Kindle版もあります。
内容紹介
将棋とメシをめぐる物語。棋士は何を食い、何を語り、将棋に挑むのか――
羽生善治とステーキを食べた夜
加藤一二三のチョコレートのひみつ
藤井聡太の親子丼のみろく庵……藤井聡太が対局中に豚キムチうどんを注文し、話題となった千駄ヶ谷のみろく庵。
しかし、先崎は、このブームを知らなかった。
なぜなら、かれは「うつ病」だったから……。
“うつ病九段”が描く
メシから見た将棋界の真実⁉
「棋士とメシ」についての思い出を、先崎学九段が綴ったエッセイ集です。
「みろく庵」「ほそ島や」「代々木の店」「チャコあやみや」「焼肉 青山外苑」「きばいやんせ」「ふじもと」という7つの店を舞台にした、棋士たちの人間模様が描かれているのです。
人というのは、「食べる」とき、あるいは「飲む」とき、その本性というか素顔みたいなものが出やすいんですよね。
先崎さんがうつ病から復帰し、現役に復帰した際に、将棋連盟の佐藤康光会長と鈴木大介理事と「みろく庵」で飲んだときの話。
三杯目で日本酒になるころ、私は気がついた。ふたりとも声が大きすぎるのだ。うつ病の最盛期には、うるさい声を聞くと疲れるので、そういう人はできるだけ相手にしないようにしていた。病気がよくなりだしてからの三ヵ月間は本を書いていたのでほとんど地元に閉じこもっていた。だから大きな声を聞くのはひさしぶりだった。
「日本酒、おかわり!」となったころには、ますます声が大きくなった。それにあわせてアブナイ話が増えてゆく。
(中略)
「将棋連盟の──と佐藤くんが言う。というより大声で叫ぶ。私はあわてて言った。「うちの会社と言わんかい、アホ」
まあ顔はバレバレなのだからうちの会社と言ったところで意味があるとは思えないのだが、少しはマシであろう。
その後は実名は出さず、イニシャルトークにしようと決めて飲んだ。まったく重鎮が集まってなにやってるんだか。のどかな将棋界の姿を目の当たりにして、私はようやく休場から明けたことを実感したのだった。
将棋指しには、ひそひそ話ができない人間が多い。佐藤、鈴木の両者はもちろん、私だって声が大きいほうで、声をひそめて話すのは苦手である。他では渡辺明くん(三冠王)なんかもその典型だ。彼は決して地声がでかいというわけではないが、いつもはきはきと明るくしゃべる。
ほとんどの棋士は、ずっと将棋の世界しか知らずに生きてきていて、社会人としての常識、みたいなものを身に付ける機会がなかったまま、それなりの年齢になっているのです。
だからこそ、彼ら、彼女らが「将棋」に賭ける姿勢には、胸にせまってくるものがあります。
千葉涼子女流四段が女流王将のタイトルを手にした日のエピソード。先崎さんは、お祝いに千葉涼子・幸生夫妻、千葉女流四段の兄弟子の飯島栄治七段と四人で祝勝会を行ったそうです。
とにかく四人は、アホみたいに芋焼酎を流し込むと、ベロンベロンの状態で、きばいやんせを出て、すぐそばの居酒屋へ入った。おそらく、二時間までとかの店との取り決めがあったのだろう。
クライマックスは突然にやってきた。四人とも、史上最大に、もうこれ以上は飲めんよ、というくらい酔っ払ったときのことである。
突然千葉涼子が泣き出したのである。
それは、ぐすんとしてハンカチで押さえるとか、目を赤くするというようなものではなかった。文字通り、ぽろぽろと涙が落ち、わんわん声をあげて泣き出した。
勝負の後に泣いた棋士は何人も見たことがある。あの里見加奈だって、はじめての挑戦者決定戦で清水市代さんに負けた際、投了直後泣き出したのである。だが、これほどまでに見事な大粒の涙を長い時間流した棋士は見たことがなかった。
次から次へといつまでたっても止まらない涙。止まらないのは、我々三人がなすがままに泣かせてあげたからだった。私と飯島くんはもちろん、横に座っているダンナ千葉も何も言わず、ただ酒を飲んでいる。
変な言葉をかけたり、タオルを出したりしないのは、その涙がいかに重いものであるかをよく知っていたからである。実力がある、タイトルは獲れるに決まっている、と言われ続けて今日の日まで、どれだけ口惜しい思いをしたであろう。ひとりで今のように泣いたことだってあるかもしれない。棋士の歴史は、見えない涙を流す歴史である。どんなに辛いときでも、彼女を支え続けたのは、私は必ずタイトルを獲るという気持ちであり、夫であった。そして今日長年の悲願を達成し、横に夫がいる。
我々三人は、彼女の涙がつきるまで、勝手に酒を飲んでいた。こんな美しい涙を止めるほど、我々は野暮な勝負師ではないのである。
読んでいるだけの僕でも、勝負の世界の厳しさと、期待されながらもそれに応えることができなかった千葉さんが、ようやく流すことができたこの涙の美しさに、もらい泣きしてしまいそうになりました。
……この後に、「もう一幕」あるんですけどね。それも含めて、微笑ましいというか、人生で一度でも、こういう涙を流してみたいものだ、と思いました。
先崎さんは、本当に面倒見が良くて、情に厚い人だというのが、この本を読むと伝わってくるんですよ。
イベントの手伝いに駆り出された奨励会員(日本将棋連盟のプロ棋士養成機関)たち30人に、イベント後に佐藤康光さんと二人だけで高級焼肉をごちそうし、店の肉が無くなってしまった、という話や、ハードスケジュールのテレビ番組に出演した際に、ふだんネガティブなことを言わない羽生善治さんが、ふともらした一言など、読みどころ満載です。
そして、こうして多くの人と付き合いを重ねてきた先崎さんだからこそ、うつ病を発症したときにも、サポートしてくれる人がたくさんいて、復帰することができたのだと感じました。
「人徳」というのは、僕などが思っているよりも、人生において、ずっと大きな影響をもたらすものなのでしょうね。
将棋関係者が集まる「ほそ島や」という店では、対局中のお昼休憩などにみんながバラバラに座っているなかで、一番先輩が先に出るという状況になると、その先輩がさりげなく後輩の勘定を払っておくという慣習があったそうです。後輩はもちろんそれを知っていて、払ってくれそうな先輩を見かけると、わざとゆっくり食べていたのだとか。
忘れられないのは勝浦修九段で、この大先輩(私より二まわり上)は、席に座ったとたん、あそことあそこの客が僕につけてとおばちゃんに先回りして言っておくのである。それも決して当人たちに分からないようにだ。当然のことながら、勝浦先生だって対局のときにいつもほそ島やに来るとは限らない。だからドアが開いて先生の顔が見えると「うほっ」となるわけである。なかには、先生の顔を見るともう一品注文するお調子者までいた。
この話で重要なのは、バラバラに座っている後輩の勘定を会計のおばちゃんに払えるということは、大先輩が後輩棋士、そして奨励会員まですべての顔を知っていたということである。三十数年前の将棋界では、それが当たり前だったのだ。
私ものちに、このよき慣習を受け継いでよく勘定を持ったが、分からない顔がいるとそれができなかった。
それにしても勝浦先生はかっこよかった。単に後輩に優しいとかいう次元ではない。そうしたことによって自分たちの生きる、ある意味目指している世界が美しいところだと感じられる──そのことが子ども心にも分かるところがかっこいいのである。
ところがだ、ふざけんな! とヤケクソで書いてしまうが、最近こんなよき習慣がまったく見られなくなってしまった。理由は単純、この本にもたびたび登場する、昼夕の休憩時における外出禁止令である。なんであんなことになったんじゃい! 戒厳令じゃねえんだ!
失礼。ついムキになってしまいました。
休憩中に外に出られず、よって棋士と奨励会員が偶然店で一緒になることもない。古きよき光景は決して見られないのである。
この「外出禁止令」が出た原因は、コンピュータ将棋ソフトによる不正疑惑問題だったのです。観客側からすれば、「不正防止のためには、外出禁止もやむをえないだろうな」と思うのですが、当事者たちにとっては、こういう伝統が失われる、という寂しさも伴う、大きな変化だったのです。
『うつ病九段』で先崎さんのことを知った人にも、ぜひ読んでみていただきたい。なんだか、良いものを読ませてもらったなあ、としみじみ思うエッセイ集でした。