Kindle版もあります。
縁日を支える独自文化・組織の実情と、暴走する暴排条例の実態を明かす!
縁日から屋台が消える。
暴走する暴排条例。反社でないのに排除されている――。
テキヤ経験者の研究者が祭りを支える人々の実態を取材・調査!
テキヤ社会と裏社会の隠語集も掲載。ソースせんべい、わた菓子、ヨーヨー釣りなど、
薄利の品を祭りで売る、縁日を支える人たちはどのように商売をし、どう生活しているのか?
世話人(出店を取り仕切る幹部)を務めた男に帳元(親分)の娘、2人のテキヤのオーラルヒストリーを通じ、戦後から現在までの縁日の裏面史が明らかとなる!
■ヤクザとテキヤは祀神が違う
■酉の市の熊手の商売は助け合い
■昔は刑事さんもお客さん
■祭りの混雑をさばくのも世話人の仕事
■テキヤ稼業は闇市から始まった
■テキヤの葬式じゃあ、ちらしちゃダメ
■前金も契約書もない、ご縁による商売
お祭りといえば、焼きそばやたこ焼き、綿菓子、お面やクジに金魚すくいなどの屋台を思い浮かべる人も多いはずです。
僕自身も、子どものころは花火や神輿には興味はなかったけれど、屋台で粉ものや甘いものを買って食べることができるのが楽しみだった記憶があるのです。
その一方で、あの屋台というのは、ちょっと怖い人たちがやっている、というイメージも持っていました。
直接何かされた、ということは全くないのですが。
「ヤクザ(暴力団員)とテキヤは違うのか、無関係なのか?」という問いに対して、著者は、自身がテキヤとして働いた経験も踏まえて、真摯に答えようとしているのです。
テキヤは基本的に稼業違いの暴力団相手にドンパチをやるような抗争はしない(テキヤは商売人、暴力団は博徒だから基本的に稼業が違う)。なぜなら、テキヤは庭場があるため、抗争などすれば商売ができなくなるからだ。
守るべき庭場を持たない極東会(テキヤの中では例外的な「テキヤから暴力団化した組織」)は、戦後から暴力団としてのシノギに手を出していた。そして、1993年の暴力団との抗争を経て、当局から指定される指定暴力団となり、もともとの稼業であるテキヤとは完全に袂を分かつことになったのである。
しかしながら、巷間では誤解があるようで、テキヤでも口座が持てない、あるいは、口座取引解約などの不幸な事態に至ったケースもある。本書は、まず、この誤解を解きたいという思いから書かれたものである。ゆえに、テキヤで長年商売をしてきた人のライフヒストリーを記している。
(中略)
彼らの話に耳を傾けて頂ければ自明だが、暴力団とテキヤを同一視することは誤りである。ヤクザは人気商売であり、地域密着型の「裏のサービス業」だが、テキヤは売る商品を持っている。顔が見えない商売ではなく、一つひとつの商品を対面で売って、100円、200円の利益で細々と商売している。だから、テキヤは暴力団や博徒を指して「稼業違い」という。
(中略)
もっとも、先述した極東会のように、戦後の動乱期、闇市に従事していたテキヤが経済成長期に暴力団化し、現在、暴力団として活動している団体もあることは事実だ。いわゆるテキヤ系暴力団だが、総じてテキヤは非合法なことはしていない。むしろ、神社仏閣における「お祭り」の名脇役であるといえる。
著者は、大学の研究者なのですが、テキヤで働いた経験から、こう述べています(心の病で休職したあと、まずはやりたかった仕事をやってみたそうです)。
2011年の12月下旬から筆者は地元のテキヤ組織に入り、断続的に商売に従事したことがある。その時の経験を振り返っても、彼らテキヤは非合法なことは何もしていなかった。強いていえば、労働基準法に抵触する時間外労働くらいのものである。
この新書は、関東の伝統的なテキヤ組織の幹部だった大和氏(仮名)と、人形師としてテキヤをやっていた女性の宮田氏が、自らの人生を語った内容がかなり多くを占めています。
彼らの話を読んでいると、なんだか、よくできた時代小説や人情噺のようで、ひきこまれてしまいました。
お祭りという特別な時間のムードにまぎれて、簡単につくれるものを、市価よりも高く売って稼ぐ商売、というイメージがあり、最近は「この焼きそば、コンビニで買えば半額くらいだよなあ」と内心思っていたのですが(思えば、屋台フードも、お祭りじゃなくても容易に買える時代にはなりましたよね)、テキヤという商売は、半世紀以上も続いているわけで、お祭りの賑わいとセットになって記憶されつづけているのです。
義理とか人情、礼儀作法をしっかり守り、働き口がない人たちの「受け皿」として機能してきた面がある一方で、暴力団などの裏社会との接点があるのもまた事実です(テキヤが直接誰かに暴力をふるったり、積極的に暴力団と協力している、というわけではなさそうですが)。
「暴力団とテキヤは同じではない」のはわかるのだけれど、「暴力団排除条例(暴排条例)」で、暴力団を厳しく取り締まり、排除するのであれば、テキヤは「無関係とは言えない」と解釈されてしまうのも致し方ないような気はします。
上下関係の厳しさやしきたりを重視するところなどは、ヤクザ的ではあるんですよね。
でも、暴力をふるわず、覚せい剤を売り捌きもせず、屋台で焼きそばを売って生活している「ヤクザ的な生き方」は、果たして悪なのか?
寺社における法会、例祭には人が集まるから、参詣に往復する人を当て込んで、露店が並ぶようになった。参詣に来た人がお参りし、お賽銭をあげ、神輿を引く、帰りには露店で喫食し、ゴランバイで子どもの玩具など(お面や綿菓子)を買う。これで、寺社の側と、テキヤの側とが共に儲かるという計算である。さらに、寺社側は、テキヤからショバ代(場所貸し代金のこと。カスリともいう)を取るわけだから、いい商売である。電気代も三寸一台一灯あたり2000~3000円を集めているが、これについては、テキヤ側と寺社側の取り分がどうなっているのか、筆者は知らない。
テキヤに関しては、寺社側も協力していて、それなりの恩恵も受けているのです。
以前は、警察ともそれなりの付き合いがあって、地域の情報収集のためにテキヤを利用していたという話も出てきます。
ヤクザなら「縄張り」と称するところを、テキヤは「庭場」と呼ぶ(すべてのテキヤが庭持ちではない)。物を売るという、実体のある商売でしかカネを儲けない。恐れるのは、暴対法ではなく食品衛生法であり、保健所に頭が上がらない。かなりシンドイ肉体労働に、幹部であっても従事する。さらに言うと、裏社会で調査の場数を踏んできた筆者は、覚せい剤などの違法薬物使用には鼻が利く方だが、多忙なタカマチの日に、15時間労働でへとへとになりながら違法薬物を用いている若い者を見たことがない。
何より、神農であるテキヤは祀神(祭神のこと)が違う。テキヤの盃事の儀式には、中国神話の農業の神である神農と、中国の伝説の帝王で医学の祖とされる黄帝、「神農黄帝」の軸を掲げる(ヤクザの場合は「天照大神」を中央に掲げ、「八幡神」、「春日大社」を左右に掲げる)。
この本を読んでいると、「たしかに違う」のですが、似たような上下関係を持つ組織で畑が違うがゆえに、ヤクザの盃事(組長の代替わりなど)に、テキヤの偉い人が媒酌人となることもあるのです。
暴力団を排除するために、テキヤまで絶滅させるようなやり方はひどいよなあ、と僕も思います。
でも、そのくらい「周辺の人々」にまで徹底的にやらないと「暴力団排除」なんてできない、抜け道として使われるのではないか、という警察側の理屈もわかる。
というか、以前、ヤクザに絡まれてものすごく怖い目にあった僕としては、暴力団もテキヤも栄える社会よりは、どっちもいないほうがずっとマシ、とか、つい考えてしまうのです。
父親から人形師を受け継いだ宮田さんは、戦後の闇市でテキヤとして人形を売ることになったお父さんのことを、こんなふうに振り返っておられます。
あるいは、親子が「死ぬしかない」と言って来たこともあります。なんでも、お父さんは学校の先生をしていたから学があったようですが、身体を壊して仕事を失ったそうです。
その親子を、父はしばらく眺めていましたが、こう言いました。「おまえさん死ぬんだね。そうかい。じゃあ、何でもできらあな。明日、山に行って教えてやるから、カブトムシとクワガタを取って来いよ。売り方も教えてやっからさ」と。
実際、その親子は、山でカブトムシとクワガタを集めて、暮らしていました。その後、水チカ(水風船)の商売を教えたようです。このチカは、仕入れ値が安いんですが、縁日では定番商品ですから、売れたようです。この一家も、しばらく父の仲間になってテキヤでしのいでいました。もちろん、死ぬことはありませんでした。
ただ、これは父の口癖でしたが、「この商売、いつまでもやってんじゃねえぞ。どんどん辞めていけ。カネ貯めたら、すぐに辞めろ。二度と、こっちの世界に来るな」と言って、辞めた人間が訪ねてくることを禁じていました。もちろん、若い衆も辞めた人間を訪ねて行っちゃダメというように教えていました。自分がテキヤで生涯を終えたくせに、人には常々「露店という字を見てみな。露の店だぞ。こんな商売、五年やっても、十年やっても世の中で何の役にも立たねえんだ。生活の方策が立ったんなら、早いとこ辞めちまえ」と言っていました。しかし、一方で、「世の中には、ここでしか生きれない人間もいる、そいつらは、おれみたく不器用な人間なんだよ。そのままほっといちゃ、悪さする。ここに括り付けときゃ何とかなるし、お上の世話にもなりゃしねえ」と、入りたい奴は仲間に入れ、その代わり(テキヤの稼業人に)仕立てたりはしないというスタイルを通していました。「ここに括り付けときゃ」というのは、テキヤの中には上下関係があるから、少々の悪ガキでも何とかできるという意味だったと思います。
この本で紹介されている2人の「テキヤとして生きてきた人」の半生からは、大起業家や偉人ではないけれど、社会の片隅で、自分の守備範囲のなかで、淡々と働き、生き抜いた「庶民の矜持」が伝わってくるのです。
本当に、貴重な証言だと思います。
お酒や博打で夫婦喧嘩も絶えなかったそうですが、亡くなられたときの家族の嘆きや多くの人が集まった葬儀の様子などを聞くと、人間の価値って、何なんだろうな、とあらためて考えずにはいられません。
「テキヤ」って、ヤクザの下っ端が屋台で商売させられているもの、だと思い込んでいる人(僕がそうだったのですが……)は、ぜひ一度、読んでみていただきたい本です。