琥珀色の戯言

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【読書感想】「池の水」抜くのは誰のため?―暴走する生き物愛― ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
「池の外来種をやっつけろ」「カブトムシの森を再生する」「鳥のヒナを保護したい」―その善意は、悲劇の始まりかもしれない。人間の自分勝手な愛が暴走することで、より多くの生き物が死滅に追い込まれ、地域の生態系が脅かされる。さらに恐ろしいのは、悪質マニアや自称プロの暗躍だ。知られざる“生き物事件”の現場に出向いて徹底取材。人気テレビ番組や報道の盲点にも切り込む。


 京都大学農学部を卒業した朝日新聞の科学医療部記者が、「日常生活での、身のまわりの『外来種なども含む生きもの』との付き合い方」について書いた本です。

 生きものの自然界への放流は、その生き物を「本来居るべき場所」に帰してあげる、とか、参加者の自然環境や命への意識を高める、というメリットがありそうなのですが、実際は、必ずしも良いことばかりではないのです。

 実際、放流とそれに伴う問題はあちこちで起きているようです。例えば、こんな場面を見たことはないでしょうか。
 ウミガメたちがいよいよ孵化。明くる日、青空の下、小さな子ガメたちを小学生や幼稚園児たちがつかんで1匹ずつ波打ち際まで運び、海に放す。バイバイと手を振って「大きくなって帰ってきてね」と呼びかける子どもたち。ウミガメ放流会はこんな感じでしょうか。
 ウミガメの調査や保全に取り組むNPOなどは、たびたび子ガメの放流イベントに対して、注意を呼びかけています。
 ウミガメの子どもたちは、普通は夜の内に砂の中から出て来て、海へと向かいます。天敵の少ない時間帯に脱出することで、生き残る確率を上げているのだとされています。ところが、真っ昼間の明るい中に放された子ガメたちは、海鳥や大きな魚からは丸見えです。昼に放流することで、食べられやすくなってしまいます。また、イベントは日程が決まっていて、子ガメたちは、卵から孵った後、しばらく「待機」させられる場合もあります。子ガメは砂の中から出て24時間程度は、人気マンガの主人公がパワーアップして「ギアを上げた」とでもいえるような、元気爆発状態になります。その元気を使ってなるべく沖まで泳いで行くのです。ところが、その状態を過ぎてからの放流になるt、すでに子ガメは元気を失ってしまっています。遠くまで泳いでいけないかもしれません。そうしたカメたちは厳しい自然の中で生き残っていくことは難しいでしょう。


 サンゴは植え付けても種によっては9割が死滅するというデータもあるそうで、放流や移植に向かない生き物もいるのです。
 直接その生きものを放すよりは、赤土対策や汚水の処理などの環境整備のほうが効果がある場合も多いようです。
 とはいえ、「子どもたちが、子ガメを砂浜に放流する」というような「わかりやすく、即効性がありそうなやりかた」が選ばれがちなんですよね。子ガメたちにとっては「迷惑」であっても。

 『24時間テレビ』で、「あれを放送するより、製作費と出演者のギャラを全額寄付したほうが、よほど大きなお金になるのではないか?」という批判と、「あれは、より多くお金を集めることよりも、視聴者の『問題意識』を高めることが大事なのだ」という制作側の意見がぶつかり合うように、「どちらが正しい」とは、そう簡単には決められないところはあるのですけど。

 2019年の夏、札幌市の住宅街にヒグマが現れ、大きな話題となりました。なぜこのクマが市街地に出て来たのか、詳しいことは分かっていません。山では餌が採りづらかったり、町においしそうな餌があることをかぎつけたりした可能性もあるでしょう。ただ、原因はどうであれ、出て来た後の経緯としては、人を恐れなくなり、町で餌を食べ、人の生活圏に居着いてしまったようです。結局このヒグマは、人に危害を及ぼす恐れがあるとして射殺されました。


 つい先日、2020年の10月19日にも、石川県のショッピングモールに体長約1.3メートルのクマが侵入していました。このクマも通報から13時間後に射殺されています。

 射殺、と聞くと、クマに悪気はないのだろうから(そりゃ、美味しそうなものがたくさんあるショッピングモールの中なんて、冬眠前のクマにとってはパラダイスですよね)、眠らせて山に帰すことはできなかったのだろうか、とか考えてしまうのですが、著者は、それが現実的には難しいことを指摘しています。

 ここまで人に馴れてしまった野生動物を自然に戻すことは非常に難しいのが実情です。「山に返して欲しい」という意見も見られましたが、町の居心地の良さを覚えてしまえば、また戻ってきてしまう恐れもあります。幸い今回は、けが人などが出るような事態には至りませんでしたが、再び同じ騒動を繰り返すわけにはいきません。関係者も悩んだでしょうが、殺処分はやむを得なかったと思います。

 この問題には取材のあり方の栄光を指摘する声もあります。関心の高い話題でもあり、市街地に出て来たクマの姿を報道陣は終日追い回しました。そのうち、ライトも車も危害を加えてこないことをクマは学習した可能性があります。現地で取材に当たった朝日新聞の記者は、クマに対して「意図せずに人間社会は怖くない、とのメッセージを送り、結果的に人への警戒心を失わせることに加担してしまった私たち。クマを追いかける取材はすべきでなかったのか。次に同じような騒動が起きたとき、どう対処したらいいか。考え続けています」と報告しています。動物ニュースの影の面を考えさせられた出来事でもありました。 
 意図するにしても、意図しないとしても、動物に餌を与えてしまったり、人に馴れさせてしまったりして、人との距離が近くなることは、動物本来の暮らしをゆがめます。そして、最終的には殺処分や事故という結末につながる恐れがあるのです。


 この本を読んでいると、「親しみを持つ」ことが、人間と自然のなかの生きものについて、プラスにならない事例の多さを思い知らされるのです。
 テレビの向こうで射殺された熊は「かわいそう」だけれど、熊がいきなり目の前に現れたら「危険だからなんとかしてくれ!」ですよね。
 もちろん、積極的に自然を破壊したり、外来種を放流したりすることは論外ですが、「目の前のかわいそうな生きものを助けたい」という人間の「やさしさ」が、環境を変えてしまったり、その目の前の生きものをさらに苦しめたりすることもあるのです。

 私にもこんな経験があります。ある日、小学生の息子から電話がかかってきました。何事かと思って出ると「父さん、公園で遊んでいたら、ムクドリが倒れて動かないよ」と焦った声でまくし立ててきます。ムクドリとは黄色いくちばしが特徴で、全長24センチ程度の、それこそどこにでもいる鳥です。話を聞いてみると、近所の公園で友達と遊んでいたところ、地面に落ちて倒れているムクドリを友達が発見。息子が生き物を好きなことを知っていた友達から「どうしたらいいの?」と聞かれたのですが、どうしたらいいのか分からず、私に電話をしてきたということでした。
「ねえ、このままだと死んじゃうと思うんだけど、どうしたらいいのかな?」


 目の前に「死んでしまいそうな生きもの」がいて、困惑していた自分の子ども時代を思い出しました。
 そして、このSOSに、親としてどう答えるべきなのだろうか?と考え込まざるをえませんでした。

 著者は、息子にどんな返事をしたのか?

 その言葉を読みながら、納得するのと同時に、でもやっぱり、子どもの頃の自分には、うまく受け入れられなかったかもしれないなあ、と思ったのです。
 生きものに対して「理性や環境全体」と「感情や目の前の命」の折り合いをつけることは、とても難しい。というか、不可能なのかもしれません。
 この本からは、著者が、生きもの好きとして、また、記者として、そんな矛盾にずっと向き合ってきたことが伝わってくるのです。


池の水全部“は”抜くな!

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SDGs(持続可能な開発目標) (中公新書)

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