琥珀色の戯言

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【読書感想】枕詞はサッちゃん 照れやな詩人、父・阪田寛夫の人生 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
♪サッちゃんはねサチコっていうんだほんとはね―父が作詞した歌がテレビで流れると「今日はお肉が食べられる」と喜び合った。庄野潤三三浦朱門らと親交を深め、やがて小説家の道を歩むが、膨大な資料集めと取材で印税は泡と消えた。子煩悩とは程遠い人、けれど残した詩はユーモアと哀切に満ちていて…。娘が語る「サッちゃん」作詞家の生涯。日本エッセイスト・クラブ賞受賞。


 著者の内藤啓子さんの父親である阪田寛夫さんは、『土の器』という作品で、芥川賞を受賞されています。
 とはいえ、芥川賞作家でも、文学好きを除いては、村上龍さんや綿谷りささんのように、大きくメディアに採りあげられる「時の人」以外は、それほどみんなの記憶に残り続けるわけではないのです。

「まことに売れない本ばかり書いている作家でして、芥川賞をいただいたのが『土の器』という……」
「映画やテレビドラマになった?」
「いえ、それは、松本清張の『砂の器』かと。父のは『砂』じゃなくて『土』です。『土の器』というのはですね、聖書から取った言葉なんです。作品のモデルとなった祖母が大変熱心なクリスチャンでしたので」
 説明すればするほど、相手の方の困惑度はいや増す。そこで、毎度の助け船。
「子どもの歌で、『サッちゃん』というのご存じでしょうか? あの誌を書いたのが父です」


ーサッちゃんはね サチコって いうんだ ほんとはねー


 突如歌い出した私に驚きつつも、やっと理解と安堵の表情が浮かぶ。
「ああ、あの『サッちゃん』を書かれた」
 この会話を何十回繰り返したことだろう。
『サッちゃん』は、阪田寛夫の枕詞なり。


 たしかに、これは強力な「枕詞」だなあ。
 逆に、「『サッちゃん』を聴くことなく大人になった日本人」というのが存在するのだろうか、と疑問になるくらいです。

 この本のなかで、著者は、阪田寛夫さん、夫といつも壮絶な喧嘩を繰り返していたお母さんの豊さん、そして、妹であり宝塚歌劇トップスターだった大浦みずきさんのことを中心に、子どもの頃の思い出から、お父さんの鬱、お母さんの認知症に至るまで、書き尽くしています。
 語り口はユーモラスで、誰かを責める、なんて感じはまったくないのですが、家族だからこそ書ける、きれいごとではない面も、淡々とした筆致で描かれているのです。

 子どもの歌や絵本を書いているから、子煩悩な父親だったように世間には誤解されているが、家族連れで出かけたことは殆どない。勉強をみてくれたりもしなかったし、泳ぎ方も自転車の乗り方も父は教えてくれなかった。そんなことは格好悪いし恥ずかしいと思っていたのだろう。私が生れた時も産院に一度も来なかったそうで、それは母の積年の恨み節の一つであった。
 大体人間は外面の方が良いものだろうが、父のそれは極端過ぎる気がした。特に、敬愛する先輩のためなら、たとえ火の中水の中。詩人ならまど・みちおさん、小説家なら庄野潤三さんがその双璧だ。

 話がそれるが、この「ブーちゃん」という呼び方は、一番年上の従姉、阪田の伯父伯母夫婦の長女が始めたものだ。阪田と吉田両家の初孫でもあり、自身の子どもは放ったらかしにしていたヒロオも、この初めての姪は可愛がったようで、気障に英語で「ビーカブー(いないいないばあ)」とあやした。「ブー」「ブー」言っていたので、姪から「ブーちゃん」と呼ばれるようになったわけだ。後続部隊の姪や甥もこれにならい、伯父伯母や友人たちまで父のことを「ブーちゃん」と呼んでいた。
 この従姉は、自転車の乗り方も水泳もブーちゃんに習ったそうで、他のいとこたちも、宿題みてもらったとか美味しいもの食べさせてもらったとか口々に言うので驚きかつ呆れた。我が子には何もしなかったくせに。外面の良いブーちゃんは、いとこたちにとっては面倒見のよい優しい叔父さんで通っていた。

 私の長男は幼い頃、父に似ていた。血液型も同じABだし、髪の毛のふさふさした生え具合も似ている。自分の子どもに対してもかまわなかった父が、孫だからと言って急に態度を改め可愛がることもない。実家に私たち家族が四人で行くと、最初はまあ愛想くらいは言うけれど、十五分も経つと「おい、そろそろ帰ったらどうや」と私に向かって言う。二歳違いの男の子二人だったのでかなり煩かったとは思うが、十五分は堪え性が無さ過ぎるだろう。
 それでもネタはしっかりメモしている。長男が五歳くらいのとき、何かで𠮟られた彼が、「ボクもうしむ(死ぬ)、ボクもうダメなんだ」とべそをかきながら言ったのを書きとり、「さすがおれの孫や」と感想を述べている。DNAは恐ろしい。


 自分の子どもたちは、どこの学校に通っているかさえ知らなかった(本当に真顔で「どこの学校に行っていて、何年生か?」と尋ねられたことがあったそうです)にもかかわらず、いとこたちには優しかったし、世間に対しては「子どもの歌をつくっている人」として知られていたお父さん。
 「外面ばっかり良くて、実の娘には……」と言いたくなりますよね、それは。
 もちろん、寛夫さんが1925年生まれで、今の日本人の感覚とは違う時代を生きてきた、というのも事実なのですが。
 今の世の中は、SNSなどで、「外面」が可視化されることが多くなってもいますし。

 理想と現実とは違う、というか、「子ども」に対して、そんなに親しみを抱いていそうもないにもかかわらず、寛夫さんはたくさんの「子どもの歌」を残しているのです。
 むしろ、現実の子どもを客観的にみていたからこそ、作品にできたのかもしれませんね。

 お父さんや家族のことを過剰に美化するわけでもなく、夫婦の不仲や父と娘の断絶、介護などが書かれているところがけっこう多いのです。
 「どこの家庭にもある」ことなのかもしれないけれど、これはけっこう壮絶だな、という内容なのですが、著者は自分を憐れむことも、両親をひどく恨むこともなく、有名人である父親と妹のあいだで、自分の役割を果たしています。
 本当に「こわい」のは、著者のような人なのかもしれませんね。


詩集 サッちゃん (講談社文庫)

詩集 サッちゃん (講談社文庫)

土の器 (文春文庫 (329‐1))

土の器 (文春文庫 (329‐1))

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