琥珀色の戯言

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【映画感想】るろうに剣心 最終章 The Beginning ☆☆☆☆

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動乱の幕末。緋村剣心は、倒幕派長州藩のリーダー桂小五郎のもと暗殺者として暗躍。血も涙もない最強の人斬り・緋村抜刀斎と恐れられていた。ある夜、緋村は助けた若い女・雪代巴に人斬りの現場を見られ、口封じのため側に置くことに。その後、幕府の追手から逃れるため巴とともに農村へと身を隠すが……


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 2021年、映画館での6作目です。
 公開から3週間くらいたった平日の夕方の回だったのですが、20人くらいお客さんがいました。
 前作『The Final』を観たときに、「これ、もうこっちで明かされている内容だけでだいたいわかったので、『The Final』観る必要ないのでは?」って思ったんですよ。


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 まあでも、これもひとつの「けじめ」みたいなつもりで、『The Beginning』観てきました。
 20年前の僕だったら、「何このありきたりなストーリー……」ってガッカリして帰ったと思います。
 でも、今の僕は、だいぶ映画の観かたが変わったみたいです。

 正直、ストーリー的には、『The Finalから想像できたものと同じ」だったんですよ。そもそも原作を読んでいたし。
 それでも、けっこう楽しめたのは、佐藤健さんの緋村剣心有村架純さんの雪代巴が、とにかく「絵になる」存在だったからです。
 漫画版はともかく、映画版の剣心の「不殺」は、観ていてまだるっこしいというか、寸止め感」にイライラしてしまうところがあったのです。それが『剣心』のテーマなのだ、と言われればまさにその通りなのですが。

 ところが、この『The Beginning』の緋村抜刀斎は、遠慮なく斬りまくり、血も出まくりです。
「あなたの行くところでは、本当に血の雨が降るのですね」
 チャンバラとしては、「不殺」よりも、圧倒的に緊張感があるんですよ、このほうが。
 なんといっても、佐藤健さんは、本当に「画になる」役者さんだと思いました。
 殺人マシーン・抜刀斎から、巴との暮らしのなかで、ふと見せる柔らかい表情への変化が、すごく印象的でした。
 自分でつくった大根を不思議そう、愛おしそうに見つめる表情には、僕もキュンキュンしましたよ。
 そして、「もともとタヌキ顔系というか、ふんわりとした雰囲気の有村さんが巴とは、事務所のゴリ押し?」とか邪推していたのですが、むしろ、怜悧な顔つきの人がやるよりも、「表情から読めない」感じになっていたのです。
 いやほんと、この2人が並んでいるだけで見る価値がある、というか、それ以外の見どころはあまりないような気もしますが。

 あらためて観てみると、本当に「3分でやれ」と言えるような内容ですし、敵の魅力にも欠けます。
 いくら「人斬り抜刀斎」が有名になっていたとしても、あそこまでコストをかけて抹殺しようとするのは理解しがたい。それこそ、桂小五郎高杉晋作相手ならともかく。
 そして、本当に抜刀斎を暗殺したくて、味方の生命を顧みないのであれば、爆弾を持った人がひとり抜刀斎にしがみつけば良いのではないか、と考えてしまうのです。あるいは、銃器を使うという選択肢はなかったのか。それは卑怯だ、というほど武士道みたいなものにこだわっているわけではなさそうでしたし。
 そもそも、あれ、巴は真っ二つになるくらいじゃないと、おかしくない?
 まあ、こういうのこそ、不粋なツッコミなんでしょうけど。

 ただ、幕府側の言い分もちゃんと出てきたのは良かった。
 「いまの落ち着いた暮らしを守りたい。それには幕府が、政権の安定が必要だ」という考え方は、市井のふつうの人々にとって、けっして間違いではなかったはずです。
 
 日本という国は、明治維新で劇的な変化をとげ、そのおかげで欧米の植民地にならずに済んだのは事実でしょう。
 でもまあ、それはあくまでも、「勝った側からの歴史観」であり、佐幕派にも立派な人たちや人々の幸せを願った者はいたし、「革命」の名のもとに「人斬りコンテスト」みたいなのをやっていた「(エセ)勤王の志士」たちもいたのです。

「革命」とか「正義」という熱狂の渦に巻き込まれると、人はどれだけ残酷になれるのか、と考えずにはいられなくなるのです。


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この本のなかで、著者は、数々の「歴史を変える意味があったとは思えない、自分たちの組織の示威行動としての暗殺や、権力者に従っていただけの小物をなぶり殺しにするような暗殺」を数多く示しているのです。

 宇郷玄蕃梟首の評判は、武市半平太ら土佐グループを刺激する。次なるターゲットは安政の大獄のさい島田左近の下で「志士」捕縛に尽くした目明し文吉(猿(ましら)の文吉)である。文吉は自分の娘を、島田の妾に差し出していたほどの関係だった(島田が襲われたのもこの妾宅)。
 武市門下の五十嵐敬之は「天誅見聞録」で『これは少し私も関係して居ります」と、刺客を決めたときの異様な光景を回顧する。それによると木屋町の武市寓居で同士が協議した結果、
「斬りに行くと云う人が多くて仕方がない。そこで籤引きをしてきめますと、清岡治之助・阿部多司馬・岡田以蔵の3人が当たりました」
 となった。町奉行所の役人は及び腰で犯人が捕まる様子はなく、しかも藩邸内は治外法権である。このころになると岡田たちは、殺人をゲーム感覚で楽しんでいたのだろう。そもそも、相手を殺さなければ自分が殺されるといった切羽詰まった状況ではない。
 籤で刺客が決まると、「あの様な犬猫同然のものを斬るのは刀の汚れである。絞め殺すが宜しい」との島村衛吉の提案で、五十嵐と上田宗児が行李を結ぶための細引を買いに行った。
『東西評林』によれば文吉は二条新地の妾宅で帯刀の三名に拉致され、三条河原に連れてこられた。そして細引で首を絞められて殺され、木綿をさらす場の杭に裸で手首や腹部を縛り付けられて放置された。桜田門外や坂下門外の浪士たちは、みずからの生命と引き換えに相手を斃そうとしたが、岡田たちにはそのような悲壮な決意は感じられない。抵抗できない者を寄ってたかってなぶり殺しにするサディスティックな快感に酔いしれながら、それを正義と信じていただけである。


 The Beginningの緋村抜刀斎は、「腕は立つけれど、容赦なく目の前の敵を斬りまくる殺人マシーン」なんですよ。
 でも、そんな「殺人マシーン」の姿を「これまでの映画での剣心」を捨てて、きっちり演じていた佐藤健さんは凄かった。
 「剣心を応援してしまうのは、剣心側から描かれた話だから、なんだよな……」と観客にちゃんと考えさせてもくれるのです。

 日記もうちょっと隠せよ、とは思ったんですけどね。
「ああ、剣心は字が読めないという設定なのかな」と解釈していたら、読めてるし。
 いや、あれを剣心に読ませるのも策略なのか。


 高橋一生さんの桂小五郎の何を考えているかわからない感じもよかった。
 ですが、新選組をはじめとして、「登場人物は豪華だけれど、印象に残るのは剣心と巴だけ」ではありました。
 まさに「The Final」の一部を引き延ばして2時間強の長尺にした映画。
 それでも、佐藤健さんと有村架純さんが好きなら、観ておいて損はしない作品だと思います。
 

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