- 作者: 渡邉義浩
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2019/05/21
- メディア: 新書
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内容紹介
漢字、漢民族という表現が示すように、漢は中国を象徴する「古典」である。秦を滅亡させ、項羽を破った劉邦が紀元前202年に中国を統一(前漢)。武帝の時代に最盛期を迎える。王莽の簒奪を経て、紀元後25年に光武帝が再統一(後漢)。220年に魏に滅ぼされるまで計400年余り続いた。
中国史上最長の統一帝国にして、中国を規定し続けた「儒教国家」はいかに形成されたのか。その歴史と思想潮流をたどる。
司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』、吉川英治さん、横山光輝さんの『三国志』と、そのはじまりと終わりについては僕もけっこう詳しい「漢」なのですが、この400年以上続いた大帝国の全体像については、あまりよく知らないなあ、と思いながら手にとってみました。
正直、読み始めるまでは、一冊で『漢』の400年間(途中、王莽の『新』の時期がありますが)を概観できるような内容なのだろうと思っていたのです。
しかしながら、読んでみると、そういう「歴史教科書」的なものではなくて、「いつごろ、どのようにして、儒教は漢帝国で認められ、ついには『儒教国家』になったのか?」という研究書なんですよね、これ。
「前漢・後漢のことはよくわからないし、中国史にもあまり興味はないんだけど、新書一冊でひととおりの知識が得られるのなら読んでみようか」というレベルの知識しかない人、あるいは、紀伝体的な人間ドラマを期待して読む人には、ちょっとおすすめしかねます。
タイトルのわりには、ストライクゾーンが狭い新書です。
儒教の大家といえば春秋時代の孔子なのですが、その後、漫画『キングダム』であらためて注目されている戦国時代を経て、秦の始皇帝による天下統一、項羽の楚を破っての劉邦の漢の再統一がなされていくなかで、儒教は、必ずしも漢の「国教」ではなかったのです。
前漢の最盛期であった、7代皇帝・武帝の子孫である10代皇帝・宣帝の時代でさえも、儒教は支配者の学問として重用されるようにはなったものの、絶対的なものではありませんでした。
宣帝は、国政の根本は「良二千石」(善良な郡太守と国相のこと。地方行政の要となる郡太守と国相の棒給は二千石)にあるとして、循吏(儒教を学び教化を進める官僚)を積極的に登用して、内政を重視していた。ところが、太子であった後の元帝が、儒者だけを用いることを提案すると、宣帝は色をなして、次のように諭した。
漢家には古来からの制度がある。漢は覇者の道(法)と王者の道(儒)を雑じえて支配を行ってきた。どうして専ら儒教だけに依存して、周の政治を用いられようか。 ―――『漢書』元帝紀
宣帝は、儒者だけを重用してはいけない、と元帝に諭し、武帝紀に多く登用された、法刑を重視して君主権力の伸張を目指した法家的な酷吏をも活躍させた。儒教は、いまだ国家の政治理念として絶対的な地位を得てはいかなったのである。
この本を読むと、「漢」が「儒教国家」になるのは、僕が思っていたよりもずっと後の時代だったようです。
あと、『平家物語』の冒頭にも出てくる、前漢の帝位を簒奪して「新」という国号を称した王莽の失政について、けっこう詳しく触れられています。
王莽は「より儒教的に正しい国家」をつくろうとして、最初は人望を集めたものの、現実の壁にぶち当たってしまったのです。
王莽は、限田制の失敗を見ながら、「均田」の制の広汎な基盤を成す農民に給付される一頃=百畝の土地所有制を王田制で再建するとともに、五等爵に基づき、公=方百里(約17万1992ヘクタール侯・伯=方七十里、子・男=方五十里、附城の九成=方三十里という同一身分・階層内における均等土地所有を確立しようとした。爵制に基づく「均田」の制の広範な底辺に王田制を施行し、五等爵制に基づき身分制的土地所有を定めることで、貧富の差の拡大による国家支配の崩壊を乗り切ろうとしたのである。
しかし、王莽の努力にもかかわらず、国家財政が立て直ることはなかった。王莽の政策は、儒教の理想時代である周の制度を『周礼』を典拠に復興しようとするもので、儒教としては、それなりの正統性を持っていた。しかし、やみくもに周制を復古することは、当時の現実を無視するものであった。王田制は、土地を給付される農民には歓迎されたが、大土地を所有する豪族の利益を損ない、大きな反発を受けた。また外交政策でも、儒教の華夷思想に基づき、匈奴や高句麗に渡していた王の印象を取りあげ、「降奴服于」「下句麗侯」という称号を押しつけたので、かれらの怒りを買い、離反を招いた。しかも一つの改革が行き詰まると、直ちに別のものに改めるなど、立法に一貫性を欠いたため、混乱を大きくし、不信感を強くした。こうして赤眉の乱を契機として、各地の豪族らが蜂起し、新は建国後わずか十五年で滅亡したのである。
王莽という人は、あまりにも理想主義者すぎたのだなあ、と思うのと同時に、匈奴や高句麗に対するやり方には「子どもかよ!」と唖然としてしまいます。
そりゃ相手も怒るにきまってるだろ……
そういう「呼称」こそ大事、ということなのかもしれませんが、バカにされて喜ぶ国なんていないでしょうし。
「格差社会」というのは、人類にとって長年の悩みであり、強引に格差を是正すると、それはそれでトラブルになりやすい、ということもわかります。
絶大な権力を持っていたはずの「皇帝」にさえできなかったことが、いまの「民主国家」の政治家にできるのだろうか……
著者は、前漢の武帝紀に儒教が国教化されたという、これまでの「定説」は誤りだと述べています。
漢帝国において儒教が国教化されたのは、後漢の三代皇帝・章帝の時代だと考えているのです。
曹操の政治的基盤となる官僚を選出する人事基準にも、儒教への挑戦が見られる。曹操は、管仲(春秋時代に斉の桓公を輔けて最初の覇者とした)のように貪欲であっても、前漢初期に活躍した陳平のように嫂と密通し賄賂を受けても、「唯才」だけを基準に察挙を行うことを天下に宣言した。これは「孝廉」であること、すなわち人間の徳性が、官僚としての才能を保証する、という儒教理念に基づいて行われてきた、後漢の郷挙里選の否定である。さらに、曹操は、主観的な価値基準である「文学」による人事を試み、儒教一尊に揺さぶりをかける。
魏の曹操は、『三国志演義』では悪役として描かれているのですが、漢帝国の帝位を簒奪しようとする権力者、というだけではなく、漢を支えてきた儒教的理念への挑戦者でもあったのです。
こうして歴史をみてみると、儒教的な理念だけで国を治めるというのはかなり難しいことだと思われます。
中国史、とくに漢の時代にそれなりの興味と予備知識がないと、読み解くのは厳しい本ではありますが、好きな人にはたまらない切り口ではないでしょうか。
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