンツ(東ローマ)帝国。こんな歴史を持つ帝国もあったのだなあ、と歴史の奥深さ、多彩さをあらためて感じることができる本だと思います。
- 作者:井上 浩一
- 発売日: 2008/03/10
- メディア: 文庫