琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】国家の怠慢 ☆☆☆☆

国家の怠慢 (新潮新書)

国家の怠慢 (新潮新書)


Kindle版もあります。

国家の怠慢(新潮新書)

国家の怠慢(新潮新書)

すべては怠慢のツケである―医療は崩壊寸前にまで追い込まれ、オンラインでの診療・授業は機能せず、政府の給付金さえスムーズに届かない。新型コロナウイルスは、日本の社会システムの不備を残酷なまでに炙り出した。それは、政治、行政、マスコミの不作為がもたらした当然の結果でもあった。これまで多くの改革を成し遂げてきた財務省経産省出身の二人のエキスパートが、問題の核心を徹底的に論じ合う。


 1955年生まれで財務省OBの高橋洋一さんと、1966年生まれで経済産業省出身の原英史さんの二人が、「なぜ、このコロナ禍での政府の対応はスムースにいかないのか。そもそも、国はこの事態にどう対応すべきなのか」について語り合った対談本です(実際のやりとりは、対面ではなく、オンラインで行われたそうです)。

 僕は、医療従事者のひとりとして、「もうちょっとどうにかならないのか」「なんでも現場任せにして、危険な目にあわせているにもかかわらず、国は『自粛要請』という名目で、積極的に休業補償をしようともせず、責任逃ればっかりしている」という憤りを感じていたのです。拍手するなら金をくれ、と、昔流行ったドラマの台詞のほうなことを思っていました。
 その一方で、こういう事態は、政府や官僚たちにとっても、まさに「想定外」であり、いろんなことがうまくやれないのも、致し方ないのかな、けっこう大変なんだろうな、と同情もしていたのです。

 この本を読むと、現場で問題に対処している人たちの苦悩が伝わってくるというか、外野はけっこう思いつきでものを言っているだけなんだよなあ、と考えずにはいられないのです。


PCR検査は全国民にしたほうがいいのか?」という問いに対して。

高橋洋一新型コロナウイルスに関して、たとえばテレビ朝日がよくやっているんですけど、PCR検査をガンガンやるべしという論調があります。コロナ関連の政府の会議の一部委員の中にも、PCR検査をどんどんやろうという意見があるようです。この種の話はいろいろと手を変え品を変え出てきます。たとえば、九州の理論物理学の先生が唱えたもので、ちゃんと数式があって全部公表しているというものなのですが、PCR検査を今の4倍やるとコロナがあっという間に終息するという話なんです。ただ、それはPCR検査を今の4倍すぐにできるかという議論になるんですよ。その話はモデル上、すぐに4倍にしなければ無理なんです。でも、検査能力を4倍にするうちに感染者は広がってしまう(笑)。一気に隔離できて、検査能力が4倍になれば終息するという論理なんですけど、それができないからどうするかという話をしているのに何を言っているんだろう。そんなことができるわけがないことは、すぐにわかるはずなんですけどねえ。式をきちんと見ると、感染の初期段階との重大な前提があるにもかかわらず、それをマスコミは報じていない。初期以外でも実務を考慮するとできないのですが。
 さらにPCR検査を一気にやるという話もありますが、今は1日最大2万件くらいしかできません。たとえそれが10万件できたとしても、全国民にやるのに何日かかると思っているんでしょう。1000日かかるんですよ。検査をするために移動したら、ウイルスのほうがはるかに早く広がりますよ。


原英史:全国民検査論は、未来の感染症対策の構想としては大いに検討すべきですが、今の検査の精度やキャパシティを前提に、現実の政策論としては暴論でしょう。


高橋:確かに検査が瞬時にできて、無制限にできるんだったら全国民がやったほうがいいですよ。でも、PCR検査して隔離してもウイルスの伝播のほうが早いんですよ。PCR検査をするのは、たとえばお医者さんのところに患者が来て、コロナに感染しているかどうか判断できなかったら困りますよね。そのレベルですよ。お医者さんに行く人はPCR検査をしたほうがいいでしょう。


 「全国民に検査するには、1日10万件でも1000日かかる」というのを読みながら、僕は、柳田理科雄先生の『空想科学読本』のネタみたいな話だなあ、と思ったのです。
 そんな検査を症状もない人にも片っ端からやっていったら、それで感染を拡大させることにもなるでしょう。
 高橋さんと原さんは、日本の行政に携わる人やマスメディア関係者には、統計学などの理系の学問の専門家がほとんどいないことを嘆いておられます。外国では、経済学や数学などの専門家が、キャリアの一部として政治家をサポートするのが当たり前になっているのに、と。
 今回の新型コロナ禍というのは、そういう意味では、「専門家の意見をきちんと聞いて判断すること」の必要性を、多くの人に考えさせるきっかけになったとも言えそうです。
 いやほんと、「あちら側(官僚や行政官たち)の話」を読んでいると、僕が思いつくようなことは、だいたい彼らもすでに検討していて、できないことにもそれなりの理由があるのだな、と納得してしまいます。
 それでも、「アベノマスク」に対しては、さすがに「もっとマシなお金の使い方があったのでは……」と思うのですが。
 あれも、本当にみんなマスクが買えない、足りない時期に送られてくれば、印象も違ったのではなかろうか。でも、日本中に送るのには時間がかかり、その頃にはマスクの需給は改善されている、というのは、考えればわかりそうですよね……

高橋:あと、こういう危機対応のときには、業界の事業費の積み上げなんてしていてもしょうがないから、業界じゃなくて、採集消費者に現ナマを撒くというのが基本なんですよ。業界に撒くといっても、どこに撒かなきゃいけないか調べるのがまず大変ですから、採集消費者に撒くのが一番良い。そうすると、給付金とか減税でやるパターンになる。一番簡単なのは消費税減税なんですけど、これは絶対に財務省がダメだって言い出すからやらない。そうすると、ものすごく総額がシャビー(みすぼらしい)になっちゃうんですけどね。

高橋:最終需要が作れれば何でもいいんです。今回のコロナショックのような話は、事業者を特定するとか被害者を特定するのは結構大変だから消費税のほうに行くべきなのです。どこか事業者が決まっていたらそこだけに補助金出したっていいわけですけど、ちょっと広範囲だし、おまけに消費税増税なんかして、消費は落ち込んでいるし。
 だからそういうのを直すのは、消費税減税だと結構簡単にできるわけです。そのほかに、所得税減税でもいいんですよ。ただ所得税減税だと、フリーの人だったら確定申告まで実感がないし、サラリーマンだったら毎月の源泉徴収の時まで実感がないんだけど、消費税だったらみんなすぐ実感がありますから、そういうので、いろいろ組み合わせた結果、消費税のほうがいいという話です。そのほかに手を考えると、毎月天引きされている社会保険料を一定期間減免するというのもあります。これは所得税減税と類似とも言える。
 それができない理由は、政治ですよ。要するにもう政界の雰囲気はポスト安倍になっていて、岸田さん(岸田文雄自民党政調会長)が圧倒的に有利なんですよね。岸田さんは宏池会だし、もともと財務省の意向で動く人。裏に財務省がいるということです。
 財務省が消費税を下げたくないのは、今まで、東日本大震災での復興増税をホップとして、その後、ステップ、ジャンプとして8%、10%へと消費税率を引き上げてきたからでしょう。今まで一応正しいと思ってやってきているんですからね。今やめたら、2014年4月と昨年10月に消費税を上げたのが失敗だったと言われるに決まっています。長くそういう政策をしてきて、利権があるというのが裏側にある。税収を確保してそれを役人に配って、財務省は自分たちが優位に立ってきたという事実がありますからね。ただ単にメンツとかいう話とはちょっと違いますよね。自分たちの権限を確保してきたから、それに裏打ちされたものがあって、それを失いたくないということやないでしょうか。


 一時的なものでも「消費税減税」は、消費喚起に効果が高いと思うのですが……一度中断したり下げたりしたら、元に戻せなくなる、と財務省は危惧しているのでしょうか。
 消費税の増税による景気の悪化に伴う税収低下を考えると、かえって全体的な税収にはマイナスになるのではないか、という話もあるようです。

 お二人の話では、官僚たちの「天下り」への執念が再三語られているのですが、省庁間の権力争いとか、天下り先への配慮とか、ものすごく優秀なはずの人々の能力が、前時代的なしがらみで活かされていないのではないか、と考えずにはいられません。
 もっと現役官僚の待遇を良くする代わりに天下りをやめるようにするとか、できないものなのだろうか。

 まあ、「国家の危機」とは言っても、仕事や収入を失って困窮している人もいれば、「ここがチャンスだ」と証券口座を開設して株を買いまくっている人もいるのですから、「国民」も一枚岩なわけがないんですよね。
 それでも、政治家や官僚は、そんなバラバラの人間の集合体である「国家」を運営していかなくてはいけないのです。


統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である

アクセスカウンター