琥珀色の戯言

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【読書感想】線は、僕を描く ☆☆☆☆

線は、僕を描く

線は、僕を描く

  • 作者:砥上 裕將
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


Kindle版もあります。

線は、僕を描く

線は、僕を描く

内容紹介
小説の向こうに絵が見える!

美しさに涙あふれる読書体験両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。なぜか湖山に気に入られ、その場で内弟子にされてしまう霜介。それに反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけて霜介と勝負すると宣言する。水墨画とは、筆先から生みだされる「線」の芸術。描くのは「命」。はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、線を描くことで次第に恢復していく。

絶賛の声、続々!!!

自分の輪郭を掴む、というのは青春小説の王道たるテーマと言っていい。それを著者は、線が輪郭となり世界を構成する水墨画と見事に重ね合わせてみせた。こんな方法があったのか。青春小説と芸術小説が最高の形で融合した一冊である。強く推す。 ――大矢博子(書評家)

水墨画という非言語の芸術分野を題材にした小説で、架空の登場人物が手にした人生とアートの関係性、時空をも越えたコミュニケーションにまつわる真理を、反発心や違和感など一ミリも感じることなく、深い納得を抱いて受け取ることができた。それって、当たり前のことじゃない。一流の作家だけが成し遂げることのできる、奇跡の感触がここにある。 ――吉田大助(ライター)


 「2020年ひとり本屋大賞」4冊め。
 オビに「2019王様のブランチBOOK大賞」というのがあったのですが、たしかに「王様のブランチ」が好きそうな、「みんなが知らない専門職の世界+喪失からの回復」という小説でした。
 三浦しをんさんが『舟を編む』で成功をおさめて以来、本屋大賞でもこのタイプの作品はけっこう強いのです。
 読者からすると、単なる青春小説、恋愛小説、お仕事小説よりも、「自分が知らない世界を知ったような気分になれて、お得感が強い」というのもあるのでしょう。
 今度は水墨絵か!という感じで読み始めてみたのですが、率直なところ、水墨画の技法や画家の心理状態、作品の見かたに以外については、「ありがちな青春小説だなあ」という印象でした。
 読んでいるときは、「なんか良い話だな」と思ってはいたものの、主人公の心が閉ざされてしまった経緯や師匠との唐突な出会い、そして、悪いヤツがいなくて、すべて主人公にいろんな「お膳立て」をするために存在しているような登場人物たち(古前くんと川岸さん、とくに川岸さんなんて、都合よく出てきて、場をかき回してくれるのかと思いきや、都合よくおさまってしまって逆にびっくりしました)。
 千本ノックのような水墨画のトレーニングに、まったく疑問を感じないし、自分の幸運さに疑問や不安を抱くこともない主人公。
 すごく読み心地は良いし、読後感も素晴らしい。でも、これって、「アート」っていう異世界への転生モノのライトノベルみたいなものなのでは……
 それが「悪い」と言うつもりはないのですが、「これでいいのかな……」と、人生がうまくいかないオッサンとしては、物申したくなるとこともあるのです。
 いや、本のなかでくらい、人生に「救済」があったり、多少苦労しただけで、うまくいくようなことがあっても良いのだろうけど。
 重苦しい「世の中厳しい小説」ばかりじゃ、やっていられないし。

 と、ひとくさりネガティブなことを書いてみたのですが、そんな「物語の骨組みのありきたりさ」はさておき、この小説の「水墨画、あるいはアートに関する描写」は、本当に素晴らしいのです。
 

 湖山先生は、皺皺の手で手元にあった小指の先くらいの茶色い穂先の付いた筆を拾い上げた。そのまま、硯の傍にある水の張られた真っ白な容器に筆先を浸した。それから、手元の布巾で水分を少し拭うと、筆を墨に浸して、目の前にあった紙に、何の下書きもなく、直接、バサバサと何かを描き始めた。それは最初、ただの墨の汚れで、次に形になり、その後で絵になっていった。
 その動きは、けっして老人の動きではなかった。そしてこれまで見たどんな動きとも違っていた。腕や肩で背中の筋肉が小刻みに滑らかに動いて、手先は紙と硯と水を張った容器の間を切るような速度で回転し続けていく、まるで見えない水車を右手でかき回しながら、墨がいつの間にか画面に運ばれていくようだ。
 気づけば五分もしないうちに、湖畔の景色が真っ白い画面に現れていた。驚いたのはそれだけではない。絵は画面の上で変わっていったのだ。
 墨が紙に定着していくほんのわずかな間に、湖に引かれた墨線がじわじわ滲んで湖面の光の反射を思わせ、柔らかな波を感じさせた。遠景の山は霞み、近景の木々は風に揺らぎ始めた。まるで魔法のような一瞬が、湖山先生の小さな筆の穂先から生まれていた。
 しかもその動きはたった一本の筆から生み出されていた。柔らかく、甘く、優しく、それでいて厳粛なものに触れている感じがした。


 この小説を読むと、水墨画の作品を自分の目で、もう一度見てみたくなるのです。
 著者は、かなり時間をかけて、水墨画の世界を取材したのだろうなあ、と思いながら読んでいたのですが、プロフィールを確認すると、著者自身が水墨画家なのだそうです。
 アートを文章にする、というのはものすごく難しいことだと思うんですよ。実作家であればなおさら、「見ればわかる」って言いたくなることもあるのではなかろうか。
 その世界を、予備知識がほとんどない読者に伝わる言葉で書き上げるなんて!

 個人的には、ちょっと気にかかっているところもあるのです。
 この小説では、水墨画の「精神性」みたいなものが丁寧に採りあげられています。
「技術だけじゃない、技術がどんなに優れていても、それだけじゃダメなんだ」ということが登場人物によって語られているのです。
 でも、僕は、なんのかんの言っても、「技術」がなければ、「心」を伝えることは難しい、と思うのです。


 『ないものねだり』(中谷美紀著・幻冬舎文庫)の巻末の黒沢清さんによる「解説」の一部です。

 今でも強烈に印象に残っている撮影現場の光景がある。中谷さんに、沼の上に突き出た桟橋をふらふらと歩いていき、突端まで行き着いてついにそれ以上進めなくなるという場面を演じてもらったときのことだ。これは、一見別にどうってことのない芝居に思える。正直私も簡単なことだろうとタカをくくっていた。だから中谷さんに「桟橋の先まで行って立ち止まってください」としか指示していない。中谷さんは「はい、わかりました。少し練習させてください」と言い、何度か桟橋を往復していたようだった。最初、ただ足場の安全性を確かめているのだろうくらいに思って気にも留めなかったのだが、そうではなかった。見ると、中谷さんはスタート位置から突端までの歩数を何度も往復して正確に測っている。私はこの時点でもまだ、それが何の目的なのかわからなかった。
 そしていよいよ撮影が開始され、よーいスタートとなり、中谷さんは桟橋を歩き始めた。徐々に突端に近づき、その端まで行ったとき、私もスタッフたちも一瞬「あっ!」と声を上げそうになった。と言うのは、彼女の身体がぐらりと傾き、本当に水に落ちてしまうのではないかと見えたからだ。しかし彼女はぎりぎりのところで踏みとどまって、まさに呆然と立ちすくんだのだ。もちろん私は一発でOKを出した。要するに彼女は、あらかじめこのぎりぎりのところで足を踏み外す寸前の歩数を正確に測っていたのだった。「なんて精密なんだ……」私は舌を巻いた。と同時に、この精密さがあったからこそ、彼女の芝居はまったく計算したようなところがなく、徹底して自然なのである。
 つまりこれは脚本に書かれた「桟橋の先まで行って、それ以上進めなくなる」という一行を完全に表現した結果だったのだ。どういうことかと言うと、この一行には実は伏せられた重要なポイントがある。なぜその女はそれ以上進めなくなるのか、という点だ。別に難しい抽象的な理由や心理的な原因があったわけではない。彼女は物理的に「行けなく」なったのだ。「行かない」ことを選んだのではなく「行けなく」なった。どうしてか? それ以上行ったら水に落ちてしまうから。現実には十分あり得るシチュエーションで、別に難しくも何ともないと思うかもしれないが、これを演技でやるとなると細心の注意が必要となる。先まで行って適当に立ち止まるのとは全然違い、落ちそうになって踏みとどまり立ち尽くすという動きによってのみそれは表現可能なのであって、そのためには桟橋の突端ぎりぎりまでの歩数を正確に把握しておかねばならないのだった。
 と偉そうなことを書いたが、中谷美紀が目の前でこれを実践してくれるまで私は気づかなかった。彼女は知っていたのだ。映画の中では全てのできごとは自然でなければならず、カメラの前で何ひとつゴマかしがきかないということを。そして、演技としての自然さは、徹底した計算によってのみ達成されるということを。ところで、このことは中谷さんの文章にもそのまま当てはまるのではないだろうか。


 僕自身が、「技術」寄りの世界で仕事をしている影響もあるのでしょうけど、僕は「アート」も、まずは技術ありきで、それを突き詰めた先に、あるいは、技術プラスアルファのスパイスとして、「心」が問われるのではないか、と思うのです。
 著者はそんなことは百も承知で、主人公にものすごいトレーニングを課してはいるのですが、それでも、「こんなに短期間でうまくいくものじゃないだろう」と、つい言いたくなってしまうんですよね。どの世界にも「天才」はいるのかもしれないけれど。


線は、僕を描く(1) (週刊少年マガジンコミックス)

線は、僕を描く(1) (週刊少年マガジンコミックス)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle
『線は、僕を描く』を良く知るために

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筆ペンからはじめる水墨画

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