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【読書感想】日本SF誕生―空想と科学の作家たち ☆☆☆☆

日本SF誕生―空想と科学の作家たち

日本SF誕生―空想と科学の作家たち

内容(「BOOK」データベースより)
小松左京星新一筒井康隆…日本のSFが若かったころ。1960年代初頭、SFは未知のジャンルだった。不可思議な現象と科学に好奇心を燃やし、SFを広めようと苦闘する作家たちの物語。『SFマガジン』『宇宙塵』から「宇宙戦艦ヤマト」へ。


 日本の「SF」初期から活躍していた作家のひとりである豊田有恒さんが、当時の作家や編集者たちとの交流や1970年に行われた「国際SFシンポジウム」の思い出を綴ったものです。

 開業医だった実家の都合で、半ば無理やり慶應の医学部に入学させられた豊田さんだったのですが、興味がない分野ということで、勉強に身が入らず、SFの世界に惹かれていったそうです。
 その後、お兄さんの病気が癒えたことによって、医者になるというプレッシャーから解放された豊田さんは、医学部を辞め、SF作家として生きていくことになります。

 1961年に行われた「第1回空想科学小説コンテスト」で佳作に入った豊田さんは、それがきっかけて手塚治虫先生や『SFマガジン』の福島正実さん、森優(南山宏)さんの知己を得ます。
 『宇宙塵』という同人誌に参加したことで、星新一さんや平井和正さん、広瀬正さん、光瀬龍さん、そして、筒井康隆さんや小松左京さんという、後の日本SF会をけん引していく作家たちとも出会いました。


 豊田さんは、星新一さんとはじめて会ったときのことを、こう述べています。

 ところが、ぼくの星に対する初印象は、怖いというものだった。これは、のちのち判ることだが、初対面の相手に対しては、星がシャイなくらい、押さえた態度で接するからだ。気を許したSF作家仲間だけの場では、星語録ができるくらい、毒舌、冗談、名言(迷言?)などで、おおいに盛り上げてくれるのだが、そこに初対面の編集者などがいるときは、生真面目、厳粛、さらに言えば学究的ともいえる態度を崩さない。初対面では、ぼくのほうが、作家デビューした先輩を仰ぎ見るような態度になり、勝手に垣根を作ってしまったからいけなかったのだろう。星は、柴野(拓美)と同じく、ぼくより一回り上の寅年だが、終生、対等の友人として付き合ってくれた。


 この本のなかには、星新一さんの毒舌や冗談についても採りあげられているのです。
 筒井康隆さんは、タモリさんや赤塚不二夫さんとの交流や作風から、「遊び上手のノリが良い人」のようなイメージを持っていたのですが、豊田さんは、基本的には真面目な人だった、と語っておられます。

 読んでいると、僕が知っている日本のSFの初期の代表的な作家たちが、濃密に交流していたことに驚かされるのです。
 当時、SFというジャンルがまだ一般的に認知されていなかったこともあり、同好の士に会うと、SFの話ができるというだけで、寝食を忘れて話し込んでしまうことが多かったそうです。

 SF作家クラブでは、みんなで集まって原子力発電所ジェットエンジンの開発センターなど、当時の最先端の施設に「社会見学」に行ったり、みんなで旅行にも出かけていたのだとか。

 また作家クラブは、こうした道場破り、いや研修のほか、しばしば親睦旅行にも出かけた。秩父へ行ったこともある。このとき、関東ばかりでは、関西の会員が参加しづらいというので、次回は小松が、お膳立てしてくれることになった。行った先は、雄琴温泉。今でこそ、一大歓楽街だが、当時は、ソープランドなどはなく、琵琶湖畔の丘の上のひなびた温泉地だった。看板を見て、仰天した。「日本SFサッカークラブ」と書いてある。作家クラブをサッカークラブと聞き違えたということらしいが、あれは、小松が、みんなを楽しませるため、仕組んだことだったかもしれない。一同、大爆笑。出迎えた仲居さんも、とうていサッカーなど、やりそうもない恰幅のいい星や小松をみて、不審そうだった。
 このころから、SF作家クラブで、一つの不文律ができあがった。星新一小松左京は、移動の際、同じ車に乗せないというものだ。万一、二人の身になにかあったら、できたばかりのSF界は、崩壊してしまう。つまり、危機管理というわけだ。ちょっと前のことになるが、与党の大物議員の葬儀に参列するため、与党議員が幹部も含めて、全員が同じ飛行機で、葬儀が行われる地方都市へ出向き、問題になったことがある。もし航空機事故が起こったら、与党はおおよそ壊滅してしまう。国政に対する自覚がない議員ばかりだったのかもしれない。それよりずっと前から、SF作家クラブでは、それくらいの配慮は、行っていたのだ。


 本当は星さんと小松さんが不仲だったのでは……とか、勘繰ってしまうところもあるのですが、当時のSF作家たちの「芽を出したばかりの日本のSFというジャンルの灯を、消さないようにしたい」という連帯感が伝わってきます。
 そして、日本のSF界における、星新一小松左京の両氏の存在の大きさをあらためて思い知らされるのです。

 筒井、平井、そしてぼく、われわれ三人の他、時によって遊ぶメンバーが異なる。長老の矢野徹星新一が参加してくれたり、上京した際には小松左京が加わったり、大伴昌司がやってきたり、最年少の翻訳家伊藤典夫が混ざったりしているが、マージャンだのボーリングだのしながら、SF話を楽しんだものである。
 当時、筒井康隆と初めてマージャンで対戦して、勝った者はいないという伝説ができあがった。何をやるか、まったく読めないので、面喰らっているうちに、負けてしまうのだそうだ。ただし、二回目以降は、セオリー通りをやっていれば、確率の問題でたいてい勝つようになる。

 蛇足だが、星のジョークの傑作をもうひとつ。夜、とつぜん星から電話がかかってきた。
 「豊田くん。世界三大Qというものを発見した」
 星が勢いこんで話しはじめた。
 「えっ! 三大Qって、なんですか?」
 「モンテスキューとバーベキューと、オバQだ」
 大のおとなが、それを言いたいため、わざわざ、夜、電話してきたのだ。その夜、最初に小松に電話したらしい。小松が不在だったので、面白がってくれそうな相手に、ぼくを選んだらしい。受話器を置いてからも、笑いが止まらなかったものだ。


 これ、最初に読んだときは、「何が面白いのだろう……」と僕は考え込んでしまいました。
 でも、あの星新一さんが、真剣に、こんなことで電話をかけてきた、という状況が、すごく印象深かったのでしょうね。
 当時のSF作家たちの交流って、大学のサークル活動のようでもあります。
 
 いまの若い読者にとっては、異世界の歴史のように思えるかもしれない、日本SF創世記の貴重な証言が詰まった本です。
 あの頃、「SFは売れない」とか言われていたらしいけれど、SFに魅せられた人たちは、本当に楽しそうなんだよなあ。


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