- 作者:山根 悟郎
- 発売日: 2020/12/10
- メディア: 単行本
Kindle版もあります。
お金の流れがわかれば歴史がわかる!
まったく新しい音楽入門「作曲というビジネス」をテーマに、クラシック音楽史に名を残す作曲家41人の生業について、対照的な2人を比較する形で解説。当時の貨幣価値での収入比較を中心に、各人を取り巻く時代の変化、それぞれの人生、代表作品にも触れています。各種通貨は、現代の日本円に換算しているため、頭の中でイメージがしやすいこと間違いなし!
子どもの頃、伝記で読んだ有名な音楽家、ベートーヴェンやモーツァルト、シューベルトなどには、病気や貧困のなか、素晴らしい音楽をつくり続けた、というイメージがあるのです。
音楽家がお金を稼げるようになったのは、著作権の概念やレコードの技術が確立してから、20世紀に入ってから、とも思い込んでいました。
実際は、ベートーヴェンの時代にも、音楽ビジネスは存在していたのです。
この本、「有名な音楽家たちは、いまの日本のお金に換算して、当時、どのくらい稼いでいたのか」が紹介されています。
各音楽家は、「収入」「慈善度」「親の経済力」「贅沢度」「後世への影響」「音楽一家度」の6つの項目に関して、SSS~Cで評価されており、『信長の野望』かよ!と、ちょっと笑ってしまいました。
収入、というのは、本人にとっては極めて深刻な問題ではあったのでしょうけど。
著者は「はじめに」で、こう述べています。
調査を進めてみれば、思いもかけないほどたくさんの手段を用いて作曲家たちは生計を立てていました。また、意外な人物が大儲けをしていたり、逆に生活苦だったりしたこともわかりました。そして作曲家の収入には、工業の発展や著作権制度の発達とかかわりがあり、さらには本人の性格とも関係があり……。調べれば調べるほどに、没頭していってしまいました。残された優美な音楽からはほど遠くお金に汚かった人、必要以上に利己的なんだなと感じる人もいて、「人間性は音楽に必ず表れる」と信じていた私の浅はかな考えはゆらぎました。また、意外な人物が後輩たちのために金銭的な支援をしていました。つまり、儲けたお金をどのように使っていたかという点でも、驚くような発見がありました。そのような調査の結果を、みなさまにお読みいただければと思います。
登場してくる41人はみんな「歴史に残る音楽家」たちなのですが、2021年における評価や名声と、当時の収入とは、必ずしも一致しないということもわかります。
とはいえ、「すごい浪費壁があった何人か、お金よりも自分の信念を貫いた人を除けば、みんな、それなりに収入を得ていたのだな」とも感じたのです。
芸術の世界では、才能があれば、支援してくれる人がいたり、稼ぐ道があったりするものみたいです。
多くの音楽家たちが、宮廷に就職したり、貴族のパトロンから援助してもらったりしているのですが、ベートーヴェンは一度だけ、13歳のときに年俸約75万円を得たことがあっただけなのだそうです。
ベートーヴェンの生涯で最も重要な収入源は「出版」でしょう。当時すでにヨーロッパには多数の出版社がありましたが、24歳のときに大手出版社アルタリアから最初の作品番号がつく楽譜が出版されたのを皮切りに、その後ベートーヴェンはブライトコップフ・ウント・ヘルテル、ショット、ジムロックといった多数の出版社と駆け引きをしながら出版を重ねていくようになります。
また、イギリスでは著名作家クレメンティがかかわる出版社からも作品を出しています。このクレメンティという人は出版に加えピアノ製造にも携わっていて、作曲家ならではの視点を生かした多角化戦略、リスクヘッジを行った実業家でした。
ベートーヴェンの交渉はなかなか峻烈でした。一番高いお金を出すところを探す、初版が出たあと一定期間が経てば、他の出版社からも出せるように交渉する、国際同時出版をする(これは海賊版対策ともなります)など、最大の利益を引き出すためにあの手この手を用います。ときには弟や弟子たちを、交渉の代理人にしていたこともわかっています。現代にも通じる代理人(エージェント)制度を用いているのは大変興味深いですね。
日本では年末にはると全国のオーケストラがベートーヴェンの《第九》を演奏することが慣習になっています。この曲はベートーヴェン屈指の傑作の1つで、初演も大成功し、ほぼ満員の聴衆は熱狂しました。しかし収益面では思ったほどではありませんでした。苦労して開催した演奏会でしたし、秘書のシントラ―からは「200万円(2000グルデン)は儲かるでしょう」と言われていたにもかかわらず、蓋を開けてみれば純益がわずか約42万円(420グルデン)にしかならず、それを知ったベートーヴェンは、みるみる不機嫌になったそうです。残された記述によれば総収入約220万円(2200グルデン)に対しオーケストラや合唱団、ソリストを含む演奏会場への支払いが約100万円(1000グルデン)、写譜代に約80万円(800グルデン)がかかったそうです。
なお、この曲の楽譜出版権は約150万円でどうかとベートーヴェンがもちかけ、ショット社が買い取りに応じています。
晩年、耳が聴こえないなかで作曲を続けたベートーヴェンの苦悩が伝記では語られるのですが、本人はお金のこともかなり気にしていたようです。まあ、それが現実というものですよね。耳が聴こえない、ということは、将来への不安も強かったでしょうし。
この本では、基本的に、章ごとに、同じ時代の音楽家2人が比較されています。
ワーグナーとヴェルディの項で、ワーグナーのこんなエピソードが出てきます。
ワーグナーの浪費壁はなかなか常人が理解できぬレベルのもので、お金もないのに贅沢三昧、悪びれもせず借金を堂々と申し込み、首が回らなくなると国外に逃げる。出版社からも作品を担保に前借りした経験があります。ドレスデンで指揮者のポストを得て有名になると各国から借金返済を促す手紙が殺到したそうですから、何とも皮肉な話です。
現在も続いているドイツの音楽家で、ワーグナー作品(とベートーヴェンの《第九》)しか上演されない究極の音楽祭「バイロイト音楽祭」があります。この音楽祭はワーグナーが、ワーグナー作品上演のため、王の莫大な支援金を得ながら建てた専門の歌劇場で行われます。王様を利用して「自作専用」の劇場を建てるなど、もはや正気の沙汰ではありません。しかもワーグナーはここでも資金繰りに失敗。第1回の音楽祭は天文学的な大赤字を出し、2回目の開催にこぎつけるまで6年もの時を要しました。
ヴェルディの特異なところは、巨額な収入をひたすら土地購入に充てたことでしょうか。最終的に約670ヘクタール(200万坪強)もの土地を田舎に所有し、そこで農業にも従事しました。スローライフです。自分自身も農作業に加わりつつ、200人ともいわれる人を雇い、しっかり利益も上げていたので、こちらの世界でもプロフェッショナルでした。
また音楽家のため「憩いの家」という老人ホームを作り、病院を建て、遺言では聴覚障害者や視覚障害者、くる病(骨軟化症)患者の人たちのために遺産を分配するなど、慈善家としての功績は相当なものでした。国会議員も経験しますが、政治に関心があったからではなく、知人にどうしてもと頼み込まれて承諾した結果でした。
遺産は約70億5000万円(705万リラ)といわれますが、クラシック音楽作曲家が残した額としてはにわかには信じがたいほどです。
浪費家で人格的にも問題が多々あったワーグナーと、蓄財の才能もあり、莫大な遺産を残し、慈善事業にも積極的だったヴェルディ。
「とんでもない人」であっても、作曲家としてのワーグナーの熱狂的なファンは多いですし、「自分の作品を演奏するための歌劇場までつくった」というのも、破天荒エピソードとして、伝説になっているのです。
みんな、意外と貧乏じゃなかったんだな、というのと、当時の新興国・アメリカの経済力はすごかったんだな(アメリカで就職した音楽家たちの年俸は、まさに「桁違い」だったのです)、というのと。
後世の評価と、リアルタイムでの報酬は、必ずしも一致してはいないし、音楽ビジネスの発展度という「背景」の影響も大きかったのです。