琥珀色の戯言

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【読書感想】世襲の日本史: 「階級社会」はいかに生まれたか ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
日本社会は「地位」より「家」!

源頼朝はなぜ征夷大将軍を返上したのか? 足利尊氏北朝を擁立した真の理由は? 徳川慶喜明治維新で殺されなかったのはなぜ? 日本社会を動かしてきたのは「世襲」であり、「地位より家」という大原則だった。人気歴史研究者が摂関政治から明治維新までをやさしく解説し、歴史の大きな流れと、その過程でつくられた社会の構造を明らかにする!

序 章 世襲から日本史を読み解く
第一章 古代日本でなぜ科挙は採用されなかったか?
第二章 持統天皇はなぜ上皇になったか?
第三章 鎌倉武士たちはなぜ養子を取ったか?
第四章 院家はいかに仏教界を牛耳ったか?
第五章 北条家はなぜ征夷大将軍にならなかったか?
第六章 後鳥羽上皇はなぜ承久の乱で敗れたか?
第七章 足利尊氏はなぜ北朝を擁立したか?
第八章 徳川家康はいつ江戸幕府を開いたか?
終 章 立身出世と能力主義


 なぜ、小泉進次郎さんは、あんなに人気があるのか?
 この本のタイトルをみて、その理由が書かれているのかな、と思ったのです。

 著者は「はじめに」で、こう書いています。

 僕はつねづね、なぜ日本は「さまざまな誘惑を排除し、こつこつと勉学する才能」に高い価値を与えないのかなあ、と不思議に思ってきました。そして、それとともに、なぜ日本は「世襲」に甘いのかなあ、とも思ってきました。
 よく知られることですが、お医者さん、芸能人、政治家。いやな言葉ですが「セレブ」と呼ばれるこうした方たちの地位はしばしば世襲で受け継がれていく。だけど、いろいろなところでそういう指摘をすると、驚くべきことに「えー、親の職業を継がなければいけないなんて、自由がなくてかわいそう」という本気の声がよく返ってきます。ここで立ち止まって考えなければなりません。現在の日本は本当に「自由な社会」と言えるのでしょうか。もちろん真の自由を獲得し維持するために、先人たちは、ときに命を賭けてきました。ところが、現在の私たちが生きているのは、世襲がものを言うような社会です。とするならば、どのような原則が、この一見「自由」に見える社会をつくり、動かしてきたのでしょうか。
 本書はそのことを、歴史的に、かつまじめに考えたものです。考えた末になんとか導き出した答えを、先に書いてしまいましょう。
 どうも日本では「地位より人だ」と考えられてきたらしいのです。しかし、ここでいう「人」とは何かというと、その人のありのままの姿ではなく、その人が受け継いでいる「血」なのです。なるほどそれで世襲か。いやいや待てよ、より慎重に見ていくと、「血よりも家」ではないか。「家」が肝心・要なのだ。まとめると、「地位より人、人というのは血、いや血より家」、これが日本の大原則だったのです。


 親も医者だった僕からすると、「いや、みんな世襲だっていうけど、親が医者でも国家試験はフリーパスじゃないし、家の都合に縛られてかわいそうな人もたくさん見てきたけどなあ」って思うんですよ。
 僕がつい否定的な目でみてしまう、世襲政治家や二世芸能人も、きっと同じような気持ちではあるのでしょう。
 なかには「親の仕事を継ぐのが当然」と考えて生きてきたような人もいるんですけどね。
 実際、環境とか教育にかける時間とか費用において、「セレブ」の子どものほうが、学歴を積むには有利なのも事実です。

 この本、「日本史」というタイトルのとおり、歴史をたどりながら、どのようなプロセスを経て、日本社会は「家重視」になってきたのか、ということが語られている新書なのです。
 「定説」というより、「著者は現時点ではこう考えている」という内容が多くなっているのですが、自分の考えや研究成果を「定説」のように語っていない、という点では、良心的ではないか、とも思います。

 公家の頂点に位置するのは近衛家です。藤原本家から近衛家九条家近衛家からの分家が鷹司家九条家から分家が出て二条家一条家となりましたが、家格は近衛家が一番上です。その近衛にも、天皇家から養子が入っています。これは、日本で最高に家柄がよいとされている貴族の家でさえ、血のつながりがないことは問題にならないということを示しています。
 日本の家において、家業や名跡の継承のために養子──特に他人養子を多く取ることは、さまざまなジャンルにおいて認識されていますし、多くの日本人が特別の知識がなくても了解している「常識」と言えます。たとえば江戸期の大名家や大規模な商家の場合、主家の家系の断絶によって家そのものがなくなる事態は、家臣や奉公人にとって死活問題でしたから、何があっても避けなければなりませんでした。例えば、江戸期の福岡(黒田)藩は、秋月という支藩をつくっていました。五万石ほどの小さな藩なのですが、なぜ秋月藩をつくったかというと、本藩のほうには度々他家から養子を迎えているのです。黒田家の血をつなげるために秋月藩を残したのですが、本藩では血がつながっていません。52万石という大きな藩でも、藩主の血がつながっていないことが公然の事実となっており、それでも家として成立していたのです。これが家の超血縁性です。
 女系でつながることも、決して例外ではありません。江戸期の名君として知られている上杉鷹山高鍋藩主の次男でしたが、10歳で米沢藩主の養子となりました。その際には、藩主上杉重定の娘幸姫を正室としています。


 それでも、なんらかの形で血縁がある人を優先してきたのは確かではあると思います。
 ただ、「血縁よりも、家の後継者として認められること」のほうが優先されてはきたのでしょう。
 あらためて考えてみると、今の日本では、江戸時代以前よりも「血のつながり」が重視されていて、その一方で、一夫一婦制を厳守しなければならないのですから、天皇家が血縁での代替わりを維持していくのは大変ですよね……
 そのうえ、「男系」の縛りもあるのだから。


 この本では、「なぜ、北条氏は、鎌倉幕府の実権を握りながら、将軍にならなかったのか」というような、日本史を学んだ人なら一度は疑問に思うはずのことについても、著者なりの答えが示されています。

 序章で見たように、鎌倉幕府を開いた源頼朝征夷大将軍という「地位」にはこだわっていませんでした。実際、将軍になって二年後にその「地位」を返上しているからです。
 しかし、北条家の場合はこだわっていないというより、むしろ避けているような印象さえあります。というのも、北条家は位階でいうと、三位以上には決してなりませんでした。三位以上を公卿と言います。一流の貴族の証しです。つまり、北条家は公卿には決してなろうとしなかったということです。中央貴族にならず、中央貴族の下の四位の位階までしか持とうとしなかったということです。明らかに自覚的にそうしたのだと思います。
 たとえば源実朝が死んだあとに連れてきた将軍は摂関家からでした。朝廷の家来の中でも一番上の摂関家から連れてきた四代目将軍の息子が五代目将軍です。さらに六代目となると、それ以上、つまり皇族から将軍を連れてきました。
 そして将軍がある程度の年齢になって、「俺は将軍なのだから、いろいろやりたい」と言って権力に目覚めると、すかさず京都に送り返し、あくまでも将軍という形だけの「地位」に押しとどめたのです。そして自分たちが実権を握るのですが、北条家は絶対に三位以上を望まない、公卿にはならないということを徹底しました。ここには中身が空っぽの「地位」より「家」の繁栄という実を重視する、北条家のしたたかな戦略が見え隠れしています。
 こうした姿勢に対して、『神皇正統記』を書いた北畠親房は北条家を非常に高く評価します。「彼らは分際をわきまえている」と言うわけです。武士の分際をわきまえて、四位以上になろうとしなかった。だから彼らは優れていると言います。


 北条家のトップが地位を積極的に望めば、当時の力関係から、朝廷も、少なくとも三位以上には任じたはずです。
 でも、北条家は、ずっとそうしなかった。
 「分際をわきまえていた」と北畠親房は評価していますが、著者は「空っぽの地位でも、それをめぐって争いになることは少なくないから、そういうリスクを避けたのではないか」と述べています。
 実権はこちらにあるのだから、あえて「名」を追って反感を買う必要はない、ということだったのかもしれません。
 とはいえ、人は「名」を求めてしまいがちなものですから、北条家は、よくその自制心を受け継いでいったものですね。

 著者は、日本の歴史のなかで「世襲」という観点から見ると、明治維新はきわめて大きな変化だった、と指摘しています。

 このとき、いわゆる明治の元勲たちは、自分の地位を子孫に世襲することはほぼ行いませんでした。個人の財産は別ですが、地位はほとんど世襲していません。つまり能力主義が徹底されたのです。そもそも彼ら自身が才能を頼りに、下級武士から昇り詰めたような人たちでした。西郷隆盛は、「子孫に美田を残さず」と言いましたが、まさにその通りのことをしたのです。
 この時代の政治は、薩摩藩長州藩出身の人間が要職を独占する「藩閥政治」であると、批判もされることがありますが、実際にはオープンでした。革命政府だったので、スタートこそ薩長で占められたものの、次の世代からは、旧幕臣、旧佐幕派出身の優秀な人材がどんどん採用されていき、実際の政治を動かしていました。この辺りのことは、人事を見ていけば明らかです。
 したがって、このように「地位より家」ではない社会が一時的に存在したのです。とにかく「家より才能」であり、その才能と努力で獲得した「地位」には非常に価値があるとされました。このとき、合い言葉になったのが「立身出世」です。立身出世をかけ声に全国の才能を東京に集めて、それで国を豊かにするのだという発想が共有されました。


 明治維新、明治政府というのは日本にとって例外的な存在であって、だからこそ、いまでも「明治日本」を称賛する人が絶えないのでしょう。
 逆にいえば、日本では「非常事態」でないかぎり、「実力主義」よりも「世襲」のほうが色濃くて、現在も、まだ「平穏な時代」なのかもしれません。
 なんのかんの言っても、みんな「政界のサラブレッド」みたいな人に反発と同時に憧れを抱き、選挙でも投票しがち、ではありますし。


小泉進次郎と福田達夫 (文春新書)

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