琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】一門 “冴えん師匠"がなぜ強い棋士を育てられたのか? ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

自らは「さえん(=冴えない)棋士」であったにもかかわらず、強い棋士たちを育て上げた男がいた。

将棋棋士・森信雄。彼は夭逝の棋士村山聖だけでなく、棋界最多のプロ棋士を育て上げた。
「森先生が師匠で良かった」と弟子たちは語る。
“さえん師匠"がなぜこれほどの強い弟子を育てられたのか。
何十年にもわたる師匠と弟子の切なくも眩しい、迫真のノンフィクション。

羽生善治九段が語る師弟論も特別収載。


 森信雄さんといえば、「師匠」であるにもかかわらず、弟子だった村山聖さんの身の回りの世話をしていたという話を思い出します。


fujipon.hatenadiary.com


 著者は、将棋界での「師匠・森信雄」について、冒頭でこう述べています。

 森がこれまでプロ棋士に育て上げた弟子は、村山を含めて合計12人に上る。これは師弟関係が正確に記録されるようになった戦後でもっとも多い。
 だからと言って、森が棋界の歴史に名を刻むような棋士であったかというと、なかなか首肯しがたいものがある。生涯成績は403勝590敗、棋戦のタイトルホルダーどころか挑戦者になったこともない。森の口癖を借りれば、「さえん」棋士だった。「さえん」とは「冴えない」「ぱっとしない」という意味である。森はよく自分や弟子の成績の不甲斐なさと「さえんなあ」とつぶやいた。

 将棋の世界での「師弟」というのは、さまざまな形があるのです。
 住み込みのような形で面倒をみる師匠もいれば、たまに指導対局をしたり、アドバイスをする、というくらいの関係の場合もあります。


fujipon.hatenadiary.com


 この『師弟』という本では、さまざまな師弟関係が紹介されているのですが、将棋の世界でも、「名棋士が、必ずしも師匠として多くの弟子を育てているわけではない」のです。
 むしろ「すごい棋士」の弟子になることで、大きなプレッシャーががかることもあるし、タイトル戦にしばしば登場するような棋士は忙しくて弟子を指導している時間がない。
 この『一門』には、羽生善治さんのインタビューが収録されているのですが、羽生さんも「弟子をとらない棋士」なんですよね。
 弟子が必ずしも奨励会を突破してプロ棋士になれるとは限らないし、羽生さんが弟子をとるとなれば、多くの希望者が殺到するなかで、全員を弟子にするわけにはいきません。
 そこで「選別する」ということが自分には難しい、とも羽生さんは仰っていました。
 そもそも、プロの棋士になれるような人は、この本の表現を借りれば、「勝負に辛い(厳しい)」ものであり、後輩とはいえ、将来自分の座を脅かすかもしれない若者を育てることに向いていない人が多いのではないか、という気もします。
 プロスポーツ界のように、「現役を終えたあと、指導者として稼いでいく道」があるわけでもないですし。

 森信雄さんの「弟子との向き合い方」をみていると、森先生自身が確固たる「信念」や「方針」をずっと貫いてきた、というわけではなくて、試行錯誤しながら、その時代や相手によって、師匠としての在り方を変えてきたのです。


 森先生の弟子のひとり、山崎隆之八段の話より。

 年を重ねて、森と山崎の関係も変化してきている。山崎は中学生のころ、森と村山が話し込んでいるのが不思議だったという。
「師匠が村山先生に相談しているみたいで、師匠と弟子、という関係に見えなかったんですね。あの怖い師匠が相談しているんだと」
 そして今、森が相談するのは山崎になっている。
奨励会の弟子の調子とか、相談するのは山崎君やね。いろんな棋士のことを良く見ているし、分析も的確やから」
 と森が言えば、山崎も、
「相談というほどではないですが、師匠と話をするといつのまにか9割は一門の話になりますね」
 と肯く。
「僕から見て、師匠も村山先生が生きておられたころから、ずいぶん弟子に対する姿勢も変わってこられたと思います」
 と分析する。
「これは僕の想像なんですが、村山先生はご自身の時間が限られていることをご存じでしたから、将棋や勝負にかける姿勢は非常に厳しいものがありました。無駄な時間を過ごしたくない。やる気のない人に構っている時間はない。極端に言えばやる気のない奴は近寄るな、やめてしまえ、師匠もそういう姿勢に惹かれていたと思います」


(中略)


 山崎自身も、将棋と勝負に対する村山の世界観に共感する。だからこそ、村山が亡くなったあとの森の「変化」に気付いた。
「結構前に師匠のお宅に遊びに行ったんですよ。ふっと冷蔵庫を見たら、『保護者面談』と書いたスケジュール表が貼ってあったんです。奨励会にいる弟子の保護者たちとの面接だったんですね。それは違うだろうと思いました」
 と笑う。
 村山がいたころは突き放すような厳しさだったのが、まるで学校の先生のような親身に指導するタイプに変わっていた。
「将棋って結局は自分が頑張るしかありません。負けているときは、やはり勝負に対する自分の姿勢が濁っているときです。それを親と面談しても……という気がします」
「師匠は口では厳しいことを言いながら、最後の最後はその子に救いの手を出してしまう方です。僕が破門と言われながら、プロになれたように。どこかで人を切りきれない。それはご自身が貧しいところから身を立てて来たことと関係あるかもしれません」
 と山崎は森に感謝しつつも、「しかし救いの手を差し出されることが、果たしてその子に本当に良いことなのか」という疑問もある。
棋士によっては、プロになれそうな子しか師匠を引き受けない人も多い。ほとんどの人がそうと言ってもいい。しかし師匠はパッとみてプロは厳しそうな子でも、本人がやりたいという子なら引き受ける。弟子になりたい人にとっては、有難いかもしれませんが、もともと頑張っても厳しいレベルの子が師匠の優しさに触れてしまったとき、大丈夫かなと思います。師匠の優しさが弟子本人のアダとなる可能性がある」


 奨励会というプロ棋士の養成機関に入るためには、誰かを師匠に持ち、推薦してもらわなければならないのですが、奨励会に入っても、プロになれる人は、その2割くらいだと言われています。
 10代から20代前半というその後の人生を決める時期に将棋に打ち込むということは、その他の可能性を狭めてしまうことでもあります。
 プロになれる見込みがなさそうな人には「諦めさせる」ほうが、長い目でみれば「優しい」のかもしれません。
 でも、「負けると思って勝負の世界に飛び込むヤツはいない」のも事実ではあります。

 森さんの弟子には京大や阪大卒の高学歴棋士もいれば、中卒の棋士もいるし、勝負に辛いタイプもいれば、自分の対局の勝ち負けよりも将棋というのを極めたいという研究者肌の人もいるのです。
 まさに多士済々で、森さんの懐の広さが、こうした多様な弟子を「一門」に集めているのでしょう。
 ちなみに、森さんは、プロになれずに奨励会を退会した弟子たちも、最低数年間は連絡をとって「その後」をフォローしているそうです。

 千田翔太七段は、師匠である森信雄さんについて、こんな話をされています。

 森は千田に奨励会で伸び悩んでいる弟子について相談するという。
「弟子の見方がなかなか的確なんです。相談するとなぜダメなのか、千田理論で説明してくれます」
 と笑う。でも簡単には話をしてくれない。
「その人の1日の将棋の勉強時間はどれくらいですか」
「3時間くらいや」
「それは話をするレベルの人ではありませんね……」
 全く足りないということだ。
「大きな病院の待合室みたいなもんでな。3時間くらいやったら全然見てくれへんねん。5、6時間でようやく、みたいな。だから僕も多少勉強時間を盛って千田君に伝える」
 まるで漫才みたいなやりとりである。
 徹底した合理主義者の千田が、私の取材の中で唯一、声を湿らせたことがある。
「(森)師匠の弟子になって良かったと思った瞬間はありますか」
 私が訊ねると、千田は、
「そりゃ、ありますよ」
 ちょっと驚いたように笑った。
「今まで将棋について師匠から教わったことはほとんどありません。でもプロになると、何回か精神的にきつい状況ってあるんですよ。そういうときに師匠と話をすると、後ろ盾の存在というか、大きな安心感が得られたんです。『ああ、これが師匠という存在なんだな』って思いました。今の私はとても他人の師匠にはなれない」
「強いプレイヤーにかかわりたい気持ちはありますが、それは別に師匠でなくてもできることですから。心理的に支えることができるかどうかが、師匠業の真価ではないかと思います。


 「師匠」にもいろんなタイプがいるのだと思います。
 森信雄という棋士は、プレイヤーとしてはカリスマではないし、将棋界で政治的な権力を握っているわけでもない。
 にもかかわらず、多くの弟子たちが、おそらく対局すれば自分が勝つであろう森さんを敬愛してやまないのは、器用ではない師匠だけれど、自分たちのことを真剣に支えようとしてくれている、と信じられるからなのかもしれませんね。


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