琥珀色の戯言

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【読書感想】古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
軍歌「露営の歌」、早稲田大学の「紺碧の空」、読売ジャイアンツの「闘魂こめて」、怪獣映画の「モスラの歌」、原爆鎮魂の歌「長崎の鐘」―ジャンルを超えていまも愛唱される5000曲はどのようにして生まれたのか。日本人の欲望に応え続けたヒットメーカー。連続テレビ小説「エール」のモデルになった80年の生涯。


 最近、書店で古関裕而さんに関する本をたくさん見かけるなあ、と思っていたのですが、NHKの朝の連続ドラマ『エール』のモデルが古関夫妻だったんですね。
 1970年代はじめの生まれの僕は、古関裕而、という名前は知っているのだけれど、さて、どんな人だったかな……とひとしきり考え、『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員をやっていた人、といわれて、ようやくその顔をなんとなく思い出した、という感じです。
 それでも、『モスラ』の「モスラ―や、モスラー」とか、『六甲おろし』や高校野球の『栄冠は君に輝く』を作曲した人、と言われると、親しみがわいてくるのです(僕は阪神ファンではないけれど)。

 この新書は、古関裕而さんの伝記なのですが、著者は、古関さんの音楽活動について、こう述べています。

 古関裕而は、昭和の日本を代表する作曲家である。明治に生まれ、大正に育ち、昭和のほぼ全般にわたって活躍し、平成に亡くなった。地元の福島市で音楽をほとんど独りで学び、東京に出てコロムビアと契約し、やがて大衆音楽で頭角をあらわして、ヒットメーカーとして不動の地位を確立した。多作で知られ、生涯の作品数は5000曲ともいわれる。
 古関の特徴は、その仕事の途方もない幅広さである。ジャンルは、野球の応援歌から、レコード歌謡、戦時中の軍歌、ラジオドラマや映画の主題歌、舞台音楽、そして校歌や社歌まで、しかも、相対する組織同士や内容のものでもまったくお構いなしだった。
 古関は、阪神タイガースの応援歌「六甲颪(おろし)」を作れば、読売ジャイアンツの応援歌「闘魂こめて」も作ったし、また早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を作れば、慶應義塾大学の応援歌「我ぞ覇者」も作った。
 戦時中に「露営の歌」「暁に祈る」「和鷲の歌」などの軍歌を手掛けたと思いきや、戦後には戦争の悲劇をテーマにした
長崎の鐘」「ひめゆりの塔」なども手掛けた。かといって戦後的な平和主義に傾いたわけではなく、「海をゆく」「この国は」などの自衛隊歌の作曲も辞さなかった。
 作曲した校歌は全国各地に散らばり、そのなかには、皇宮警察学校、ソウル日本人学校河合塾などの名前もみえる。社歌は、先述した山一證券だけではなく、東北電力東宝などこれまた多岐にわたった。


 これだけさまざまなジャンルの音楽をつくり、戦時中は軍歌、戦後は行進曲や応援歌の名手として知られた古関さんなのですが、音楽好きになったのは裕福な商家だった実家でレコードを聴いたのがきっかけだったそうです。
 家業を継ぐことを期待されていたのですが、音楽への思いがつのり、また、家業そのものも傾いてしまったことから、金子さんとの結婚を機に東京に出て、コロムビアと作曲家として契約します。
 当時は、太平洋戦争前に日本のレコード産業が右肩上がりだった時期で、古関さんは期待されて高額の契約を結ぶことができたものの、なかなかヒット作を出せず、契約打ち切りの危機にも陥ってしまったことがあるそうです。
 のちの大ヒットメーカーにも、そんな雌伏の時期があったのです。
 古関さん自身の好みとしては、クラシック音楽の作曲をやりたかったのだけれど、ヒット曲がないとコロムビアに身の置き場もなく、なんとか音楽で食べていくために、試行錯誤をしていきました。
 その結果、戦前は流行歌をつくり、戦時中は軍歌をつくることになっていったのです。
 というか、戦時中に音楽で食べていこうとすれば、軍歌をつくるしかなかった、とも言えます。
 太平洋戦争期の映像にBGMとしてよく流れている「勝ってくるぞと勇ましく」の曲名が『露営の歌』で、古関さんの作曲だったというのは、この本ではじめて知りました。

 軍歌の覇王! 振り返れば、古関の作品は軍国色で染め上げられていた。「壮烈空爆少年兵」「華やかなる突撃」「皇軍入城」「勝利の乾杯」「南京陥落」「戦捷行進譜」「島の総動員」「黄河を越えて」「形見の日章旗」「北鎮勇士賛歌」「銃後県民の歌」「郷土部隊進軍歌」……。さながら音楽で戦史をたどれるがごとしだった。
 当時、29歳。作曲の依頼はつぎつぎに舞い込んだ。望むと望まざるとにかかわらず、急転直下与えられたその役回りを、古関は果たさざるをえなかった。もちろん、腕はぞんぶんに振るった。契約更改で苦しむ時代に戻るのはごめんだった。


 この本を読んでいると、厳しいスケジュールのなか、次々と新しい曲を作り続ける古関さんに圧倒されるのですが、古関さんを突き動かしているのは、音楽への愛着と、ヒット曲を出せずに苦しんでいた時代に戻ってしまうことへの恐怖感だったように思われます。
 
 古関さんは、太平洋戦争の時代の、ごく平均的な「愛国者」ではあったけれど、愛国心からというよりは、経済的な理由や、やっと築いた自分の地位を失いたくない、という理由で、求められた軍歌を作り続けていたのです。
 そして、「戦争」というのものに対して、入れ込みすぎていなかったからこそ、かえって、前線の兵士たちが感情移入しやすいような、哀愁や郷愁をもつ曲がつくられていたのです。
 
 古関さんが軍歌をつくっていたのは、「あの時代に音楽の才能を活かして食べていくための、自然な選択」でしかなかった。それを、戦争が終わり、日本が負けたからといって、「戦争協力者」として批判することができるのだろうか?
 しかしながら、古関さんの曲が流れるなかで、多くの兵士が戦場に送られ、命を落としたのもまた事実で、そこに「戦争責任」は全く無いと言い切るには違和感があるのです。

 そして、戦争が終わると「長崎の鐘」や「ひめゆりの塔」といった「反戦作品」の曲を書き、菊田一夫さんと組み、『君の名は』を大ヒットさせています。

 相変わらず、菊田(一夫)は台本が遅かった。帳尻をあわせるのはいつも古関だった。古関の家は、写譜生があふれ、さながら眠らぬ「作曲工場」だった。その様子をみて妻の金子は、
「パパは菊田一夫に殺される!」
 と悲鳴をあげた。
 それでも、古関はよく菊田の求めに応じた。そんな芸当ができるのは、日本でも古関ただひとりだった。
 だからこそ、怒りっぽい菊田も、古関にだけは声を荒げなかった。唯一の例外は、東宝ミュージカルの第七回「メナムの王妃」(1957年9月4日初演)のときだった。
 このときも台本が遅れに遅れ、舞台稽古の当日に、ようやく舞踏シーンの歌詞ができあがった。古関は急いで歌の楽譜を書き上げたが、オーケストラの楽譜は間に合わなかった。
 すると菊田は、
「作曲は、どうしたッ!」
 と怒声をあげた。古関も思わず、
「そんなに早くできないよ。いま、もらった原稿ですからね」
 と言い返した。練習に夢中でそんなことを忘れていた菊田は、ハッと気づいて黙ってしまった。
 ふつうの作曲家ならば、これで関係を絶ったかもしれない。だが、古関はちがった。むしろ菊田を「あの直情がまた、なんともいえない彼ならではの美しさ、また愛らしさだった」とかばったのである。古関・菊田はまことに名コンビだった。


 古関さんの内心はわからないけれど、少なくとも他者に対しては寛容で、売れてからも慎ましい態度をとりつづけておられたそうです。
 もしここで二人が喧嘩別れしていたら、その後の菊田・古関コンビでの多くの作品は生まれていなかったのです。
 古関さんが作曲家として息の長い活躍を続けてこられたのは、作曲能力だけではなく、こういう性格が信頼されていたというのも大きかったと思われます。

 古関は、生涯クラシックへのこだわりを持ちつづけた。もっとも意識する作曲家は山田耕作であったし(服部良一の「永遠のライバル」発言は片思いだろう)、晩年もレコードやコンサートで聞くのはもっぱらクラシックだった。ただ、仕事で求められたのはヒットする大衆歌謡だった。この芸術志向と商業主義のねじれば、多彩な音楽を大量生産的に生み出す、いささか倒錯した行為のバックボーンになった。
 社会との関わりでも似たことがいえる。古関は、政治的な主義主張をほとんどもたなかった。仮にあったとしても、その当時として一般的な範囲を出なかった。にもかかわらず、数多く軍歌や団体歌を送り出した。それを可能にしたのは、ノンポリゆえにかえってどんな政治的音楽でも自由自在に作れるという、もうひとつのねじれだった。
 このような屈折があったからこそ、その5000曲ともいわれる作品群は、帝国主義と平和主義、国粋主義と国際協調、滅私奉公と個人主義などのあいだで激しく揺れ動いた昭和日本の写し鏡となったのであり、あたかも昭和史のミクロコスモス(小宇宙)のごとく広大無辺となったのである。

 古関さんの音楽は、戦争の時代にも、戦争が終わった時代にも、変わらず、人々を励まし続けていたのです。
 それは、職人芸でもあり、イデオロギーを欠き、時代に流されることをためらわない生きざまでもありました。

 自分や家族が生きていくために、その時代に合わせて、自分ができることをやり続けてきた。本人にとっては、ただ、それだけなのだけれど、後世からは、「変節を繰り返しているにもかかわらず、罪に問われる(あるいは、罪を自ら償う)こともなく、栄光に包まれてきた」ように見えるのです。

 それはまさに、「昭和という時代を生きのびてきた、ごくふつうの日本人」の姿でもあるのです。
 たぶん、あの時代に「戦争責任」を問われた人の中には、「目立ちすぎた古関裕而」だった人もいたはず。
 
 古関裕而さんに対して、「名前はなんとなく聞いたことがあるかな……」というくらいの予備知識しかない人にこそ、ぜひ読んでみていただきたい。

 ひとりの作曲家の伝記というだけでなく、「昭和という時代を生きた、典型的な日本人」の姿が描かれた作品だと思います。


決定盤シリーズ 栄冠は君に輝く 古関裕而大全集

決定盤シリーズ 栄冠は君に輝く 古関裕而大全集

  • アーティスト:V.A.
  • 発売日: 2007/12/19
  • メディア: CD

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