Kindle版もあります。
内容(「BOOK」データベースより)
不愛想で手際が悪い―。コンビニのベトナム人店員グエンが、就活連敗中の理系大学生、堀川に見せた驚きの真の姿。(『八月の銀の雪』)。子育てに自信をもてないシングルマザーが、博物館勤めの女性に聞いた深海の話。深い海の底で泳ぐ鯨に想いを馳せて…。(『海へ還る日』)。原発の下請け会社を辞め、心赴くまま一人旅をしていた辰朗は、茨城の海岸で凧揚げをする初老の男に出会う。男の父親が太平洋戦争で果たした役目とは。(『十万年の西風』)。科学の揺るぎない真実が、人知れず傷ついた心に希望の灯りをともす全5篇。
『2021年ひとり本屋大賞』4冊目。
文学と科学が交差するとき、物語は始まる――
という感じの、世の中の「理系の人々」の不遇と美学が描かれている短編小説集です。
この本を読んでいて、手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』のなかの『六等星』というエピソードを思い出しました。
素晴らしい技術を持ち、人柄も素晴らしいのに、権力欲がなく、立ち回りが上手くないために偉くなれない(ならない)椎竹先生みたいな人が、それぞれの作品に出てくるのです。
僕も小学校時代にこの作品を読んで、医者になるのなら、椎竹先生みたいになりたいものだ、と思ったものですが、実際のところは、要領とその場しのぎで「報われない」というよりは、因果応報な医者人生になってしまったのだよなあ。
僕は退出するタイミングを失い、二人の会話を立ったまま聞かされる羽目になった。
「いやあ、苦戦してるのはうちの学生も同じだよ」客の教授は言った。「うちみたいな駅弁大は、地元か近隣の県から来てる子が多いでしょ。地方の優等生って感じなんだよね。みんな真面目に勉強するし、卒業研究なんかもしっかりやるんだけど、いざ就活となると、都会の私大生に負けちゃう。東京の学生はさ、サービス業のアルバイトやインターンシップやらで、大人や世間にすごくもまれてるんだよね。世慣れてて物怖じしないし、弁が立つ」
「確かに、口だけ達者な学生は、うちでも増えたな」僕の教授が口の端をゆがめて笑う。「プレゼンは堂々たるもんだけど、目を閉じて話だけ聞いてると、まるで中身がない」
この本に出てくる、不器用で世渡り下手なんだけれど、「お金にならない世界の真実を解き明かすために頑張っている理系の人々」に、人間関係が苦手な僕は共感せずにはいられなかったのです。
でも、社会や企業に求められているのは「世慣れていて物怖じしない、東京の学生」(体育会系ならなお強い)であることも事実です。
この小説に出てくる、マルチ商法っぽいアフィリエイトビジネスをやっている学生の、いかにも、という感じの薄っぺらさに不快感を抱きつつ、彼らも、誰かに煽られたり、地道に努力しても報われない世の中だと悟ったりして、そうなっていくのだろうな、という気もするんですよ。
「理系」「すぐにお金にはならないような研究に打ち込んでいる人」が報われないのは事実だと思うけれど、この短篇集を読んでいると、今の若者や就活生たちの絶望を理解できない中高年の「勝ち逃げ」できそうな人たちのための幻想文学みたいでもあるのです。僕もそういう人間のひとりなのかな。
この本のなかに出てくるような、名門大学に通っていながら、他人を食い物にしてお金を稼ぐことを「成功」だと思い込んでしまう若者たちは、なぜ出現してきたのか?
自己犠牲はよくないことだ、自分をまず大事にしろ、というのは、たぶん正しい。
でも、「自分さえ幸せになれればいい」という価値観に満ちた世界は、なんだかとても殺伐としています。
だからといって、そういう世の中の「価値観の流れ」みたいなものを押しとどめることはできない。
とても丁寧に書かれた作品たちですし、登場人物が自らの専門分野について語っている場面は、ものすごく魅力的です。
その一方で、読んでいると、なんだかどんどんページをめくる手が重くなってくるというか、誰かにお説教されているような気分になってもくるのです。