琥珀色の戯言

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【映画感想】燃えよ剣 ☆☆☆☆

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江戸時代末期、黒船来航と開国の要求を契機に、天皇中心の新政権樹立を目標とする討幕派と、幕府の権力回復と外国から日本を守ることを掲げた佐幕派の対立が表面化する。そんな中、武士になる夢をかなえようと、近藤勇(鈴木亮平)や沖田総司(山田涼介)らと京都に向かった土方歳三(岡田准一)は、徳川幕府の後ろ盾を得て芹沢鴨(伊藤英明)を局長にした新選組を結成する。討幕派勢力の制圧に奔走する土方は、お雪(柴咲コウ)という女性と運命の出会いを果たす。


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 2021年、映画館での13作目です。
 金曜日のレイトショーで、観客は10人くらいでした。

 高校~大学時代に、司馬遼太郎さんの作品はかなり読んだのですが、この『燃えよ剣』は未読なのです。
 2回くらい文庫本を買った記憶はあるのですが、ページを開かないまま積んでしまう、の繰り返し。
 もともと司馬遼太郎作品は、幕末維新ものがあまり好きではなくて(『竜馬がゆく』は最初に読んだのですが)、『坂の上の雲』も未読なんだよなあ。
 ちなみに『竜馬がゆく』は面白かったのですが、司馬遼太郎作品のなかでいちばん好きなのは『項羽と劉邦』です。

 この『燃えよ剣』なのですが、鑑賞前にネットで非ネタバレの感想をかなり読みました。
「あの原作のボリュームを2時間半にまとめるのは無理」
「『関ケ原』の監督さんらしい、原作を強引にまとめたダイジェスト版みたいな感じ+必要性を感じないヒロイン」
NHK大河ドラマでは西郷隆盛役だった鈴木亮平さんが近藤勇役というのはなんだかしっくりこない」
 などという微妙な評価が多かったのです。
 配役については、岡田准一さんの土方歳三だけが、突出して格好よく描かれすぎなのでは……とは思いました。でも、岡田准一さん凄いよね。岡田さんのキャラクターにハマる役を演じているときは、歴史上の人物や架空のキャラクターのほうが、「岡田准一みたいな人だった」ように感じてしまうのです。

 以前、ある有名映画監督について書かれた文章を読んだことがあります。
 その監督は、多作で知られるのですが、撮った映画は一部を除いで、僕からみると「人気タレントを使ってお手軽につくった駄作」ばかりで、なんで映画業界は、この人にずっと発注し続けているのだろう?と疑問でした。

 その文章では、制作サイドにとっては「2時間にまとめられそうもないような原作を、とりあえず観ることが可能なレベルの1本の映画にしてくれる」「製作期間や予算をきちんと守って、作品を仕上げてくれる」「作品としての評価はともかく、DVDなどでの収益を含めれば、赤字になったことがない」という、その監督の「存在価値」が語られていたのです。
 自らの「作家性」を追求するあまり、企画が途中で没になったり、出演者との軋轢で降板騒動が起きたり、完成までに長い時間や想定外のお金がかかったり……
 そういう監督は、けっして少なくないのです。

 映画というのは、多額の資金がかかり、たくさんの人がかかわる「事業」でもありますから、「大風呂敷を広げたり、理想ばかり掲げたりして、結局、それが形にならない」というのは、関係者にとってはもっとも困ることなのです。


 岡田准一さんが演じる土方歳三の回想として語られる新選組の誕生から池田屋事件、そして、鳥羽伏見の戦いから函館五稜郭まで。

 正直、観ながら、「何を見せたいのかがよくわからない、新選組土方歳三の歴史ダイジェストみたいだなあ」と思っていたんですよ。あと、新選組って、敵と戦うよりも、仲間うちでの諍いが多い組織だったよなあ、と。アベンジャーズかよ!

 「侍になる」ことを渇望していたはずの商人や農民の子弟の悪ガキたちが、それに近い身分を手に入れたとたんに、「侍としての形」を忘れ、遊興にふけり、天下国家を論じる「政治家」になろうとしてしまう。
 そんななかで、最後まで「侍らしく、剣をとって戦う」ことを選んだ土方歳三という人は、この映画をみていると、すごくカッコいいんですよ。劇中で、土方は「自分は『職人』だから」とポツリと口にしているのですが、あれだけ声高に天下国家を語り、攘夷だ幕府への忠誠だ、と語り続けてきた人たちのほとんどが、あっけなく戦いをやめ、保身に走っていったにもかかわらず、土方は最後まで、本当に最後の最後まで「戦うこと」をやめなかったのです。
 多摩のバラガキ(不良少年)時代から、函館五稜郭まで。
 一緒に五稜郭を占拠し、後に官軍に投降した榎本武揚は、その後、明治政府の重職に登用されています。

 この映画「ダイジェスト感」はあるのですが、だからこそ見えてくるところもあるのです。
 新選組の誕生から五稜郭まで、10年にも満たない期間でしかありません。
 京都で刀を持って京都で維新の志士たちと斬り合っていた土方は、最後の戦いとなった五稜郭では、刀を捨て、鉄砲を持ち、西洋式の軍隊を率いて官軍と戦っています。

 僕は、最新の戦法や武器に適応してまで、勝ち目がないのに戦い続けた土方歳三という人に、圧倒されずにはいられませんでした。
 それこそ、「武士らしく」切腹するとか、刀を持って斬りこむことにこだわる、というやり方もあったでしょうし、官軍に降参するとか、戦いをやめて身を隠すことだってできたはずです。
(まあ、降参しても助命されそうにはなかったかもしれませんが)
 土方歳三をみていると、「なぜ、時流に乗ろうとしなかったのか」「ずっと変わらずに、『戦闘の職人』であり続けることに飽きなかったのか」とも思うんですよ。
 土方は、侍としての「形」にこだわったけれど、その「形」というのは、「ちょんまげ」や「刀」ではなかった。そして、生まれつきの侍ではなかったからこそ、「侍とはどう生きるべきか」と自らに問い続けていたのかもしれません。

 僕なども、父親が医者だったのをみて育ってきたので、「まあ、これも仕事のひとつだよな」というのが正直なところで、医学部で、理想に燃えて医学を志している同級生に、内心気圧されていたものなあ。もちろん、人それぞれで、親から「医者魂」みたいなものを埋め込まれている人もいるのでしょうけど。

 人というのは、ずっと同じことをやっていたり、年を取ったり、組織のなかでの地位や存在感が上がったりすると、「自分の本分以外のこと」にも関わらざるをえなくなるものです。
 作中では、旗本の身分になってから、二条城に頻繁に出入りし、政治的な動きばかりするようになった近藤勇が、やや否定的に描かれているのですが、半世紀近く生きてきて、いろんな人をみていると、そんなふうに興味の対象をより大きなものに変えていかないと、ずっと同じことをやり続けるのはきついということがわかります。むしろ、「視野を広げられないがために、うまくいかなかった人」も大勢いるのです。
 映画でみる土方歳三の人生は「美しい」し、「カッコいい」けれど、現実では「時代の流れに乗れなかった(乗らなかった)人」でもあるのです。

 歴史のなかで、こういう人の存在というのは、なんだかとても貴重に感じられますし、ダイジェスト的な流れで、あっという間に時代が変わっていくなかで、2時間半、変わらず「形の良さ」を貫こうとする岡田准一さんの土方歳三は、すばらしく魅力的でした。
 土方さん以外の登場人物の多くが、あまりにも酷く描かれすぎている、という気もするんですけどね。


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