琥珀色の戯言

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【読書感想】シェイクスピア 人生劇場の達人 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)は、世界でもっとも知られた文学者だろう。『マクベス』や『ハムレット』などの名作は読み継がれ、世界各国で上演され続けている。本書は、彼が生きた動乱の時代を踏まえ、その人生や作風、そして作品の奥底に流れる思想を読み解く。「万の心を持つ」と称された彼の作品は、喜怒哀楽を通して人間を映し出す。そこからは今に通じる人生哲学も汲み取れるはずだ。


 名前は知っているし、『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』が「4大悲劇」と呼ばれていることも、世界史の時間に習いました。
 おそらく、世界で最も有名な劇作家であるシェイクスピア
 しかしながら、実際のその作品を読んだことがあるか?と問われると、「『ロミオとジュリエット』のストーリーくらいは知っているけれど……」という人が多いのではないでしょうか。
 夏目漱石の小説みたいな感じで、あまりにも有名なために、かえって、「今さら読んでもねえ……」みたいな気分になってしまうところもあるのかもしれませんね。

 僕はこの新書を「シェイクスピア入門」だと思い込んで読み始めたのです。
 前半はシェイクスピアの伝記、後半は作品と当時のイギリスの演劇についての解説、という内容なのですが、正直、「シェイクスピアの名前くらいは知っているけれど……」という人には、ちょっと敷居が高いような気がします。
 せめて、Wikipediaシェイクスピアの記事くらいは予習してから読んだほうが良いかもしれません。

 かつて、1990年代頃までは、英米シェイクスピア研究がトップであり、外国人である日本人学者はそのレベルには遠く及ばないという認識があった。ところが、21世紀に入ると、必ずしも英米が中心ではなくなってくる。シェイクスピア劇が世界各地でどのように受容され、いかに上演されているのかという面に視線が向けられるようになったのだ。『シェイクスピア・サーヴェイ』(ケンブリッジ大学出版局)という本に私が2009年と2011年に英語論文を寄稿したときも、いずれも日本でのシェイクスピア受容・上演について語ることになった。
 つまり、シェイクスピアは、かつての英文学というジャンルを脱し、日本をはじめ世界各地の大劇場や小劇場を活性化する触媒として、どのような表象文化を生んでいるのかが問題とされているのである。私たちが現在享受する文化の一端をシェイクスピア劇が担っているという認識が強くなったのだ。


 シェイクスピアは、あまりにもメジャーで、世界中に広まっているため、現在は、作品そのものの解釈だけでなく、その作品が世界でどのように受け入られて、変容しているのか、という研究の対象となることも多いようです。

 父親のジョン・シェイクスピアは、自力で出世街道を駆け上がった男だった。その上昇志向は確実に息子ウィリアムに受け継がれている。ジョンは、もともと近隣の村の農家の息子だったが、20歳前後でストラットフォード・アポン・エイヴォンへ越してきて、手袋職人と革なめし屋を本職としつつ、副職の羊毛仲買業や不動産売買や高利貸しで財産を増やしたため、劇作家シェイクスピアのイメージが崩れると思う人も多いようだ。だが、銀行も証券もなかった当時、シェイクスピアは手堅く資産運営をしていたと考えればよいだろう。

 わかっているシェイクスピアの生きざまからは、プライドの高い芸術家というよりは、「自分や家族の生活のために書いていた職業作家」であったように思われます。
 自らもそういう「俗物」であり、「生活者」であったことが、シェイクスピアの作品にリアリティを与えていたところもありそうです。

 シェイクスピアの実家はもともと裕福な地方の名士だったのですが、カトリックを信仰していたため、国教会からの弾圧を受け、没落してしまいました。
 そんななかで、シェイクスピアは、ロンドンに出て、劇作家としての活動をしていくことになります。
 イングランド王がカトリックから独立したことによって苦しんだシェイクスピア家の息子が、結果的に、「王のお抱え劇団」の作家として成功することになるのですから、人生というのは不思議なものですね。


 著者は、シェイクスピアの作品が上映されていた当時の劇場についても言及しています。

 幕(緞帳・どんちょう)がイギリスで用いられるようになったのは、シェイクスピアの没後40年以上が経った1660年である。シェイクスピアの時代には、まだ幕というものが存在していなかった。幕の効用とは本来、下ろしているあいだに舞台装置の入れ替えをし、幕を上げて新しい舞台設定を見せることにある。だが、シェイクスピアの演劇に幕は必要なかった。大掛かりな舞台装置は使わず、いわゆる場面転換がなかったからである。テーブルやベッドなどを出すくらいのことはあったが、基本的には、なにもない空間だった。
 今から400年以上前にこのような張り出し舞台はそのように用いられたのだろうか。都合のよいことに日本では、400年以上前からこのような張り出し舞台が現代までずっと使われ続けている——能舞台である。柱二本で舞台上の屋根を支える構造もよく似ている(ちなみに能舞台が建物のなかに入れられて能楽堂となったのは明治以降の話である)。
 現存する最古の能舞台西本願寺の北能舞台と言われているが、これはシェイクスピアが17歳だった1581年頃建てられたものである。宮島の厳島神社に舞台を張って能を演じたのはシェイクスピアが四歳だった1568年のことだったというように、時代的にも近似性があり、なにより重要なのは、舞台の使い方がそっくりであることだ。


 直接の交流はなかったはずなのに、同じ時代に、同じようなことが舞台上で行われていたのです。

 生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。(『ハムレット』第三幕第一場)


 というハムレットのせりふも、自殺すべきか否かという迷いを示すものではない。キリスト教で自殺は禁じられているのだから。ここで問題とされているのは、肉体を抱えたまま生きるつらさにじっと耐えるのが立派なのか、それとももはや耐えられないと武器を取って立ち上がり、正義のために命をかけて戦いに踏み出すほうが気高いのかという問いである。耐えて生きるべきか、それともすべてを終わりにしてしまうべきかと悩んでいるのだ。
 そもそもあの亡霊は本当に父の亡霊だったのか、悪魔ではあかったのかと疑うハムレットは、芝居を打って王の本心を確かめるなどしながら、神に代わって天罰を下す道を摸索する。しかし、王を殺すチャンスを手にしながらも、ハムレットには殺すことができない。やがてし最終幕にいたって、自分の死を見据えたハムレットは、もはや思い悩まず、かぎりある人生を精一杯生きるしかないという覚悟を固める。


 この新書を読んで、いろんな作品の「ルーツ」として、あらためてシェイクスピアに興味が出てきたような気がします。
 有名であるというだけで「知っているつもり」になっていたけれど、僕はシェイクスピアのことを、本当に何も知らない。
 これだけ読みつがれてきたものには、それなりの理由があるのです。


 ほんと、若い頃に「メジャーすぎるという理由で、敬遠してしまったもの」って、けっこう多いのだけれど、もったいないことをしてしまったよなあ、と思うのです。
 まあ、まだ「完全に手遅れ」ではないはずだと信じたい。


ヴェニスの商人 ─まんがで読破─

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ハムレット(新潮文庫)

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