Kindle版もあります。
【書いて生きるには、文章力“以外"の技術が8割】
「仕事の取り方から、お金の話まで、すべてシェアします」あるようでなかった「物書きとして、稼ぎ、生きていく」ための教科書――書く仕事を20年以上続けてきた著者が、「書くこと以上に大切な、書く仕事のリアル」について1冊にまとめました。文章を教えてくれる本や講座はすでにたくさんあります。しかし、書く仕事をしたいと思ったときに知りたいはずの、「書くという仕事」そのものについて教えてくれる本がなかったからです。書く仕事とはどんな仕事で、どんな生活を送ることになるのか? 書く仕事がしたければ、どのような準備をして、どんなふうにデビューするのか? 書く仕事は選ばれし者しかできないのか? “必要最低限"の文章力とスキルとは? どれくらい働けば、どれくらい稼げるのか? 心身を病まずに長く仕事を続け、仕事の幅を広げていくためには?
僕自身、書く仕事に憧れをずっと持ったまま、半世紀近くを生きてきたのです。
こうして長年ブログをやっていると、いくつかの媒体で書かせていただく機会もあり、「まあ、これはこれで、『夢がかなった』ということになるのかな……」などと時々考えることもあるのです。
中高生時代の僕が今の僕をみたら、「そのくらいで満足する人生なのか……」と、落胆するかもしれませんが、ここまで続けてくるのもけっこう大変だったんですよ、って誰も褒めてくれないので自分で書きますが。
ネットでは、「1文字1円でどこかで見たような記事を粗製乱造する(させられる)WEBライター残酷物語」がしばしば話題になります。
実感としても、接客業がそれほどストレスにならない人は、「WEBで何か書いて稼ぐ」よりも、コンビニエンスストアでアルバイトをしたほうが、よほど平均値としては「稼げる」と思います。ネットというのは、書き手の「稼ぎたい」「売りたい」という気持ちが透けてみえるほど、読む側は白けてしまいやすいメディアですし。
この記事によると、ランサーズでの一般的な(専門的ではない)記事の相場は、1文字あたり0.5~2円くらいだそうです。
専門的な内容や人気ライターになると、当然単価も上がりますし、「指名されての仕事」も増えていくのでしょうけど、「とりあえずネット記事として読めるレベルの文章と、ファクトチェック(嘘が書かれていないかどうかの確認)」までやって、1文字1円というのは、それで食べていくのは難しそうです。いつも仕事があるわけでもないでしょうし。
この本は、「ライター」として自分の専門分野を中心に長年活躍してきた著者が、「書く仕事(ライター)として生き残っていくためのノウハウ」を公開したものです。
とはいっても、そんな特別なことが書いてあるわけではないし、売れるための文章術、みたいなものが存在するわけでもない。
最初に結論を言ってしまいます。
書く仕事で生きていくのに最も重要なのは、文章力ではありません。
文章が上手いこと、書いて生きていけることは、イコールではないのです。もちろん、文章力がまったく必要ないわけではありません。でもくり返しますが、書く仕事で生きていくのに重要なのは、文章力(だけ)ではありません。
この仕事は、おそらくみなさんが想像しているよりもずっと、「文章力以外」のスキルやものの考え方が大事な職業なのです。
「書きたい。でも自分には書く才能がないから無理だ」と思っている人がいたら、いったん、その思い込みを捨ててください。もちろん書く才能がある人はラッキーです。ですが、書く才能がなくても、この仕事は十分成立します。
とくにライターは、プロスポーツ選手や、アーティストのように、選ばれしものにしかできない仕事ではありません。
そして、独自の視点や切り口が必要だと言われているコラムニストやエッセイストのような作家業ですら、「文章力以外」のスキルやものの考え方が、文章力と同等以上に重要なのです。
ちなみに、いわゆる「純文学作家」のような仕事はここに書いたこととは別枠だとも著者は述べています。
それで生きている人(僕がすぐに思い浮かぶのは、村上春樹さんや西村賢太さん)は、本当に「選ばれた人たち」というか、ある意味「スーツを毎日着て定時に出社する姿が想像できない人」であり、ごくまれな存在なのです。
ネットで大人のための職業紹介ページを作っているという著者の知り合いによると、一番検索されている職業は「ライター」なのだそうです。
「ライター」って、どうやったらなれるのかよくわからないけれど、自分もできるのではないか、と思われがちな仕事なのかもしれません。
ただ、この本を読んでいると、著者の「マメさ」と「自分の価値を市場で高めるための努力」、そして、コミュニケーション能力の高さに、引け目を感じてしまうところもあるのです。
ライターなら、人付き合いが苦手な自分でもできるのではないか、と僕などは考えていたのですが、そういう人たちが集まりやすい業界だからこそ、「コミュニケーションや自己プロデュース能力」が差別化要因になりやすい面もあるのです。
この本を読むと、食べていける、仕事先からも読者からも信頼されるライターに必要な条件は、「良識と好奇心を持った大人になる」ことなのだと感じます。
逆に言えば、ライターとして成功できる人というのは、どの業界でもうまくやれる人ではないか、と。
僕は世界的に知られた研究者がリーダーの教室で学ばせてもらったことがあるのですが、教授の仕事への姿勢やスタッフへの接し方に触れて、「この人は、医学の世界じゃなくても、どこかで名を成していただろうなあ」と納得せざるをえませんでした。真面目なだけの人では、全然なかったんですけどね。
最後に「納品」という言葉を入れました。
私は、文章を書くことが好きな人が、プロのライターとして書き続けることができるかどうかは、「書き終わる」ことができるかどうかだと思っています。
私たちライターがアーティストでない以上、そして「依頼」を受けて仕事をしている以上、納品日までに成果物を納品しなければ、それは、ライターの仕事ではありません。なぜ、そんな当たり前のことをわざわざ?
と、思うかもしれません。けれども私は、この「書き終わる」ができずに、ライターを辞めていった人をたくさん見てきました。
これも本当によくわかる。
「書く」って、小説などはとくに、思いつきで書き始める人は多くても、終わりまで書き続けられる人はごく一部なのです。
僕自身も「未完の傑作(予定)」ばかりなんですよ。
終わりまで根気が続かない、ということもあるし、いちおう最後まで書いていても「もうちょっと上手く書けるのではないか、こんなのバカにされるのではないか」と、なかなか自分の手から離せない。
とりあえず締め切りを守って発注先に形になった原稿を送ってくれれば、デキが不十分でも、あとは編集者との共同作業でなんとかできるのに、自分で抱え込んでしまって締め切りを守れない「ライター」が多いのです。
いやほんと、「書く仕事」だけではなくて、いち社会人として、いろいろと身につまされる内容なんですよ。
むしろ、「書く仕事」は、そんなに特別なものではない、ということを実感させられます。
先日、若いライターさんに、こんなことを聞かれました。
「さとゆみさんは、自分の強みは何だと考えていますか?」
たとえば、インタビューとか、構成とか、コミュニケーションとか……と、彼女は続けます。
どうしてそれが知りたいのかと聞くと、自分自身がライターとして、今後どの方向性で勝負していくかを考えているからだと言います。その言葉を聞いて思いました。私も、ずっとそれを真剣に考えていたなあって。
自分の手元にあるカードの、どれとどれを組み合わせれば最強になるのか。ポーカーで言えば、どのカードを捨て、次のカードを狙いにいくか。そんなことを毎日毎日考えて生きていました。それで言うと、私の手持ちの能力のうち、一番強いカードは「メタ認知能力」だったと思います。
・この集団の中で自分はどれくらいの立ち位置にいるのか。
・何番目くらいまでにポジション取りしておけば、仕事が途切れないのか。
・どれくらいの精度の原稿でアップすれば、リピートにつながるのか。そういったことを、そうとう冷静に俯瞰して見ていました。
自分の力量を上にも下にも見積もらない。
人との実力差をきちんと見極める。
自分に期待しすぎないし、謙虚にもなりすぎない。
人と自分の仕事を一切の感情抜きで評価する。雑誌のライター時代、一番気をつけていたのは、「ブレイクしないこと」でした。旬の人と言われないように、なるべく目立たないように気配を消していました。
流行ると、廃る。
雑誌の業界で、あの人ちょっと古いよねと言われるのはみな、大ブレイクした人たちばかりでした。だから、とにかく、ブレイクしないように気をつけてきました。
仕事の進め方や編集者、雑誌などの媒体との付き合い方についても体験をベースに書かれており、原稿料も具体的な数字が出てきます。
著者ぐらいの「仕事が途切れず、編集者としての仕事もできるライター」になれば、1文字1円の「使い捨てライター」とは比べ物にならないくらい稼ぐこともできるのです。もちろん、村上春樹さんや東野圭吾さんレベルには程遠いのですが、専業ライターとして成功できれば、大手企業の中間管理職くらいの収入にはなりそうです。著者の場合は講演の仕事もあり、「ライタードリームを実現した人」なのだとしても。
「ライターという仕事」に興味がある人は、読んでみて損はしない内容だと思います。
親切丁寧に書かれているのですが、こんな「怪物メタ認知ライター」と同じ土俵で闘わなければならないのか……と圧倒されてしまいます。
ライターという仕事なら「なんとなく自分にもできそうな気がする」という幻想を打ち砕かれて、それでもやってみようと思えるかどうか。そして、「書き終わる」ことができるかどうか。