琥珀色の戯言

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【読書感想】世紀の落球-「戦犯」と呼ばれた男たちのその後 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

北京五輪の野球日本代表となったG.G.佐藤。今も語り継がれる高校野球星稜・箕島戦の星稜一塁手加藤直樹。最終戦で敗れ、巨人のV9を阻止できなかった阪神池田純中堅手。彼らは、大事な試合で大きなミスを犯したとして、ファンやマスコミから非難を浴び、人生が暗転した。理不尽なバッシングとどう戦い、そして立ち直ったのか。「落球」の烙印を背負った男たちの「その後」を辿るスポーツノンフィクション。


 「世紀の落球」か……
 ほとんどの人が、人間というのは完璧ではないし、ミスや間違いを犯してしまうということを頭では理解しているはずです。
 殺人のような、他者の生命や人生を奪ってしまうような犯罪に対しては「まあ、人間誰しも、間違いはあるから」と寛容になるのが難しいと僕も思いますし、僕自身も、許そうという気持ちにはなれません。

 でも、スポーツの試合でのエラーというのは、選手たちも失敗しようとしているわけではないし、緊張しやすい僕も「エラーしやすい精神状態」というのは、わかるんですよ。
 そして、選手がエラーしたところで、応援している側としては、がっかりするし裏切られたような気分にはなるにしても、実害があるわけではないのです。
 ただ、「贔屓のチームが勝って、良い気分になるのを阻害された」だけでしかない。
 にもかかわらず、エラーをした選手はみんなに責められるし、どんなに他の場面で活躍しても、みんな「あの場面でのエラー」のことばかり覚えているのです。

 この本では、北京五輪の日本代表で、銅メダルがかかった3位決定戦で試合の流れを変えるエラーをしたG.G.佐藤選手、「高校野球史上最高の試合」とも言われる星稜・箕島戦で、取れば試合終了だったフライを転倒して落球した、星稜高校一塁手加藤直樹選手、巨人戦で正面に飛んできた打球を獲れなかったことでチームが逆転負けを喫した阪神池田純中堅手(そのシーズン、あと1勝が足りずに阪神は巨人のV9を許してしまいました)が著者の取材に対して、当時の、そしてその後の心境と人生について語っています。

 G.G.佐藤選手と星稜対箕島戦のことは記憶にあるのですが、まだ野球を観る年齢ではなかったので、池田選手のその場面はみていないんですけどね。あらためて考えてみると、いまは昔の情報でもネットで検索すれば大概のものはいつでも知ることはできるし、映像も観ることは可能(著作権的な問題はあるとしても)ですが、インターネット以前は、テレビで放送されるときに観るか、その場面が収録されたビデオを探すしかなかったのです。
 現在は、昔より、「失敗が拡散されやすくなった時代」だと言えるのかもしれません。

 その一方で、昔はデマや誤解が検証されることなく広まりやすくて、星稜の加藤選手には「死亡説」が流れ、阪神の池田選手は「巨人が阪神との直接対決で優勝を決めた試合でエラーをした」と思い込んでいる人も多かったそうです。

 平成21(2008)年8月23日、北京の五棵松野球場で、北京五輪の野球競技、米国対日本の3位決定戦が始まった。日本代表は監督に星野仙一を迎え、すべてプロ選手で挑んだ大会だった。
 3回裏、青木宣親東京ヤクルトスワローズ)のスリーランなどで日本が4対1とリードしている場面だった。この回の先頭打者バーデンの打球は高々とショートの後方に舞い上がった。レフトを守るG.G.佐藤埼玉西武ライオンズ)は猛然とダッシュしたが、ボールをグラブに当てて落としてしまった。そこから米国の反撃が始まり、日本は4対8と逆転負けを喫し、銅メダルも獲得できなかった。
 そして佐藤は、日本がメダルを逃したA級戦犯にされてしまった。
 平成26年に36歳で引退した佐藤は現在、測量や地番改良工事を行う会社に勤務している。
 これまではほとんど落球について語ろうとしなかったが、最近はようやくマスコミに対しても口を開くようになった。とはいえ、今もあのプレーについては複雑な思いを抱いている。五輪という大舞台での苦い体験はたやすく忘れられるものではない。彼は取材の冒頭ではっきりと言った。
「僕は完全に落球を克服したわけではありません」
 北京五輪から12年が経とうとしている。その間、苦悩の中で彼は必死に自分なりの生き方を見つけ出そうとしてきたのだった。


 あらためて検証してみると、G.G.佐藤選手のあのエラーには、いくつも理由や伏線があったのです。
 佐藤選手はもともとライトを守っていて、レフトの経験はなかったにもかかわらず、代表チームにはレフトを専門とする選手がいなかったため、レフトを守ることになったそうです。
 一昔前は、草野球では「ライパチ」なんて言われていて、いちばん下手な人が「ライトで8番」に入るとされていたのですが、プロのレベルになると、左の強打者が多く、3塁にランナーが進むのを阻止するために強肩のライトが求められ、センターは守備範囲が広い選手、ということで、レフトは「外野のなかでは、いちばん簡単なポジション」だとされています。打撃優先で守りに不安がある選手が起用されることも多いのです。
 ところが、実際にレフトを守ってみると、佐藤選手はライトを守っているときとの打球の違いに驚かされたそうです。ライトからセカンドやショートをやれ、と言われるよりは簡単だとは思いますし、外野ならどこでも守れる、という選手もいるのですが、ライトをやっていた人がレフトを守るというのは、「同じ外野だから」というイメージよりは、ずっと難しかったのです。
 そういえば、2019年に巨人から広島に移籍してきた長野久義選手も、ライトとセンターをずっと守っていたため、レフトの守備に慣れるのにけっこう時間がかかっていました。若くして亡くなったユーティリティプレイヤー木村拓也選手は、ピッチャー以外どこでもやれる、というのがセールスポイントだったのですが、広島時代になぜかサードを守っているときにエラーが多くて、「サードって、内野のなかではセカンドやショートよりも簡単と言われているポジションなのに、あの(カープの)キムタクでもポジションの相性があるのかなあ」と思った記憶があります。
 G.G.佐藤さんの場合は、本人でさえ、「まあ、ライトもレフトもそんなに変わらないだろう」と最初は思っていたそうですが。
 ただでさえ緊張する大舞台に慣れないポジション、しかも、準決勝の韓国戦でも守備のミスがあり、佐藤選手は自信を失ってもいたのです。
 その佐藤選手を、星野監督は「このままではあいつはダメになってしまうかもしれないから、3位決定戦でチャンスを与えたい」と、あえて、3位決定戦に起用したのです。
 そういう起用がうまくいくこともあるでしょうし、「出さないであげたほうが……」というのは、結果論でしかないですよね……誰が悪いわけでもないのに、うまくかみ合わないことというのはあるものだな、と考えずにはいられません。
 この本のなかでは、あの試合のあとの星野監督と佐藤選手の関係についても紹介されています。
 
 日本代表から西武に復帰してきたあと、佐藤選手が外野フライを摂ると、どよめきが起こったそうです。
 これまでは強肩好守の外野手として知られていた選手で、西武のリーグ優勝にも大きく貢献したにもかかわらず、G.G.佐藤といえば「あのエラー」になってしまいました。
 この本に出てくる他の選手も、そのプレーまで、そして、そのプレーのあとも、チームの勝利につながる活躍をたくさんしてきており、彼らのおかげで勝てた試合のほうが、負けた試合よりもずっと多かったはずなのに、人々の印象は変わりませんでした。

 「ファン」がバッシングを続けるなかで、多くの仲間の選手や指導者たちは、彼らを責めることなく、彼らがそのエラーから立ち直り、前向きに生きられるようにサポートしてきたのです。
 星稜高校の加藤選手と、長期にわたる箕島高校の尾藤監督の交流には、読んでいて涙が止まらなくなりました。
 尾藤監督は、相手チームの選手だった加藤選手のことを、ずっと気にかけ続けていたのです。


 第3章では、巨人のV9につながったエラーをした阪神の池田選手が、1986年10月26日に、ボストン・レッドソックスニューヨーク・メッツワールドシリーズ第6戦の延長10回、同点の場面でファーストゴロをトンネルしてサヨナラ負けの「戦犯」となった一塁手のビル・バックナー選手に会いに行ったときのことが書かれています(このシリーズでは、メッツがワールドチャンピオンになりました)。

 バックナーは自分の現役時代の写真、代々使ったバットなどを丁寧に説明してくれた。池田は英語がよくわからないので、通訳が彼の言葉を池田に伝える。池田は深く頷く。明るい会話の中で、バックナーが急に真面目な顔になる瞬間があった。
ワールドシリーズが終わってから僕のせいで負けたんて騒がれた。どうしてあんなことを言われるのかわからなくて困ったけれど」
 いつしか二人は椅子に座り向き合っていた。池田は目を見開き真剣に聞き入った。バックナーも考えて、言葉を選んで話す。
「だけどね、大切なのは自分がそれをどう思うか、その人生にどう向き合うか、そしてその経験をどう今後の人生の糧にするかだと思うよ」
 池田も自分の経験を話した。あの転倒のあと、理不尽で激しいバッシングを受けた、と。バックナーは静かに聞き入っていた。彼の表情がいっそう真剣になる、目が鋭く光った。
「イケダ、人生にエラーはつきものだ。大事なことはそのあとをどう生きるかだ。たかが野球、ゲームじゃないか。長い目で見るとつらいことのほうが大きな意味を持つんだ。あのエラーがあったから、今の人生があると言えるよ」
 バックナーはそう話すと、椅子から立ち上がった。机の前に行き、池田にメッセージを書くためにペンを執った。書いたあと、二人はまた握手した。それまで緊張していた池田の顔から笑みがこぼれた。重荷を背負った人生に一区切りがついた瞬間だった。


 バックナー選手の言葉そのものは、そんなに特別なものではないと思うのです。誰かを慰めるときに、僕だって口にしそうな。
 でも、この人がそれを言うからこそ、伝わる言葉、というのはあるんですよね。
「人生にエラーはつきものだ」
 本当に、そうだと思う。

 これを読んで、贔屓のチームの選手のエラーに、テレビの前で野次をとばすのはやめよう、と固く心に誓いました。

 ……その日の夜、某カープのファースト、某M山選手のエラーに、僕はやっぱり、「何やってんだよ……それでもプロか!」とイライラしてしまったことを付記しておきます。

 ファンって勝手なもので、こんな素晴らしいノンフィクションを読んでも、超然としていられるようには、なれないみたいです。


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