
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2019/09/26
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。

- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2019/09/25
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内容(「BOOK」データベースより)
人間関係におけるトラブルの多くは、相手が「何を伝えたいか」「何を言いたいか」を正しく理解できていないことに端を発している。情報が複雑に飛び交う現代だからこそ、言葉を、言葉の集合体としての情報を、正確に読み解く力が不可欠なのである。具体的なテキストを挙げながら、行間を読む、感情を読む、場の空気を読む、想像力を働かせて相手の心情を察するといったコミュニケーション全般のスキル向上を目指す。社会人必読の一冊。
最近、「読解力」への問題意識が高まり続けているのです。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本がベストセラーになったのですが、「算数でも文章題の意味がわからない子どもたち」が少なくない、と言われています。
では、「読解力」が低下しているのは、子どもだけなのか?
そんなはずはないですよね。
この新書は、「自分は読めているつもり」の大人たちが、自分の「読解力不足」を再認識させられる内容になっています。
僕も、これまでけっこうな量の本を読んできたので、それなりに自信はあったのですが……
言葉や文章で直接的には表現されていない真意や心情を感じ取ることを「行間を読む」と言います。書き手や話し手による表現の省略を、読み手側や聞き手側が補って理解すること、ともいえるでしょう。
行間を読むことの例として私はよく、詩人のまど・みちおさんが手がけた有名な童謡『ぞうさん』を挙げます。
ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
鼻の長さを指摘された子ゾウが、「自分だけでなく、お母さんも長い」と答えた──。書かれている文章のみに目を向ければ、読み取れる状況はこれだけです。
しかし極限まで削ぎ落された、わずか数行の短い詩には、作者であるまど・みちおさんが伝えたかった”文章では書かれていない真意”が隠されています。
子ゾウに向けられた「あなたってお鼻が長いんだね」という言葉は、いわば身体的な特徴をからかった意地悪な悪口。しかし当の子ゾウはそれを意地悪とも思わず、むしろ嬉しそうに「そうよ。お母さんだって長いのよ」と答えています。
その誇らしげな子ゾウの姿には、「自分の身体的な特徴を何ものにも代えがたい大切な個性と捉え、自分が自分であることに自信を持って生きることは素晴らしい」という思いが込められている。まど・みちおさんご本人がそのように語られています。
『ぞうさん』って、そんなに深い思いが込められていたのか……正直、「当たり前のことを言っている歌詞だなあ」としか思っていませんでした。
「お鼻が長いのね」が、「意地悪」だと感じたこともなかったよ……
とくに肯定とか否定とかは考えず、親がそうだから子どももそう、形質の遺伝の話だよね、とか。
この本を読んでいると、自分の読解力に、どんどん自信がなくなってくるのです。
逆にいえば、発信者がこめた「深い思い」は、案外、受け取る側に伝わっていないのではないか、と考えさせられます。
歌詞の読解も、なかなか難しい。
私は竹内まりやさんの曲も大好きなのですが、彼女の代表作のひとつ『駅』の2番の歌詞にこんなフレーズがあります。
今になってあなたの気持ち
初めてわかるの痛いほど
私だけ愛してたことも
この表現は2とおりの解釈をすることができます。注目すべきは、最後の一節<私だけ愛してたことも>で、「私だけ」のあとの助詞が省略されている点です。そしてそれゆえに、このフレーズは2とおりの異なった解釈が可能になります。
「私だけが愛してた」と捉えると、
→ 私はあなたを愛していたけれど、あなたは私を愛してはいなかった
「私だけを愛してた」と捉えると、
→ あなたは私のことだけを愛してくれていた
書かれていない助詞が「が」なのか「を」なのかで解釈が大きく違ってきます。実は、曲が発表された当時、その解釈を巡って論争まで起きています(後に竹内まりやさんご自身が、この歌詞は「私だけを愛していた」という意味で書いたと語られたそうです)。
読む人によって、読み方によって「こうも解釈できる、こういう理解もできる」となり得る。そんな”あいまいさ”を秘めた心情描写も、『駅』という曲が長きにわたって多くの人たちに支持されている理由なのではないでしょうか。
僕も『駅』の歌詞についての論争は知っていました。
僕は「私だけ『が』愛していた」のだと、ずっと思っていたんですよね。
竹内さんが、作り手としての「公式見解」を出していたのは、これを読んで初めて知りました。
こういう場合、作り手の解釈に従うべきなのか、自分にはこう思えた、ということで良いのか、ちょっと考えてしまいますよね。
竹内さんも「どちらにも受け取れる」ことは承知のうえで、この歌詞にしたような気もするのですが……
読解には、それぞれの人がこれまでに積んできた経験とか、負っている背景なども大きく影響してくることがあって、「相手が伝えたいことを、そのまま受け取る」のは、そんなに簡単なことではないのです。
著者は「編集」によって意味が歪められるケースやネットでの検索での注意点などにも触れています。
読解力が欠如している人は他者の言葉を曲解しがちで、他者の言葉を曲解しがちな人には、”キレやすい”傾向がみられます。
あくまでも「ひとつの例」として持ち出した一般論なのに、それを「自分への批判や非難」だと曲解してキレる。
心配して掛けてくれた言葉を、嫌味だと曲解してキレる。
親切や気遣いをおせっかいだと曲解してキレる。
最後まで話を聞かず、話の一端だけで勝手に解釈して激昂する。
相手の意図を理解せずに勝手に否定的感情をくっつけて、勝手に怒りに昇華させる。
自分の主観だけで勝手に意味を決めつけ、しかもそれが正しいと思い込んで冷静な思考ができなくなる。
他人の言葉に過剰反応してすぐに激昂する=キレるのは、その言葉の真意を読み取れていないからです。早とちりして曲解して、勝手にネガティブ思考になって、勝手に激怒する。すぐキレる人は言葉の意図や真意を理解できないまま、勝手に怒りのアクセルを踏み続け、畳みかけるように怒鳴り散らして収拾がつかなくなるのです。
正しく読み解ければ言葉の真意はわかるし、冷静に読解できれば「揚げ足を取っているだけ」「自分の都合で不機嫌になっているだけ」だと自覚することもできます。そうすればキレる前に自制することもできるでしょう。
そう考えると、他者の言葉からその真意を汲み取れる大人の読解力とは、思い込みや曲解によって増幅される人間の内なる攻撃的感情に歯止めをかける「ロジカルなブレーキ」でもあるのです。
たしかに、受け手の状況や、言葉の一部だけが切り取られて強調されることで、「(全体をみれば)そんなことが書いてあるわけではないのに、自分が攻撃されているように感じる」ことって、あるんですよね。
そこは、読解力とともに、自分をクールダウンする方法を身に付けておいたほうが良いと思います。
ただ、とくにネットでは、思いついたことをすぐに全世界に発信できてしまう、というリスクもありますし、「曲解されても致し方ない発言」が目立つのも事実です。
「誤読するほうが悪い」と言う前に、まず、発信者として、「自分は誤解されやすい言葉を発していなかったか」を省みるべきではないか、と僕は思います。
どんな言葉だって、自分が読みたいようにしか読まない人はいる、というのも長年の経験から得た実感ではあるんですけどね。
こういう、「言い方が悪い vs 読解力がない」の戦いというのは、時間のムダになる可能性が極めて高いのだよなあ。
だから、「わかる人にだけ(あるいは、ある程度背景を共有できている人にだけ)伝わればいいや」と、LINEのような、相手を限定したSNS(ソーシャルネットワーク)でのコミュニケーションを選ぶ人が増えているのでしょう。
自分は読解力がそれなりにある、と思っている人にこそ、読んでみていただきたい新書です。
たぶん、「自分は読解力がない」って感じている人って、そんなに多くはないんですよね。だからこそ、問題なのだけど。

- 作者: 新井紀子
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2018/02/02
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