琥珀色の戯言

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【読書感想】ならずもの 井上雅博伝 ――ヤフーを作った男 ☆☆☆☆

ならずもの 井上雅博伝 ――ヤフーを作った男

ならずもの 井上雅博伝 ――ヤフーを作った男

  • 作者:森 功
  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: 単行本


Kindle版もあります。

日本一成功したサラリーマンは、都営団地に生まれた庶民の子だった。

1996年1月、ソフトバンク社長室の一角で『Yahoo! JAPAN』は産声を上げた。専属スタッフわずか3名のその会社を、「年商1兆円」の巨大IT企業に育て上げた男の名は、井上雅博。
世田谷の都営団地に生まれ、孫正義に見出された男は、ヤフーを爆発的に成長させ、サラリーマンでありながら1000億円と言われる資産を手に入れた。ひっそりと実業界を去った井上は、桁外れの趣味の世界に溺れ、17年4月にカリフォルニアのクラシックカーレースで非業の死を遂げる。

ヤフー・ジャパン、そして日本のインターネット産業の裏面史を、大宅賞作家が描く


 僕は1990年代の終わりからインターネットをやっていて、2001年から本格的に個人サイトを始めたのです。
 当時の個人サイトの運営者にとっては、「ヤフーに自分のサイトを登録してもらう」というのが大きな目標で、何度もヤフーに登録申請したものの、全く梨のつぶてだったことを思いだしました。
 こういう人たちが、ヤフー帝国をつくりあげ、僕のサイトを審査していたのかなあ、なんて考えながら読んだのです(井上さん自身は個々のサイトの審査はしていないでしょうけど)。
 あの頃も、今も、ヤフーは日本のインターネットの中心のひとつであり続けているのです。
 

 言うまでもなくヤフー・ジャパンは、ソフトバンク創業者の孫正義が米ヤフーと事業提携を結んで立ち上げた日本法人である。米国のビジネスをそっくり輸入している。孫の始めた事業というイメージが強い。事実、1996年1月、日本法人としてヤフー・ジャパンを設立したときの初代社長には孫が就いた。
 だが、実のところ、孫自身は日米のヤフーの事業そのものにほとんどタッチしていない。創業半年後に社長に座った井上が、日本におけるサイトのシステムをいちから立ち上げた。それが、日本におけるインターネットポータルサイトの草分けとなり、現在にいたっている。
 井上は事実上のヤフー創業者であり、現在のヤフーがあるのは井上の功績だ、と孫を含め、関係者の誰もが口をそろえる。のちに米国にあった本家のヤフーは同業のGAFAに押されて廃業し、いまやヤフーと名のつくサイトの運営会社は日本にしか存在しない。それも井上の経営判断がもたらした結果といえる。
 ヤフーという風変わりな社名は、ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロという米スタンドフォード大学の学生が起業したときに考案された。社名をガリバー旅行記に出てくる野獣「ヤフー」から付けたとされる。粗野で型破りな「ならずもの」という意味があるから、二人が自虐的に社名に選んだとの説がある。となると、ヤフー・ジャパンを創業した井上は「ならずもの」集団の日本代表の地位に就いたことになる。


 井上さんは、日本のインターネットの発展に大きな功績を残し、ヤフー・ジャパンが株式を公開後、1株あたり1億6000万円という株価をつけたことによって、億万長者になりました。
 著者は「一説によれば、総資産は1000億円とも、それをはるかに上回るともいわれる」と書いています。
 ただし、井上さんは、自らリスクを取って起業したのではありません。
 ソードという会社からソフトバンクに転職し、孫正義社長にヤフー・ジャパンの責任者として抜擢され、そこで頭角をあらわして、ストックオプションという自社株の割り当て制度によって、大金持ちになったのです。
 

 事実上の創業社長ではあるが、私財を投じて事業を立ち上げた事業家ではない。一介のサラリーマンからここまで成りあがってきたのである。
「井上さんはヤフーを創業しましたが、ひとつの企業の設立というだけにとどまらない。日本のインターネット産業をつくったといったほうが適切でしょう。だから起業家ではなく、産業家なんです。スマートフォンをつくったアップルのスティーブ・ジョブズやアマゾンのジェフ・ベゾスと同じように、井上さんはインターネットの産業家なのです。だから、われわれでは敵いません」
 井上に後継指名されて社長になった宮坂はこう言った。その宮坂から2018年6月、社長と最高経営責任者(CEO)を禅譲されたのが、川邊健太郎だ。
「ヤフーは井上さんがつくったサービスなんです。今もそれを僕たちがお預かりしている。現在のビジネスはこれまでのPC事業からスマートフォンの世界でそれを大きくできるか、という話にすぎません」
 川邊は井上のことをこう表現した。
「井上さんはノーリスクのサラリーマンとして、日本で最も成功をおさめた人です。それは間違いない」


 この本のなかでは、井上さんの仕事ぶりや孫さんとの関係について、関係者の証言も含めて語られています。
 井上さん自身は、飛びぬけて優秀なプログラマーでも、プライベートを捨てて仕事に邁進するタイプでもなかったけれど、「今、何をやるべきか」「どういう人がヤフーに必要か」というのを的確に判断する能力を持った人だったようです。
 孫正義さんに、率直にものを言える数少ない人のひとりであった一方で、社内では信頼する部下を介して孫社長とやりとりをして、直接ぶつかるのを避けるなど、微妙な距離を保っていたのです。
 お互いに信頼はしているのだけれど、煙たい存在だったのかもしれません。
 井上さんがゴルフをやらない理由を尋ねられて、「自分がゴルフをやるようになったら、休みの日も(ゴルフ好きの)孫さんに付き合わされるから」と言っていたというエピソードも紹介されています。
 そういう井上さんをずっと重用してきた孫さんも、自分に必要な人間を理解していたのだなあ、とも思うのです。
 アリババへの投資とヤフー・ジャパンがなければ、今のソフトバンクは存在していないのですから。

 ヤフー・ジャパンのサービスがはじまったのは、1996年の4月だったのですが、わずか3ヶ月で、この日本初のインターネットのポータルサイトは立ち上げられたのです。

 そんな黎明期のヤフーで、井上さんは必要な人材を次々に採用していきました。

「なにしろ四月までに米ヤフーのサイトを三ヵ月でそっくり日本語版につくり変えなければならないわけですからね。回線、サーバー、OS、アプリケーション、ネットの仕組みのすべてに熟知していて全体像を見渡せる人材が必要でした。すべての技術に熟知していて、この先に雇うエンジニアたちを広範囲に指示できる人が欲しかった。そんなときアメリカの(通信大手)AT&Tで働いていた技術者が、たまたま(ヤフー・ジャパンの採用に)応募してきたのです」
 西牧がこう回想する。
「その人を井上さんと僕の二人で面接しました。『あいつ、どう見てもおかしいよな』と井上さんが言うほど、普通ならどこにも就職できないような変わったタイプ。年齢も井上さんと同年代で、そう若くもない。でも『だから、採用だよな』と二人とも妙に納得し、ヤフーに入ってもらいました。誰かの指示を待って仕事をする優秀なサラリーマンタイプでは絶対できなかったし、彼がそうでないのは明らかでしたから」
 もちろんインターネットの知識を見込んだ上での採用であり、そのエンジニアは今でもヤフー・ジャパンのCISO(最高情報セキュリティ責任者)として勤務している。さらに、西牧がこう言葉を足した。
「そのくらい切羽詰まった状況でした。でも、彼は期待どおり、ちゃんとおかしいまま、技術屋のトップとして新たに入ったエンジニアたちをまとめていきました。彼がいなければ、ヤフー・ジャパンのサイトは立ち上がらなかったと言っても、言い過ぎではありません」

(ヤフー・ジャパンを)そこまでの巨大ポータルサイトにしたのは、井上であり、影山たちヤフー草創期の幹部社員たちである。現在社長を引き継いでいるCEOの川邊健太郎は、そんな井上の経営手腕の一つとして、人材の発掘を挙げる。
「井上さんの残した名言はいくつもありますが、その中でも『自分に理解できない人は採用する』という言葉が印象に残っています。言ってみれば、井上さんにとっては僕もその一人でしょう。初めて会ったとき、ひと晩、モバイルインターネットの話を聞いてくれました。その結論が「よくわかんないな、言っていることが……』でした。結局、僕もそれで認められたんだなと思います」
 井上は独特の感性で社員を雇用してきた。その採用基準については明確な説明ができない、とヤフーの幹部たちは異口同音にそう言う。


 すでに安定期を迎えた企業や業界では、「協調性」や「他者への気配り」を重視し、職場の雰囲気を良くしたほうが成果があがる、という考え方もあるのです。
 井上さんは、「戦国時代」を生き抜くために必要な人材を見極める目がありました。
 それと同時に、当時、採用した人たちが、その後もヤフーで活躍しているというのは、「能力だけでなく、適応力も見えていた」のかもしれません。

 この本では、井上さんの晩年の趣味である、クラシックカーやワインの収集や別荘づくりのことも詳しく書かれています。
 60歳という年齢でヤフーの社長から退いた井上さんが、その後の人生の目標としてこんな貴族的な道楽を極めようとしていたのか、次の事業をやる気になるまでの充電をしていたのかは、よくわかりませんでした。というか、本人にもよくわからなかったのではなかろうか。
 
 あの時代を一人のインターネットユーザーとして生きてきた僕としては、井上さん自身から、あの「ヤフー・ジャパン創業期」の話を聞いてみたかった、とは思うのです。


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