琥珀色の戯言

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【読書感想】まちづくり幻想 地域再生はなぜこれほど失敗するのか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

アフターコロナで、地方移住が盛り上がる中、地方人気に脚光が当たっています。しかし、ほんとうに地方からの流出は止まったのか。それはまさに「幻想」だと、著者の木下さんは断言します。地方・まちづくりをめぐるニュースの数々は、本質をとらえない、思い込みが蔓延しています。

なぜ、地方が衰退するのか。地域再生は挫折するのか。

本書は、地方の最前線で長年地域おこしを見続けてきた著者による、幻想を打ち破り、ほんとうに地域が立ち直るための「本音の」まちづくり論です。地元の悪しき習慣から、行政との間違った関係性、「地域のために!」という情熱を注ぐ事業のブラック化など、豊富な事例をもとに明かします。読んだあとに、行動を促す1冊をめざします。


 新型コロナウイルスの流行で、「密集すること」が避けられ、地方に移住を考える人も多くなるだろうと言われています。
 九州の地方都市に住んでいると、東京での新型コロナウイルスの患者数の多さや緊急事態宣言がずっと続いていたことを、別の国の出来事のように感じてしまうところもあるのです。人口比で考えると、東京で患者数が多いのは当然なんですけどね。

 著者は、高校時代(!)から、地方の現場で「まちづくり」に取り組んできたのですが、「地域再生」の失敗例も数多くみてきたのです。

 地方再生は今、ますます混迷の度を深めています。
 戦後、地方交付税交付金という制度ができ、今は約16兆円が毎年配られています。その他各種インフラ整備、農林水産業、地域商業、社会福祉関連でも多額の予算が地方へと分配されています。さらに、2014年からは地方創生政策の柱として年間1兆円を超える予算が投じられましたが、それでも2019年には人口の東京一極集中は過去最高になりました。
 2020年からは新型コロナウイルス感染拡大による「地方移住の加速」がメディアでは報じられましたが、各種人口の統計を見ると、東京からの流出は埼玉、千葉、神奈川のような近郊が主で、東京圏の優位が崩れるような流れにはなっていません。
 なぜ、戦後一貫して国の莫大な財源が投入されたにもかかわらず、地方はますます衰退してしまうのでしょうか。地元をどうにかしたいと、膨大な予算を獲得し、事業に取り組んだ人たちが大勢いるのに、思う結果が出ないのはなぜなのでしょうか。

 それは地域の多くの人たちが「まちづくり幻想」に囚われているからです。


 日本は人口がどんどん減っていく国なのですが、そのなかで、東京への一極集中が、さらに進んできています。
 新型コロナウイルスの流行で、東京から離れる人たちも、その行き先は「地方」ではなく「東京圏」にとどまっているのです。

 では、この「まちづくり幻想」とは何なのか。

 著者は、「地方創生」を掲げる自治体や企業の偉い人たちが、自分の経験や常識にとらわれていて、「地方の人々」とくに若者たちの感覚に寄り添おうとしないことを嘆いているのです。

 地方民間企業の意識決定層の大きな問題は、「若い時の苦労は買ってでもしろ」という幻想にいまだに囚われているところです。
 若い頃に苦労して、歳をとったら報われる。そんなことが確実だった時代はよかったかもしれませんが、今の時代、若い頃に間違った苦労をしてしまうと、人生のキャリア形成において取り返しがつかなくなります。今の若者はバカではないのでキャリア形成についてよく考えています。
 それを「若いんだから苦労するのが当たり前だ」なんて考え方の社長がやり方を変えない限り、そこに人は集まりません。地域活性化の分野でいえば、地域における仕事は「誰もやりたくない」からこそ人手不足が起きているという側面があります。むしろ会社側が働く人たちに適応していく必要があるのです。
 
 ここに「女性」の要素が加わるとますます酷くなります。いまだ「嫁にきたらタダで使える」くらいに思っている人もいますし、女性が高等教育を受けるべきかどうかいまだに議論する地方政治家に出くわすこともあります。国の委員会の場であっても、地方中小企業の代表者たちが「最近の若いやつらは我慢ができないからすぐに辞めていく」「そうだそうだ」と頭を抱えるような話を始めてしまう機会に何度も居合わせました。若者と女性が地元からいなくなってしまうのも当然です。
 外から移住者を呼んでくる前に解決すべきは、地元から逃げていく人たちの意見を聞いて、えらい人たちが態度・思想を改めることです。それこそ、自分たちでどうにかなる問題のはずなのです。


 移住してきてほしい、と言われても、そこで待っているのは、地元の人たちにとって都合のいいような酷い労働環境や女性蔑視、という事例が少なからずあるのです。
 「地元の人が、誰もやりたがらないことをやるために移住してきてくれ」なんて、来る側からすれば、ひどい話ですよね。
 そもそも、今の時代の若者たちは、これからの日本が高度成長期のような年功序列、生涯雇用の社会ではないことを知っています。
「若い頃の理不尽な苦労がのちに報われる」なんて、誰も信じてはいません。
 過去の成功体験を捨てることができないまま、他の自治体の成功体験をそのまま持ってこようとしたり、外部のコンサルタントに任せたりしても、うまくいくわけがないし、そんなやり方では継続性もありません。地方創生のための交付金が、結果的に東京のコンサルティング会社に流れていってしまうだけでは、何のための「地方創生」なのか。

 これまで見てきたように、地域における官民双方の「人事」と、意思決定層が「学ぶ」こと、そして事業を絞ることが大切なわけですが、これが実現できている地域が私のまわりで2つあります。
 一つは、これまでも私の本の中で紹介してきた、オガールプロジェクトで有名な岩手県紫波町です。同町の藤原孝・前町長は住民向けの政策説明を行う上で、ワークショップの外注をストップし、そのかわりに職員にワークショップの研修を受けさせていました。その理由は、とても納得できるものです。
 例えば、毎年300万円の予算でコンサルに外注すれば、限られた回数しかできませんし、職員に学びがないので毎年外注費を出し続けることになる。一方で、職員を研修に出せば高くても30万円程度、PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ。公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う手法)を学びに大学院に行かせても100万円から200万円の研修費で済みます。しかもそれ以降は自分たちでワークショップを仕掛けることが可能になる、というわけです。
 しかも毎年繰り返してやることによって、職員は外部からも評価される人材になっていく。講演に呼ばれたり、周辺の自治体のワークショップへのアドバイスを求められたりするのです。すると仕事に対してのプライドも高まり、業務品質も上がる。「誇りが持てる仕事ができる環境を作らなくてはならない」という言葉も藤原さんの言葉も藤原さんのお話にはよく出てきます。


 外部に丸投げして、「やったつもりになる」のではなくて、お金と時間をかけて、組織の中の人を育てる。
 そうしたほうが、長い目でみればコストも安くすみますし、その地域の事情をよく知っている人なのですから、より緻密な対策を立てられるはずです。
 
 大きなイベントや施設の建造、企業の誘致などの「劇薬」に頼ろうとする地域再生は、コストがかかり、失敗したときのリスクも大きい。そういう「わかりやすい地域再生策」に乗ってしまったばかりに、負債を抱えてしまう自治体がたくさんあります。
 
 そして、「まちづくり」「地域振興」は「良いこと」だという「幻想」が、問題になることも少なくないのです。

 広島県世羅町において、第三セクター「セラアグリパーク」が累積赤字に悩んでいる状況について議論する中で、地元議員の一人が「ますいから売れないのではないか」という趣旨の発言をしたところ、地元関係団体が「不用意な発言だ」「生産者のやる気をなくす」といった声明を出し、町議会ではその町議への辞職勧告決議が可決される事態にまで紛糾したという話がありました。

 食べ物や飲み物には好き嫌いがありますから、ある人にとっては「まずい」と感じるものでも、他の人にとっては「おいしい」ものもあります。私も実際にワインを飲んだところ、決して「とんでもなくまずくて飲めない」というものではありませんでした。正直、私も全国でご当地ワインの試飲をさせられる機会は多いので、飲めたものではないワインというのも多数経験してきています。その中で言えばむしろ世羅のワインは突出して悪いものでもありません。
 しかし、問題はそこではないのです。

 第三セクターの売り上げが思ったように上がらず赤字が続き、在庫も積み上がっているような状況が現実として発生しているわけです。であれば、当然ながらその主力商品そのものに問題がある可能性を検討するのは妥当です。
 しかし、そのような発言一つに対して「生産者のやる気をなくす」などという反論をし、さらに議員辞職を求めるまでに議会が揉めに揉めてしまうあたりに、これもまた地方の大きな問題があります。
「地域の人たちが努力してやっていることは尊いものであり、誰も批判してはならない」というのは、心情的には理解できますが、事業である以上結果が伴わないものは根本的な問題と向き合わなくてはならないのです。皆が仲良く努力したからといって結果が伴う分けではないのは事実です。
 重要なのは、仲良くすることではなく、真剣にそのプロジェクトの状況を打開するために、検討し、議論し、次のアクションを決めていくことです。そのようなことすらも「失礼だ」とか「バカにしている」というよく分からぬ面子の話に置き換わってしまうようでは話になりません。


 こういう話って、地域再生事業以外のところでも、けっこうありますよね。
 「善いこと」をやっているのだから、批判をするな、やる気を失くさせるようなことを言うな、という圧力。
 でも、つくっている人たちが、どんなに努力していたとしても、消費者は口に合わなければ、あるいは、値段相応の価値があると認めなければ買ってはくれません。「買う側」からしたら、当然のことです。
 売れない商品を「善意」で作り続けているほうが、悲劇ではないのだろうか……
 
 「地域再生」というのは、美談として語られがちだけれど、この本を読んでいると、「もう、行きたい人は東京に行けばいいし、地方も創意工夫と現状認識ができているところだけが生き残っていけば良いんじゃない?」と思ってしまうのです。
 どんなに国がお金をばらまいても、もう、その流れを止めることはできない。


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