琥珀色の戯言

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【読書感想】日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
いまだ解けない謎を「科学」で読みなおしたら。文永の役で日本を危機に陥れた蒙古軍は、なぜ進撃を続けず、一夜にして兵を引いたのか?明智光秀を討つために羽柴秀吉が中国地方から高速で戻った「大返し」は、なぜ実現できたのか?莫大な国家予算を投入して建造された戦艦大和は、なぜほとんど出撃しないまま沈没したのか?エンジニアが「数字」を駆使して謎に迫る!


 著者は、長年船舶の設計士として活躍された方で、2019年公開の映画『アルキメデスの大戦』では製図監修を担当、戦艦の図面をすべて手描きで作成したそうです。
 この本では、「船の設計上、運行上の問題点」から、元寇、秀吉の「中国大返し」「戦艦大和」について分析されています。

 元寇に関しては、船で押し寄せてきた蒙古の大軍に対して、昔ながらの名乗りをあげて一対一で戦う、という戦法の日本の武士たちは大苦戦したが、「神風」で停泊中の蒙古の軍船が大きな被害を受け、奇跡的な勝利を得た、ということに長い間なっていたのです。
 それが、「日本は神国である」とか「神風」なんていう一種の信仰の拠り所になってもいました。
 しかしながら、近年の研究では、当時博多で防衛にあたった武士たちも昔ながらの戦法ではなく、集団戦法を採用し、船での長旅で疲弊していた元軍を苦しめていた、と言われているそうです。


 著者は、蒙古軍が300隻の軍船で博多湾に侵入し、一気に防衛側の武士たちを打ち破った、というのは非現実的だと、そのときの状況をシミュレーションしながら説明しています。

 大型船は座礁のおそれがある浅い湾には停泊できず、300隻もの船がお互いに衝突しないためには、かなり広いスペースが必要となります。
 沖に投錨して、小型の船で兵士たちは上陸することになるのですが、これだけの人数と補給物資の移動には、かなりの時間がかかるのです。

 さて、こうして300隻の軍船の上陸艇をすべて海に降ろしてから、ようやく上陸の作業が始まります。上陸艇に兵士を乗せ、水汲み艇に軍馬、武器、食糧、水などを載せて上陸し、進軍の足場となる橋頭保を確保し、また軍船に戻って次の兵士と物資を積んで……という往復を繰り返さなくてはなりません。物資の量はどのくらいだったかを試算すると、かりに一個大隊規模の兵士400人が2日間、進攻する場合、標準的な兵站で食料は1.4t、水は1.6tが必要とされています。それをあてはめると、蒙古軍2万6000人は400人の65倍なので、食料は91t、水は104.6tとなり、さしあたり荷降ろしする2日分の合計で200t近くになります。また、軍馬は前述したように、全軍で5頭でした。
 では、上陸艇でこれだけの兵と物資を輸送するのには、どれだけの時間がかかるのかを考えてみましょう。
 まず、上陸艇が往復する船団と浜の間の距離はどのくらいなのかを求めます。図1‐22に示したように、船団の1列目(いちばん浜に近い列)から浜までは、安全を期して1㎞の距離をとっています。船団を通り抜けるために進む距離は、1列目から最も遠い5列目までが0.5㎞なので、平均をとって0.25㎞とします。したがって上陸艇は片道が平均で約1.25㎞、往復では平均で約2.5㎞の距離を走ると考えられます。
 次に、上陸艇が1往復するのにかかる時間を計算します。往路では1隻に12人の兵士を載せるので復路よりスピードが落ちることも考慮し、往復の平均の速さを時速4㎞と想定します。すると往復の航行時間は、2.5(㎞)÷4(時速)=0.63(時間)で、約38分となります。また、兵士の乗り降り、荷物の積み降ろしに各5分、合計20分はかかると見積もります。結局、38+20=58(分)となるので、上陸艇の往復にかかる時間は平均でほぼ1時間とみなせます。
 この設定で、できるだけ多くの上陸艇を動かせるようシミュレーションしながら、上陸艇が兵士全員を上陸させるには何往復が必要か計算してみたところ、10往復という結果が出ました。つまり、すべての兵士が上陸するには、約1時間×10=約10時間かかることになります。


(中略)


 さきほど示した博多湾侵入から上陸までのタイムテーブルでは、上陸開始は旧暦10月20日の午前6時ですから、すべてが終わる時刻は単純計算では午後4時となってしまいます。この季節では、もう暗くなりはじめているはずです。
 しかも、この見積もりは、積み下ろしの作業だけに専念することができる状況でのものです。実際には、日本の武士団はすでに迎撃態勢を整えつつありました。そのようななかでの敵前上陸ですから、非常に神経をつかわなくてはなりません。そのうえ多くの兵士が船酔いのために体力が弱っていたとあれば、なおさら作業は滞るでしょう。


(中略)


 結論として、蒙古軍はこの日のうちに全軍を上陸、進軍させることはできなかったと考えられます。少なくとも、従来の通説のように、蒙古軍は早朝に侵入するや全員が上陸し、すぐさま武士たちと戦って集団戦で殲滅した、というストーリーがいかに非現実的であるかはおわかりいただけるのではないでしょうか。


 「歴史の『通説』に物申す!」という研究者の本って、けっこうたくさんあるのです。感心せずにはいられないものもあれば、「それはあなたの思い込みで歴史上の人物を動かしすぎなのでは……」と思うものも少なからずみられます。
 その中で、この本は、「さすが、『ブルーバックス』に収められただけのことはあるな」という、ひたすらデータ重視で、万事、そのとき、人や物資はどう動いたか、というのをきわめて詳細に分析しているのです。
 たしかに、何万単位の大軍が、そんなに短時間で自由自在に動けるわけがない。ましてや、上陸作戦となれば、沖に停めた船から陸への輸送というのが、こんなに大変なものなのか、と思い知らされることになるのです。毎日船に戻って休んだり食事を摂るわけにもいかないから、物資も一緒に上陸しなければならないわけですし。
 さらに、上陸してくるタイミングは、防御側にとっては絶好の迎撃のチャンスです。
 この本を読んでいると、蒙古軍の遠征計画を立てた担当者は大変だっただろうなあ、と考えずにはいられなくなるのです。
 そして、船で他国に遠征して征服する、というのが、どのくらい難しいか、ということも。


 秀吉の「中国大返し」にしても、これまでは、「織田信長への忠誠心(あるいは秀吉自身の天下取りへの野心)で、不可能を可能にした」ということで納得していたのですが、あらためて考えてみると、末端の兵士たちにとっては、「無理なものは無理」ですよね。数万もの軍勢が動くためには、食料や水、寝る場所、馬の飼料など、さまざまな準備が必要ですし、秀吉と同じレベルでの「思い」を足軽たちが持っているはずもありません。
 著者は、さまざまな可能性(秀吉自身は軍勢とは別に船で移動し、とにかく少しでも早く明智光秀追討の旗頭となり、現地で味方を集めた、という可能性もあるようです)を検討していますが、いずれにしても、思いつきや気持ちの力だけでできるような軍事行動ではなく、秀吉が事前に準備をしていたのではないか、とも考えられます。となると、本能寺の変を予知していた、あるいは、秀吉自身が光秀の反逆になんらかの形で関与していたのかも……
 結局のところ、当時のニュース映像が残っているわけではないし、正確な記録が残されているわけではなくて、本当に「秀吉の熱が全軍に波及して、不可能を可能にした」可能性もあります。
 当時の史料そのものが後世の人によって書き換えられていたり、いいかげんなものだったりすることもありえます。
 こういうことをあれこれデータをもとに想像してみるのは、けっこう楽しい。
 
 僕は最近、ローランド・エメリッヒ監督の『ミッドウェイ』を観たばかりだったので、「戦艦大和」の話も興味深かったのです。

fujipon.hatenadiary.com


 著者は、莫大なお金を使って建造したにもかかわらず、太平洋戦争で大きな戦果をあげることができずに最後は「特攻」であえなく沈んだ戦艦大和を「時代錯誤」「大艦巨砲主義の落とし子」と批判する声に対して、「大和をつくったこと自体は、決して明らかな間違いではなかったと思われます」と書いています。
 大和が計画された1934年当時は、海戦では戦艦が主役であり、大和は射程距離が長く、強力な主砲で敵をより遠く、相手の射程外から撃つことができる、はずでした。
 ところが、真珠湾攻撃マレー沖海戦で、日本軍が航空機による爆撃で大きな戦果をあげたことで、海戦の戦略が大きく変わってしまったのです。
 戦艦中心から、航空機と空母が重視されるようになりました。

 繰り返しますが、当時の日本海軍の基本戦略はアウトレンジ戦法であり、あらかじめ敵の戦力を削っておいてから最後は大和を主体とする艦隊決戦を挑んで勝利するというものでした。将棋にたとえれば、強力でリーチが長い大駒の飛車は後方に控え、まずは銀将、桂馬、香車、歩兵といった小駒で攻撃してできるだけ有利な態勢をつくったのちに、最後に飛車でとどめを刺すという考え方です。
 しかし、現実には、航空機と空母は戦争の前半で多くが失われただけでなく、巡洋艦駆逐艦までが設計上の問題もあって次々に沈められました。もはや当初の戦略が成り立たなくなったことは、ある段階からは誰の目にも明らかだったはずです。
 にもかかわらず軍の指導部は、”虎の子”の大和を無防備な状態で戦場に出して失うことをおそれ、後方に温存しつづけたのです。終戦直前まで残った大和が、最後は落とし前をつけるためだけとも思われる沖縄特攻に出撃し、沈没したのは無残というほかありません。
 世界最大の大和は、ただの飛車ではなかったはずです。飛車がさらに強力になった盤上最強の駒、竜王こそたとえるにふさわしいでしょう。これを使いきれず、むざむざと後方に置きつづけて遊び駒にしてしまったことが、海軍の大きな罪だったのです。


 映画『ミッドウェイ』でも、山本五十六連合艦隊司令長官が乗った「大和」が、ミッドウェイの戦場から離れた位置にいて、結果的に戦闘に参加しなかったことが描かれています。劇中では、山本長官は、緒戦で空母を沈められたあと、敵艦をおびき寄せて大和の砲撃で攻撃しようとするのですが、その作戦は実現しませんでした。

 太平洋戦争がはじまった直後の、日本の航空戦力が十分にあった時期であれば、大和をもっと有効に使えたはずなのですが、結局、まだ戦況が有利だから、大和が沈んだら大変だ、と「切り札」として取っておくうちに、どんどん大和は活用が難しい状況に追い込まれていったのです。
 
 著者は大和に使われた技術が戦後の日本で活かされていることや、大和の存在は戦争中は極秘にされており、ほとんどの国民は、1952年の吉田満さんの小説『戦艦大和の最期』で、その存在を初めて知った、ということも紹介しています。

 「船と人を動かす」という観点から、データに基づいてさまざまな分析がされていて、歴史好きには(船舶好きにも)すごく楽しめる一冊だと思います。


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