琥珀色の戯言

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【読書感想】永遠の最強王者 ジャンボ鶴田 ☆☆☆☆☆

永遠の最強王者  ジャンボ鶴田

永遠の最強王者 ジャンボ鶴田

  • 作者:小佐野 景浩
  • 発売日: 2020/05/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

「普通の人でいたかった怪物」
今でも根強い〝日本人レスラー最強説〟と、
権力に背を向けたその人間像に迫る!

天龍源一郎長州力川田利明田上明小橋建太渕正信秋山準佐藤昭雄
和田京平、鶴田恒良(実兄)、池田実(日川高校バスケ部同級生)、鎌田誠(元中大レスリング部主将)、磯貝頼秀(ミュンヘン五輪代表)他、
当時のコメントと多くの新証言をもとに、
誰もが踏み込めなかったジャンボ鶴田の実像に、
元『週刊ゴング編集長』小佐野景浩が初めて踏み込んだ大作。

「鶴田の何が凄かったのか、その強さはどこにあったのか、最強説にもかかわらず真のエースになれなかったのはなぜなのか、総合的に見てプロレスラーとしてど う評価すべきなのか――などが解き明かされたことはない。もう鶴田本人に話を聞くことはできないが、かつての取材の蓄積、さまざまな資料、関係者への取材、そして試合を改めて検証し、今こそ〝ジャンボ鶴田は何者だったのか〟?を解き明かしていこう――」(著者より)


 僕は「新日本プロレス派」だったので、全日本の試合はあまり観ていなかったのです。
 ジャンボ鶴田というプロレスラーのイメージは、強いんだけど、あまり情念が感じられず、意外性にも乏しい(と感じていた)全日本の「お約束的なプロレス」の象徴のようなものでした。
 ジャンボ鶴田は、本当に強かった。
 身体も大きかったし、技のひとつひとつが「重い」のです。
 でも、粛々として、ジャイアント馬場という「権力」に付き従っている姿は、マンガに出てくる、悪党のやたらと強い用心棒みたいにも見えていました。
 長州力が、「オレは藤波の噛ませ犬じゃねえ!」と叫んで、新日本プロレス内の「序列」に敢然と反旗を翻したようなドラマチックさに、ジャンボ鶴田は欠けていた。
 のちに、全日本プロレスも、団体内での抗争が活発化し、ジャンボ鶴田は、「巨大な壁」として存在感を発揮するのですが、鶴田は、世代交代がきちんと成し遂げられる前に、B型肝炎から肝障害を発症し、第一線を去ることになってしまいました。
 ジャンボ鶴田というプロレスラーの「最強説」が力を持ち続けているのも、その天性の身体の強さ、運動能力の高さとともに、プロレスラーとして衰えた姿を観客に見せることがないまま、49歳の若さで亡くなってしまったことがあるのだと思います。
 2000年5月に、ジャンボ鶴田の訃報、それも、フィリピンのマニラで肝移植の手術中に亡くなった、というニュースを聞いたときには、「えっ?あのジャンボ鶴田が?なんでいきなりマニラで?」と、僕の頭の中は「?」だらけになったものです。
 
 著者は、鶴田の学生時代から、その生涯を辿っています。
 高校時代、バスケットボールをやっていて、有望な選手だったのだけれど、チームプレーより個人競技のほうが向いていると感じたことと、オリンピックに出場するために、中央大学に入学してから、レスリングを始めたのです。それで、ミュンヘンオリンピックの代表選手になってしまった。
 恵まれた体格や運動センスがあり、日本ではレスリングの重量級の層がそれほど厚くはなかったとはいえ、これは本当に凄いことです。
 プロレスラーになった後、アメリカのドリー・ファンク・シニアの元でプロレス修行を積むことになったのですが、わずが3ヵ月で「鶴田には、もう教えることが無くなった」と言われています。
 

「プロレスは僕に最も適した就職だと思い、監督と相談の上、尊敬する馬場さんの会社を選びました」
 全日本プロレス入団記者会見における鶴田の挨拶は名言として知られている。
 それまでのプロレス入りは「団体への入門」だったが、鶴田は「会社への就職」と言った。徒弟制度的だった日本プロレス界に一石を投じる言葉で、当時のプロレス・マスコミを感心させる一方で、これがのちには「鶴田=サラリーマンレスラー」というマイナスイメージを生むことになってしまう。
 実際、鶴田にとって全日本入りは就職以外の何物でもなかった。バスケットボールをやめてレスリングを始めた時点で、「五輪に出場してからプロレスラーへ」という未来図を描いていたというのだ。
「将来、プロレスをやるためにバスケットボールに見切りをつけてレスリングに転向したんですけど、幸いにもオリンピックに行けたから箔が付きました」
 鶴田の口からそう聞いたのは佐藤昭雄である。


 私生活でも豪快なエピソードに事欠かず、人生設計なんて考えたこともない、宵越しの銭は持たない、といった「それまでのプロレスラーの類型」から、鶴田はずっと距離を置いていたのです。
 多くのプロレスラーが「情念」をアピールしていた一方で、鶴田は常に「余裕」をみせており、「本気になったら、どのくらい強いのだろう?」と怖れられる存在でもありました。
 ただ、そういう姿勢は、当時のプロレスラーとしては、かなり異端であり、プロレスファンを困惑させてもいたのです。
 2020年に読むと「時代を先取りした人生観」のように感じるのだけれど。

「ファンクスのところに半年しかいないで上に行っちゃったでしょ。それじゃあ、技の掛け方ぐらいで、そんなに覚えないでしょ。自分のアイデアはないし、試合で機転が利くほうじゃなかったね。臨機応変さがないから面白くないの。メリハリなく淡々と試合をこなすっていう感じだったからね。すぐにナンバー2に据えられちゃったことが逆にマイナスだったかもね。下にいれば、いろいろ考えることもできるし、失敗もできるけど、あの位置じゃ失敗できないからね。だから手堅く、教わったことをやるだけなの」
 そう厳しく語るのは、己の力で米マット界を生き抜いたザ・グレート・カブキ。苦労人の言葉が辛口になってしまうのは仕方のないことかもしれない。
 スピード出世した鶴田にとって、対戦相手はキャリア豊富な格上の選手ばかりだった。それは経験になったが、その一方では常に相手に試合をリードされることになり、自ら試合を引っ張る機会がないというマイナス面もあった。
「相手はトップの一流選手だから、どうしても相手にリードされる。絶対に彼らは彼らのペースで試合をする。それに対応していけるかどうかだからね。当時は馬場さん、猪木さんクラスじゃないち対応できなかったと思うし、鶴田さんは彼らからしたらヒヨッコなわけで、自分のペースで持っていこうなんていうのはとんでもない話。向こうのフィールドで戦わなくちゃいけなかった」と言うのは渕正信
 鶴田本人もそれは認めていて、「俺は誰とやっても水準以上の試合ができるよ。相手は俺のスタイルに合わせてくれるわけがないんだから、こっちが相手のスタイルに合わせて、なおかつお客さんが納得する試合をしなくちゃいけない。その技量を見せるのが大変」とよく語っていたものだ。


 ジャンボ鶴田は、全日本プロレスに入ってから、アメリカでの修行を経て、短期間でジャイアント馬場のパートナー、団体の二番手としてエリートコースを歩み、一度も「反体制側」に立つことがなかったのです。
 それは、本人が望んだ結果なのかどうかはわからないけれど。
 多くの有力レスラーは、自分の団体を立ち上げたり、団体内に「正規軍」に対抗する仲間を集めたりするのが「普通」だったのです。
 しかしながら、ジャンボ鶴田には、そういう機会がなかったし、「リングの上ではナンバーワンでありたいけれど、会社としての全日本プロレスの社長になりたいとか、自分の団体を持ちたいというような『リング外での野心』は全くといっていいほど無い」人だったと著者も指摘しています。
 全日本プロレスの社長であったジャイアント馬場さんは、鶴田とは一線を引いたところがあり、むしろ、天龍源一郎に団体についての相談をすることが多かったそうです。

 
 アントニオ猪木は、「俺は箒(ホウキ)とだって名勝負ができる」と公言していたそうですが、僕も含め、多くのプロレスファンは「猪木だったら、できるだろうな」と思っていたのです。
 でも、ジャンボ鶴田は、そこまでの「自分の世界」をつくりあげることはできなかった。
 ある意味、すごく誠実な人だったのではないか、という気もするのですけど。


 ジャンボ鶴田は、プロレスラーとしての晩年、三沢光晴川田利明らとの試合では、「格上」である鶴田が、下克上を目指す彼らにとっての大きな壁として立ちはだかり、「怪物的な強さ」を見せつけました。
 鶴田自身が「序列を守る人」だっただけに、自分が格上だからこそ、追いかけてくる若手には感情を出しやすかったのかもしれません。

 川田(利明)に鶴田は怪物だったのか、最強だったのかを聞いてみた。
「昔は体力面じゃないところで怪物をアピールするプロレスラーが多かったじゃない。たとえば”肉をこれだけ食った”みたいな。人とは違った怪物ぶりをアピールして、名前を売っていた時代に比べると、鶴田さんは”全日本プロレスに就職します”って言ったぐらいだから、入ってきた時からそういう意識はまったくなくて、プロレス界でお堅く生きていこうって思ったんじゃないかなと思うから、それまでの怪物とは全然違うよね。でも最強かって聞かれれば……最強だと思いますよ。プロレスラーとして最強かどうかっていうのは、また別で、お客さんに喜んでもらえるとか、人を惹きつけるとかいう面では違うと思うけど、フィジカル的なものでは最強だと思う。ファンの人たちに共感されにくかったのは、強すぎるがゆえにというのがあったと思うよ。でも超世代軍とやっていた時に支持されたのは、鶴田さんが俺らみんなを余裕を持っていじめたからだよ。もう、みんなが鶴田さんの強さを理解しちゃっていたからね」


 この本、600ページ近い大作で、多くの関係者に取材して、肉声を集めているのですが、ジャンボ鶴田のプライベートな面については、あまり書かれていないのです。「プロレスラーらしい」破天荒なエピソードもほとんどありません。
 それが、「ジャンボ鶴田らしさ」なのだろうと思います。
 読み終えて、なんだか自分もジャンボ鶴田というプロレスラーを「見届けた」ような気がして、体中の力が抜けていきました。


fujipon.hatenadiary.com

ジャンボ鶴田伝説 DVD-BOX

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  • 発売日: 2017/11/22
  • メディア: DVD
全日本プロレス超人伝説

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