Kindle版もあります。
(こちらは無料お試し版)ある世代以上の芸人は全員、絶望を経験している。
なぜなら、一番面白くなりたいという気持ちで芸人を目指したのに、“ダウンタウンよりは一生面白くなれない”ことに気が付くから。
次々に後輩に追い抜かれ、酒と競馬に明け暮れた加藤浩次が這い上がった思考法、長い下積みを経て今売れ続けるオードリーの瞬発力、爆発的ブレイクを果たすかまいたちが覚醒した理由――。一度負けた状態からスタートし、自分なりのスタイルを掴むまで、もがき続けた21組の生き様を紹介。
平成ノブシコブシの徳井健太さんの「芸人論」。
芸人さんが書く本には面白いものが多いのです。
出てくるのが、僕もテレビを通じて「知っている」人たちだというのもあるのですが、「芸人の世界」というのは、破天荒さと緻密さが入り混じっていて、売れるまで、ずっと中高生の「気の合う仲間」の人間関係を中年になっても続けているようにも感じます。
それが本人たちにとっても幸せかどうかはなんとも言えないし、「自分の芸、ネタ、自分らしさを認められたい」という欲求と、「なんでもいいから、売れたい」という気持ちがずっとせめぎ合っていて、しかも、「売れたかったら売れる」とは限らない。というか、売れない人は、売れない。
芸人になって20年以上経つが、正直僕にはお笑いの才能がない。相方・吉村崇のような、制作陣の要望に応えて番組を盛り上げる器用さも、ない。芸歴0年目で、すでにそれに気がついていた。
というのは、NSC(吉本興業の芸人養成所)に入学してまもない夏頃のこと。そこで出会った同時で、のちにピースというコンビを組む又吉くんと綾部、この二人が桁違いに面白かったのだ。ダウンタウンさんを志し北海道から上京してきた青臭い僕の希望は、一瞬で粉々に砕け散った。その音を、耳と脳が今でも覚えている。
「自分と同じ時期にお笑いを始めて、もうこんなに面白いやつらがいるのか」
僕はすぐに辞めようと思った。どうせこの人たちには勝てない……。
ダウンタウンさんに憧れて芸人になったものの、芸人を続けれた続けるほど絶望が増していった。
この「ダウンタウンにはなれない絶望」というのは、ある年代のほぼすべての芸人が一度は抱く感情だ。先輩後輩問わず話をしていると、僕のような落ちこぼれ芸人に限らず、お笑いの才能に溢れ、売れっ子になった芸人たちでさえそうだった。
「ダウンタウンにはなれない」絶望からスタートする、芸人という職業。一回負けた状態から自分なりのスタイルを探っていくその過程は、ドラマチックで馬鹿馬鹿しくて、夢物語のようで確かな現実だ。
テレビで観客としてダウンタウンを観ているうちは、憧れるだけで良いのです。
でも、自分も「お笑い」の世界で食べていこうと思うのであれば、そのダウンタウンも「同業者のライバル」になってしまう。
もちろん、ダウンタウンという巨星と売れない若手芸人では、同じ舞台に立つことさえ難しいのでしょうけど。
平成ノブシコブシの相方・吉村崇さんとの関係について、徳井さんは何度か解散の危機があったと仰っています。
コンビは友達でも夫婦でもなく、「男同士の兄弟」に酷似しているのではないか、と。
周りから比較されたり、お互いに劣等感を抱いたりして距離を保ちながら時を過ごし、還暦を過ぎたくらいで、少し打ち解けた関係になるのです。
コンビ結成10年、M-1グランプリの参加資格ラストイヤーを迎えた。2022年現在は結成15年以内がラストイヤーだが、当時は結成10年がM-1グランプリの最終エントリーの年だった。
コンビを組んで10年やっても芽が出なかったら辞めた方がいい──M-1の生みの親である島田紳助さんのそんなメッセージがこめられた結成10年という縛り。僕らも他のコンビと同様、決勝に出る為のネタ作りに勤しんだ。
そこで方向性による揉め事が度々起きた。大雑把に言えば吉村はとにかく「売れる為」、僕は売れるよりも「面白いと思われる為」のネタを作りたい。……二人の溝はドンドン大きく深くなっていった。
だがこれは、どのコンビにも起きることだ。お笑いの大会で賞を獲る為に作品を生むのは間違っている、と今でも思う。結果、賞を獲ったなら、それは素晴らしいことだが、狙いにいって獲った賞に価値はない(長くなるのでこの話はまた別の機会に)。
ともあれ結果、平成ノブシコブシは一度も決勝に行けず、M-1グランプリから消えた。
「突き抜けて面白いことをやっていれば、いつか必ず売れる、結果がついてくる」のかどうか。
平成ノブシコブシの徳井さんは、「売れるために妥協するより、自分が面白いと思うものを追究したかった」のです。
相方の吉村さんは、「とにかく売れたい、そのためには、どんなネタでアピールすればいいか」と考えていたそうです。
本当に面白かったら、絶対に売れる、というわけではないのが、芸人の世界の難しさでもあります。
そもそも「本当の面白さ」とは何なのか、万人が笑わずにはいられない「鉄板ネタ」というのは存在するのか?
徳井さんは、これまでの芸人生活での経験から、「それでも、『売れるための努力』をしないで成功した芸人も、全く挫折や失敗を経験せずに売れっ子になった芸人もいない」と仰っているのです。
『ピカルの定理』が終わった2013年当時、キングオブコントという目標はあったものの、いよいよテレビでのコンビの仕事は少なくなった。そして、元々器用だった吉村は、あれよあれよという間に売れていった。犠牲心も身に付けていった。
お陰でストレスのかかる仕事も増えていったのだと思う。オイシイところはアイドルやモデル、役者に取られ、自分は散らかった番組の後始末。そこを評価してくれる関係者は沢山いただろうが、自身の心に当然負担はかかってくる。
その頃吉村がラジオでポロッと言った。
「365日あったら、360日はつまらないよ」
僕はある程度予想していたから笑ったが、他の共演者は引いていた。あんなに楽しそうにしていて、お金も持っていて女性にもある程度モテて良いところに住んで良い車にも乗っているのに? ほとんど毎日がつまらないだなんて、そんな、バカな。
コンビ結成20年以上が経った今、吉村がたまに口にする。
「全芸人の中で、徳井の生き方が一番良いんじゃねぇかな。普通よりは金を稼いで趣味の仕事もして、たまにストレスのかかる本格派バラエティにも呼ばれて、休みもちょこちょこある」
なるほど、確かにそうかもしれない。
実際、最近は毎日が楽しい。目標も持てるようになったし、後悔や反省をしながらそれでも前に進めるようになったのも大きい。吉本から多額の借金はしているが、生活に困らないくらいのギャラも頂いている。
だが吉村よ、君が僕の立場だったらとっくに死んでいたと思うよ。
コンビの関係というのは、本当に複雑なものだと思います。ステージの上では信頼して背中を預ける一方で、「コンビ内格差」ができてしまって、ギクシャクすることもある。
麒麟のように、著書『ホームレス中学生』が大ベストセラーとなった田村さんが大ブレイクしていたときに「じゃない方芸人」だった川島明さんが、今や超売れっ子になっている事例もみられます。
アンジャッシュの渡部さんみたいなこともありますし。
徳井さんは、「お前の生き方が一番良い」と、吉村さん以外の芸人に言われたら、素直に受け入れていたのではないでしょうか。
こういうのって、「お前にだけは言われたくない!」という人に、言われるものなんだよなあ。
兄弟のような関係、って言い得て妙ですね。
『ニューヨーク』の項より。
芸人は大きく分けて「売れたい」か「面白いと思われたい」かのふたつに分類できる。
僕が考えるに、「面白い」のは才能ももちろんだが、努力でカバーできる部分もある。けれど、「売れたい」というのは、売れていない状況から、本質的な何かを変えなければ手に入らないものだと思う。そして、「面白くて売れている人」もいる。そういう人たちにはみんな、「売れる」きっかけがある。
褒められたり、お客さんにウケたり、お金が手に入ったり、モテたり……おそらくいろんな理由があると思うのだけれど、共通しているのは、面白いと言われている人たちは、ある日を境に突然売れ始めるということだ。その日というのはきっと、「売れるためにシフトをチェンジする日」なんだと思う。そうでないと、売れることはかなり難しいはずだ。
たくさんの「売れた芸人」と、「面白い(と思う)のに、結局売れずにやめていった芸人」を見てきた徳井さんは、「売れた人たちは、何かを変えていった」と述べています。
でも、その「何か」の正体については、はっきりとは書かれていないのです。
それが明文化できるようなものであれば、苦労はしない、ということなのだろうか。
観客からすれば、「才能があって面白いのに売れないのはもったいない」と感じるのだけれど、「売れるために迎合したくない」という信念を貫けるくらいの人じゃないと、本当に面白いことはできないのかもしれません。
「芸人の生き方」に限らず、「人生というものの奥深さと面倒くささ、複雑さ」が滲み出てくる、そんな「芸人論」だと思います。
徳井さんも、本質的には「バードウォッチャーが鳥になってしまったような人」のように、僕は感じました。