琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか? ☆☆☆☆


Kinlde版もあります。

「場違いな発言や行動をしてしまう人がいるけれど、いったいどうして?」「仕事がうまくいく人といかない人の違いは何?」「すぐ人と打ち解けられる人はどこが違うの?」などなど……その答えは「読解力」。池上先生が、人生でいちばん身につけたい生きる力=「読解力」のつけ方を伝授。
間違っているのか正しいのかわからない情報が日々、押し寄せてきます。だからこそ、自分で正しい答えを出す力が必要。社会に出たらこの力こそ最大の武器です。
世界79ヵ国・地域の15歳の若者を対象に行われるPISA(ピザ・学習到達度調査)。「21世紀に必要となる資質・能力」として読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーがテストされます。読解力はそれほど重要な力なのです。
池上流ファクトフルネス! 「何がいちばん大事か」見抜く力がつくと、自分もみんなも幸せになります。


 テストの問題文が読めない(意味を読み取れない)子どもたちが増えている、という話は、近年、けっこうよく耳にしていたのです。


fujipon.hatenadiary.com


 いまの子どもたちが、本を読んでいないかというと、学校に「読書の時間」ができたこともあって、以前より本を読んでいる時間そのものは小中学生では長くなっているそうなのですが。
 
 そもそも、「読解力」とは何か、というのは、なかなか難しい問いではないか、と思うのです。

 さてこの「読解力」、訓読みをすれば「読み解く力」ですが、これはそもそもどんな力を指すのでしょうか。
「小説を読んで登場人物の気持ちを想像する」「評論を読んで著者の主張を考える」といった、国語の授業で問われていたことを思い浮かべる方が多いかもしれません。
 それももちろん「読解力」で、学びの場で重視される力です。しかし私は読解力というものを、もっと広義にとらえたほうがいいのではないかと考えています。
 読解力は、国語の授業中だけではなく、生きていく上で常に必要となる力です。日常生活においても、住宅や携帯電話の契約書、税金や保険の手続き書類、友人とのメールやSNSでのやりとりなと、正しく理解すべき文章は身の回りにあふれています。
 仕事でも、上司や同僚、取引先からのメール、企画書、仕様書、発注書、契約書など、さまざまな文章を読む機会があるでしょう。それらを読んで理解する力がないと、思わぬ誤解を招いたり、コミュニケーションがとれなかったり、仕事自体が立ち行かなくなったりしています。
 文章だけでなく、会話にも読解力は必要です。「回りくどい言い方をしているけれど、この人の本音は違うな」「説明が下手だけれど、要するにこういうことを言いたいんだな」などと、相手の意図をこちらで察するということです。
 たとえば「大丈夫」という言葉は、状況次第でさまざまな意味にとれるため、読解力がいる言葉だと言えるでしょう。転んだ子どもに「大丈夫?」と聞いて、相手が笑顔で元気よく「大丈夫!」と答えたら、「そんなに痛くなかったよ」だとか「問題ないよ」とかいった意味になるでしょう。しかし元気がなく口数が少なくなった同僚に「大丈夫?」と聞くという状況では、相手がいくら「大丈夫です!」と言ったとしても、それは心配させまいという気遣いだったり、強がりだったりで、本当は大丈夫ではない、と読み解くほうが自然でしょう。


 この本のなかで、池上さんは「読解力」=「文章の意味を正しく解釈できる」だけではなく、「他者の気持ちを察する、世の中の隠れたニーズを見つける力」として話をされているようです。
 実際のところ、学生時代に国語の成績が良かったからといって、「人の気持ちがわかる」とは言い難いし、「人格者になれる」わけでもないんですよね。
 スティーブ・ジョブズは世の中の人々が何を求めているか、という潜在的なニーズを見つける力があったけれど、プライベートでは実の娘との関係がうまくいかなかったり、アップルの社員にパワハラ的な仕打ちをしたりもしています。
 正直、この本を読んでいて、「なんでも『読解力』にしているんじゃない?」と思うところもあったんですよ。

 回転寿司の「無添くら寿司」創業社長の田中邦彦さんは、1984年に回転寿司業界へ参入しました。開業当初からネタにこだわった寿司を1皿100円で提供していましたが、店に来るのはサラリーマンばかりでした。
 そこで、田中さんの奥さんが「どれだけ食べたか、隣の人や板前さんに全部わかるなんて、女性には抵抗がある」とつぶやいたことをヒントに、女性客の需要を読み解き、回転寿司に初めてファミリーレストラン型のボックス席を取り入れました。また、寿司皿を回収ボックスに入れてもらうことで5皿ごとにゲームを楽しめる「ビッくらポン!」システムを開発するなど、先進的な取り組みで急成長を遂げました。


 これを読んで、あの「ビッらポン!」の誕生には、こういう経緯があったのか、と驚きました。思い返してみれば、僕が子どもの頃、1980年代の回転寿司って、カウンター席がメインで、テーブル席がいくつかある、という造りだった記憶があるのです。
 「ビッくらポン!」は、皿の片付けをお客さんが(ゲームを楽しみにしながら)やってくれる、という素晴らしいアイデアだなあ、と感心していたのですが、自分がどれだけ食べたか可視化されるのが気になる人にとっても画期的な発明だったのです。

 僕も含めて、人間というのは、どうしても自分自身のこれまでの経験や価値観に左右されがちで、回転ずしでいえば、「自分が何皿食べたか人に見られたくないなんて、そんなの周りは誰も気にしていないのに」なんて考えてしまうものなんですよね。
 そこで、「他者の感覚を想像し、受け入れて、そのなかで、本当に必要なものを取捨選択していく能力」は、たしかに、このインターネット社会になっても求められているのだと思います。
 ネットでの炎上騒ぎをみていると、「情報を受け取る側の読解力不足」を感じることもあるのですが、「読解力が低いお前らが悪い」と悪態をついてみても、火に油を注ぐだけです。
 受け手の読解力が、急に上がることは、まずありえませんし。
 何かを伝える立場の人は、まずは「話を聞いてもらいたい相手に理解してもらうには、どうすればいいのか」をこちら側で考えなければならないのです。
 池上彰さんは「説明の名手」として知られていますが、そこに至るまでには、「わかってくれない視聴者や読者とのせめぎ合い」がありました。

 記者が書く原稿は本来、ニュースなら視聴者、新聞や雑誌なら読者に向けて書いているもののはずです。
 しかし記者たちの耳に直接届くのは、デスクの反応と、取材先からの「いいニュースにしてくれたね」といった声ばかりになるのです。
 するとつい、本来の視聴者や読者に向けてではなく、デスクや取材先の人たちが理解するレベルの言葉で原稿を書いてしまうのです。取材先は喜んでくれるけれど、視聴者や読者にとっては、専門用語がいいぱい出てきてチンプンカンプンのニュースになってしまいます。このような事情で、記者の書く原稿は「誰のために書いているのか」が不明確になってしまいがちです。
 私自身も、以前はそんな原稿を書いていました。キャスターを経験して初めて、「誰のために書いているのか」、さらには「その相手は何がわからないのか」ということを常に意識するようになりました。
 先日も「新型コロナウイルスの影響で原油価格が暴落して大変だ」という趣旨で雑誌の原稿を書いていましたが、「原油価格が」と書こうとして「待てよ。石油価格と原油価格の違いについて、読者はわかるんだろうか。石油と原油の言葉の意味を説明しなければいけないだろう」と気づきました。またこのニュースは原油先物価格が下がったという内容でしたが、「先物」も読者はわかるだろうか、と考えました。
 普通の新聞記事であれば「原油先物価格が下がり」と一言で書いてしまいます。ですがこれでは専門家や知識のある人にはわかっても、一般の人にはわかりません。このことに気がつけば、先物と現物の違い、石油と原油の違い、ということまで描くことができます。そこで初めて、原稿はわかりやすいものとなるのです。
「みんなは何がわからないのか」を意識するようになったことで、回りまわって、今では「みんながわかりづらいニュースを解説する仕事」をしています。


 同じニュースであっても、どこまで説明するかというのは、対象とする読者によって変わってくるのです。
 日経新聞に「原油とは」なんて書いても、「そんなの知ってるよ」とほとんどの読者は鬱陶しく感じるでしょうし、なんでも丁寧に説明していては、いくら文字数があっても足りません。
 「相手を想像する」のも「読解力」のひとつの要素なのです。というか、本人の知識や能力よりも、相手のことを考えることができるかどうかが、かなり大きいと思います。
 ただ、新聞や雑誌に比べると、テレビやインターネットというのは、「さまざまな知識レベルの人に見られる」という難しさもありそうですよね。


なんのために学ぶのか (SB新書)

なんのために学ぶのか (SB新書)

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AIに負けない子どもを育てる

AIに負けない子どもを育てる

アクセスカウンター