琥珀色の戯言

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【読書感想】センスは知識からはじまる ☆☆☆

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

  • 作者:水野 学
  • 発売日: 2014/04/18
  • メディア: 単行本


Kindle版もあります。

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

くまモンアートディレクションなどで話題の、
日本を代表するデザイナー発「センスの教科書」。


内容(「BOOK」データベースより)
“センス”とは、特別な人に備わった才能ではない。それは、さまざまな知識を蓄積することにより「物事を最適化する能力」であり、誰もが等しく持っている。今、最も求められているスキルである“センス”を磨くために必要な手法を、話題のクリエイティブディレクターが説く!


 僕はこれまでの人生で、自分の「センス」の無さにうんざりしてきたのです。
 服選びのセンス、料理のセンス、数学的センス、笑いのセンス……
 自分なりに考えて挑戦してみても、なかなかうまくいかず、「これはセンスがない、向いてないんだな」と思うことばかりです。
 
「センス」というのは、生まれつきの才能のように考えてしまいがちなのですが、著者はこの本のなかで、それを真っ向から否定しています。

「センスがよくなりたいのなら、普通を知るほうがいい」と述べました。そして、普通を知る唯一の方法は、知識を得ることです。
 センスとは知識の集積である。これが僕の考えです。
 
 文章を書くことを想像してみましょう。
「あいうえお」しか知らない人間と「あ」から「ん」まで五十音を知っている人間とでは、どちらがわかりやすい文章を書けるでしょう? どちらが人を喜ばせる文章を書けるでしょうか?
 ひねくれた人は「あいうえおだけで素晴らしい文章を書ける人こそ、センスがある」と言うかもしれません。「あいうえお」だけ使ってハッとするフレーズを生み出せる人もいつでしょう。しかし、五十音を全部知っている人と勝負をしたらどちらが勝つかは明らかであり、そこを否定する余地はないと僕は考えています。


 これは極端な例ではありますが、著者は、世の中の「センスがない」と嘆いている人たちのほとんどは、「そのジャンルについての予備知識が足りなかったり、流行を追うばかりだったりする」ことを指摘しています。

「センスのいい家具を選びたいのに、選べない」という人は、もともとインテリアについてさほど知識がありません。それなのに何軒かインテリアショップを見て、せいぜい5~6冊の雑誌を眺めたくらいで「私にはわからない」と言ってしまいます。
 しかし、パッと見ただけでセンスのいい家具を選べる人は、おそらくインテリア雑誌の100冊や200冊には軽く目を通しています。あるいは、お店を回ったり、詳しい人に話を聞いて、それに匹敵するような情報を得ているはずです。勉強のような辛い努力ではなく、趣味として楽しんでいたかもしれませんが、結果、膨大な知識の集積が行われているはずなのです。さらに、「自分の部屋」について客観的に見る目も持っているので、ふさわしい家具が選べるのです。
 センスに自信がない人は、自分が、実はいかに情報を集めていないか、自分が持っている客観情報がいかに少ないかを、まず自覚しましょう。いくら瞬時に物事を最適化あできる人がいたとしても、その人のセンスは感覚ではなく、膨大な知識の集積なのです。センスとはつまり、研鑽によって誰でも手にできる能力と言えます。決して生まれつきの才能ではないのです。


 たしかに、僕自身、ファッションセンスがない、料理のセンスがない、と自分では思っているけれど、もともとそれらに対する興味や思い入れがなく、ほとんど勉強も練習もしてこなかったのです。
 イケメンじゃないし、どんな服もに合わないよな、あれこれ考えるのもめんどくさいし……と、ファッションの知識を得ることすら敬遠していたら、うまく「自分に合った服」を選べるわけがない。その一方で、「自分に合った本やテレビゲーム」を選べるのは、センスというより、長年それに興味を持ち、知識と経験を積み重ねているからなのです。
 ファッションに対しても、それなりの研究と経験を積み重ねていけば、そんなに恥ずかしくないくらいには、なれたのかもしれません。
 ほとんどの人は、なんとか自動車免許を取って、公道で車を運転できる。F1ドライバーになるというのは、別の話なのだとしても。
 そう考えてみると、「ある物事に興味を持ち、それに対する研鑽や経験を積み重ねていく」ためには、そのジャンルが「好き」じゃないと、なかなか難しいのではないかと思います。「好きこそものの上手なれ」というのは、確かにその通りなのです。

 著者は、プレゼンテーションをするときに、「感覚的に、これがいいと思うんです」という言葉を禁句にしているそうです。

 僕は自分の感覚というものを基本的に信用していないので、「この感覚はどこからやってきているんだろう?」という確認作業をすることにしています。
 たとえば、僕が手がけている「THE」というブランドは、前述の通り、「THEジーンズといえばリーバイス501」というような、そのプロダクトの定番となるものをつくり出そうというブランド。
「THE」というブランドのマークを作る時には、「まさしくザ・書体という書体がいいな」と思いました。「ザ・書体とは何だろう?」と考えたとき、世界で一番多く流通している書体という考え方が一つ。本当に書体のオリジン、源流みたいなものを探し出すという考え方が一つ。
 他にもいろいろ切り口はあると思いますが、僕は書体のオリジンに着眼し、トラジャン(trajan)という書体をベースロゴをつくることにしました。
 世の中に活字というものが生まれた当時は、どんな文字にしていいかという基準がありませんでした。そこで、昔から「ものすごく美しい」と言われ続けていた、ローマ遺跡に描かれている石碑の文字を使うことにしたのです。トラヤヌス(Trajanus)帝の碑文に刻まれていた文字だから、トラジャン。「これこそ、THEにふさわしいし、THEのコンセプトそのものじゃないか」と思い、決定しました。
 僕がこの一連の作業で使っているのは、知識ばかりです。ただし、自分の感覚を使っていないかと言えば、感覚も確かに使っています。
 しかし、感覚とは知識の集合体です。その書体を「美しいな」と感じる背景には、これまで僕が美しいと思ってきた、ありとあらゆるものたちがあります。
 美しいと感じた体験の集積が、僕の中の「普通」という定規になっているのです。
 それは僕個人のものであると同時に、社会知でもあります。何を美しいと感じるかは、人種、時代、性別など、自分の属性でかなりの部分が決定されているのですから。
 僕は社会知の引き出しを開け、感覚を取り出します。それを自分が知らなかった故に、調べ上げた知識とミックスし、最終的なアウトプットを選んでいるということです。


 本人は「感覚」「センス」「勘」だと思っていても、実際は、「知識と経験の積み重ねによる選択」であるということは、けっこうあるのではないでしょうか。
 将棋の羽生善治さんが、『直感力』という本のなかで、こんな話をされていました。


fujipon.hatenadiary.com

 直感は、本当に何もないところから湧き出してくるわけではない。考えて考えて、あれこれ模索した経験を前提として蓄積させておかねばならない。また、経験から直感を導き出す訓練を、日常生活の中でも行う必要がある。
 もがき、努力したすべての経験をいわば土壌として、そこからある瞬間、生み出されるものが直感なのだ。それがほとんど無意識の中で行われるようになり、どこまでそれを意図的に行っているのか本人にも分からないようになれば、直感が板についてきたといえるだろう。
 さらに、湧き出たそれを信じることで、直感は初めて有効なものとなる。


 「センス」は、身につけられるものである。
 というか、役に立つレベルのものは、後天的な努力なしでは、自分のものにはできない。
 たぶん、「センスがありますね」と言われている人たちは、「生まれつきのものだけで勝負できたら苦労しないんだけどね」って言葉を、いつも飲み込んでいるのでしょうね。


直感力 (PHP新書)

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