琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【映画感想】マトリックス レザレクションズ ☆☆☆

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ネオ(キアヌ・リーヴス)は自分の生きている世界に違和感を覚え、やがて覚醒する。そして、マトリックスにとらわれているトリニティーを救出するため、さらには人類を救うため、マトリックスと再び戦うべく立ち上がる。

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2022年2作めの感想(観たのは2022年1月14日のレイトショーでした)。
観客は10人くらいでした。


マトリックス』の公開が1999年。『リローデッド』『レボリューションズ』は2003年ですから、もう20年くらい前になるんですね。
 せっかくだから、前の3部作を復習しておこう、と観なおしていたら、もうそろそろ劇場公開が終わりそうな雰囲気になってきて(大ヒットしている、というわけでもなさそうで、前3部作の盛り上がりを記憶している僕にとってはけっこう寂しい)、あわてて映画館で観てきました。新型コロナウイルスの感染者がまた急激に増えてきていて、またレイトショーが中止になるかもしれないし。

 家で、久しぶりに『マトリックス』を観ていたら、なんだかいろんなことを思い出したんですよ。
 『マトリックス』のDVDが発売されたのと同じ時期にプレイステーション2が発売されて、PS2はDVDというメディアの普及に大きな役割を果たしたのです。発売されてすぐの時期には、PS2も専用ソフトが少なくて、「PS2でいちばん売れているソフトは『マトリックス(映画のDVD)』だ」なんて言われていました。
 『マトリックス』で、ネオがのけぞってスローになった弾をよけるシーンはもはや「いろんな人に真似され尽くした」感もあったのですが、作中では、ネオは弾を全部避けきれずに、最後にちょっと被弾していたんですね。観たはずなのに、覚えていないものだなあ……
 『リローデッド』の予告編でワクワクした「100人スミス」や、クライマックスの「ノートン先生(創造主)」の場面の「えっ何これ?」という感触、『レボリューションズ』の雨中のスミスとの対決など、ストーリーは正直理解できている自信はないけれど、記憶に残るシーン満載の映画ではありました。
 当時、まだインターネットやバーチャルリアリティが「これからどうなるか、よくわからない、希望と不安に満ちた存在」という時代の空気も『マトリックス』という映画の影響力につながっていたと思います。
 正直、いま観ると、「中二病っぽい世界観だな……」という気もするのですけど、いま観ても『マトリックス』のキアヌ・リーヴスは本当にカッコいい。


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 20年ぶりくらいに観て、あの世界観や演出など、その後の20年の世の中に、さまざまな影響をもたらした作品だということを、僕もあらためて思い知らされました。
 そして、『マトリックス』自身も、いろんな先行作品の遺伝子を受け継いでもいるのです。


 それで、今回の『レザセクションズ』。 
 観終えた直後の僕の率直な感想は「本編上映後のおまけ映像まで、つくづく『蛇足』な映画だな……」だったことを告白しておきます。
 あと、「前の3部作を復習しておいてよかった」とも。
 冒頭のシーンから、第1作の『マトリックス』へのオマージュ満載でニヤニヤできますし、これまでの『マトリックス』を知らないと、何が何だかわからない、あるいはストーリーやキャラクターの「伏線」的なものを楽しめなくてもったいない。

 でも、あらためて観てみると、前の3部作の「大団円感」は非常に強くて、『レボリューションズ』を観終えて、「この映画は、これで終わったほうが美しい」と思ったのです。

 要らないだろ、続編。

 それなりに話題になった『アニマトリックス』のような「サイドストーリー」とか「スピンオフ」なら有りかもしれませんが……

 今回の『レザレクションズ』は、物語の側に「続編の必要性」があったわけではなく、「制作側の都合」が優先されたもののようにしか見えなかったんですよ。
 ネオとトリニティーが出てきて、モーフィアスとエージェント・スミスと名乗るキャラクターが出てくれば『マトリックス』だろ?と言われれば、それはそうなんでしょうけど。
スター・ウォーズ エピソード7』でのハン=ソロ、『8』でのルーク・スカイウォーカーの運命を観たときの「僕はこんなものを観届けるためにこんなに生きてきたわけじゃないのに」という切なさをまた味わうことになろうとは。

 なんで『マトリックス』で、『マディソン郡の橋』みたいなのを見せられなきゃならんのだ……

 新型コロナウイルスなど、さまざまな事情があったようですが、エージェント・スミスを演じたのが別の人になっていたのも残念無念でした。あの同じ顔のスミスだからこその『マトリックス」なのに……いや、仮想現実のなかでは「見た目」には大きな意味はないし、むしろ、世界がアップデートされたのであれば、キャラクターの見た目も変化するのが当たり前、だと言えなくもないんだけど、やっぱり、そこは変えてほしくなかった。変えるなら変えるで、モーフィアス役の人などは、中途半端に似ている人じゃないほうがよかったのでは……

 先ほど、前3部作は、ストーリーは理解困難なところはあったけれど、いまでも記憶に残るシーンが何か所もあった、と書きました。しかしながら、この『レザレクションズ』では、そういうシーンが思いつかないのです。
 「機械と人間との対立」から、ネオの活躍によって、世界に大きな変化がもたらされたのですが、前シリーズでは「人間の世界の存亡」がかかっていたのに対して、今回は「えっ、今さら『マトリックス』で、『セカイ系』を見せられるの?」と椅子からずり落ちてしまいそうになります。ネオの個人的な言い分はわかるけれど、長い目でみれば、人間世界にとっては悪くない方向に少しずつでも進んでいるところに、あえてその均衡を乱すようなことをするのはまさに「薮蛇」。
 そういう理不尽さ、『セカイ系』的なふるまいこそが「人間的」なのだ、ということなのだろうか。

 『マトリックス』の続編だからこそ2時間半映画館でなんとか観続けることができたし、なんのかんの言いつつも、「20年後の『マトリックス』を見届けることができた、僕もここまで生き延びてきたのだな、という満足感もありました。
 しかしながら、『マトリックス』と名乗っているからこそ、あの世界観を使っているからこそ、「これが『マトリックス』だと?人間爆弾以外に映す価値なし!」などと悪態をつきたくもなる。
 ただ、前3部作を現在の感覚で観なおしておくと、「まあ、こういう『思わせぶりなわかりにくさ』こそ『マトリックス』らしいのかもしれないな」という気もしたのです。
 『エヴァンゲリオン』は、『シン・エヴァンゲリオン』で、絶妙な着地を決めて見せたわけですが、それはそれで、「綺麗に終わりすぎてしまって、もう過去作を不安な気持ちで観返さなくてもよくなったな」という寂しさもあるんですよね。
 結局のところ、良くも悪くも「何か言いたくなる」のが良い作品なのだとしたら、『マトリックス レザレクションズ』は、賛否はともかく、語りたくなる作品なのです。

 それにしても、20年前の前3部作の予備知識がここまで求められる映画というのもすごい。
 こういう造りが、こんなお金をかけた作品でも可能になったのは、アマゾンプライムやネットフリックスなど、インターネット経由での定額制映像配信サービスが広く普及して、レンタル店にDVDを借りに行かなくてはならなかった時代よりもずっと、「過去作を観て、予習してもらうこと」が容易になった、という時代の変化を感じました。
 今の若い人が、思い出補正なしで、『マトリックス』3部作を観るのは、けっこうつらそうですけどね。


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