- 作者: 門田隆将
- 出版社/メーカー: 産経新聞出版
- 発売日: 2019/05/29
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 門田隆将
- 出版社/メーカー: 産経新聞出版
- 発売日: 2019/06/07
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内容紹介
こうして新聞は大衆に負けたジャーナリズムの王として長く君臨した日本の新聞は、なぜ今、「国民の敵」となってしまったのだろうか。
中国や韓国を持ち上げ、ひたすら彼らを利する新聞は、日本に天文学的数字の損害を与え、国益を毀損しつづけている。
かつて記者クラブに潤沢に記者を配置し、情報を独占して自らの主義主張、イデオロギーに基づいて情報を「加工」し、大衆に下げ渡していた新聞が、インターネットの発達でその「正体」が暴露されてしまった。
「権力の監視」を大仰に謳い、「ファクト」を殺す新聞の傲慢さは、いったいどこから来ているのか。どのようにして新聞記者は情報自体を歪めるのか。
平成とは、そんな新聞の実態が明らかにされた時代だった。ついには新聞自体が「日本最大の病巣」となってしまったありさまを余すところなく浮き彫りにする。
令和の時代、どう新聞と向き合うべきなのか、目から鱗の具体論! 朝日新聞を謝罪に追い込んだ気鋭のジャーナリストが「生き残る情報」、「死ぬ報道」を喝破する。
◎地道な取材より会見の失言狙い
◎いまだ左右対立視点しか持てず
◎戦争をするのは日本という不安商法
◎日中友好絶対主義
◎命より憲法という本末転倒
◎タブーを週刊誌に丸投げ
◎ご注進ジャーナリズム
◎発言切りとりで舌禍創作
◎ヘイトと差別を使い分け令和に生きる国民は、もう新聞に騙されてはならない。
僕は、この本の著者である門田隆将さんのノンフィクションをたくさん読んできました。
門田さんは気骨のあるジャーナリストで、朝日新聞をはじめとする日本のメディアの「日本や日本政府のほうが悪い、という前提にもとづく捏造や誤報」に対して異議を唱え続けてきたのです。
朝日新聞は2014年の8月5、6日付で「慰安婦報道」の検証を行い、さらに同年9月11日に、所長命令に違反して、原発所員の9割が撤退したという「吉田調書」の報道が誤りだったことを認め、謝罪しました。
しかし、私は2014年10月10日付の朝日の紙面を見て、思わず笑いがこみあげてしまった。そこには、<本紙の慰安婦報道第三者委初会合>という特大の記事があり、トップに<忌憚ない批判と提言を>と題して、木村伊量社長のあいさつが出ていた。
「いかなる前提もつけず、忌憚のないご批判、ご意見、具体的なご提言を賜りたい」
「朝日新聞が信頼を取り戻し、ジャーナリズムとしての責務を今後も果たしていくためにも、厳しく、かつ前向きなご議論をしていただきたくお願い申し上げます」
木村社長は一方で、「いかなる前提もつけず」と言いながら、責務を「今後も果たしていくために」と、しっかり「注文」をつけていたのである。少なくとも「廃刊」や「解体」などの提言ではなく、「前向きな結論」への注文である。
そもそも第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業などが、世間の非難をかわすために設置するものだ。いわば”ガス抜き”のための委員会である。
ある程度厳しい意見を出してもらい、”真摯”に反省する態度を示して国民の怒りを和らげ、「再出発」するためのものだ。設置の時点でシナリオと着地点は決まっている。そのことを木村社長は冒頭からバラしてしまったのである。
違和感と怒りを持ったのは、私だけではないだろう。なにも第三者に聞かなくても、問題の本質は明らかだからだ。
「慰安婦=性奴隷」を世界に広めた朝日、なぜ事実をねじ曲げてまで日本を貶めなければならないのか。なぜそんな偏向報道を自分たちはつづけてきたのか。そのことを自分自身の「胸に問えばいいだけのこと」だからだ。
私事で恐縮だが、私は「吉田調書」問題で朝日の「誤報」を指摘し「法的措置を検討する」という抗議文を複数回、送られた(のちに朝日が謝罪・撤回)。自由な言論を重んじるべき報道機関が、逆にそれを圧殺しようとしたのである。
1970年代の生まれで、子どもの頃に広島に住んでいて、「平和教育」を受けてきた僕には、「なぜ、朝日新聞はそういう、ありもしない罪をでっちあげてまで、日本の人たちを貶めようとしてきたのだろう」「自分が教わってきたことは、何だったのだろう」という気持ちがあるのです。
その一方で、「あのくらい『過剰なまでの自省』をしてきた」からこそ、太平洋戦争後の長い平和(とはいっても、日本の代わりに他の国が戦争をやっていた、とも言える)があったのかもしれない、という気もしなくはないのです。
権力とメディアが結びつくというのは、とても怖いことですし。
だからといって、権力を批判するために、嘘や捏造、誤報を「報道」するのは根本的に間違っているのだけれども。
世の中で一番大切なものは何か。そう聞かれたら、多くの人は「それは、命だ」と答えるに違いない。愛する家族や自分自身の「命」以上に大事なものは、なかなかこの世にあるものではない。
だが、日本の一部の新聞には、それよりも、もっと大切なものがある。法律の条文だ。命よりも大切なものとして法律、特に「憲法」がある。
朝日新聞の人たちも「良心」からやっていたのかもしれないけれど、メディアへの不信が根強く、「マスゴミ」なんて言う人が絶えないのも、メディア側の原因が大きいのではないかと思うんですよ。
しかしながら、この本を読んでいると、違和感もあるのです。
杉田水脈議員が『新潮45』に発表した「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論文について、著者はこう述べているのです。
杉田氏はこう記述している。
行政が動くということは税金を使うということです。例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
この部分で杉田氏は猛烈な批判を浴びた。ここを「LGBTへの差別だ」と感じる人もいれば、私のように「これは政権や行政機関の少子化無策に対する猛烈な批判だ」と受け取る人もいる。
ただ、杉田氏はあくまでも少子化に対して「無策」に等しい状況のなかで、税金をどこに重点的に充てるべきなのかという視点で書いている。
子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うなら少子化対策に資するという観点はあって良いし、では、LGBTのカップルに税金を使うことはどうなのか。そうした視点や考察を怠らないことがむしろ立法や予算に携わる人間には求められる、と言っている。
今のメディアは、行政がLGBTに関して条例や要綱、ちょっとした施策を発表しただけで、もてはやす傾向にあるのは事実である。こうした風潮が蔓延すると、政治家は人気取りの政策にできると勘違いしてしまいがちだ。そうしたなかで、LGBT支援の度が過ぎているのではないか、という問題提起を彼女はしたわけだ。
「百人いれば、百人の読み方がある」という意味では、ここを「LGBTへの差別だ」と感じ、それを批判する人の「自由」もまた認めなければならないが、そうした批判もまた論評の対象となる。
私は今回の非難を、一部の「言葉」や「文章」を引っ張り出して来てそれを論破する、一種の”ストローマン手法”だと思っている。ツイッター全盛時代の今、論文全体を読むことなく、一部を取り出して非難して騒ぎを拡大していく「炎上」手法は、一部の勢力が得意とするものだ。
こういうのを読むと、結局、人というのは(というか、この場合は、門田さんは、なのですが)、「党派性」というのを超えて、「是々非々」で物事を判断できない生き物なのか、と考え込まずにはいられなくなってしまうのです。
朝日新聞を批判している門田さんは「気骨のあるジャーナリスト」なのだけれど、あの杉田水脈さんの論文を読んで、【私のように「これは政権や行政機関の少子化無策に対する猛烈な批判だ」と受け取る人もいる】って、それこそ「一部を取り出して擁護している」ようにしか思えないのです。あの論文のいちばんの問題点は「LGBTには『生産性』がない」と断じているところであり、多くの人が批判していたのもその部分でした。
そもそも、人間を「生産性」で判断しようとすることを不快に感じた人が多かったはずですし、「生産性」=「子どもを産むこと」というのは視野が狭すぎる。
「産めよ増やせよ」の戦時中じゃあるまいし。
こういうのは「リベラル」の人たちにも感じることで、障がい者支援を強く訴えている人が、安倍首相の病気を揶揄していることに、僕は「何それ」って思うんですよ。
政策を批判するのは、もちろん構わない。合理的な批判であればなおさらです。
でも、安倍首相の持病(難病です)を面白おかしく(と本人たちは思っている)バカにして、SNSで仲間とニヤニヤしている姿は、本当にみっともない。
僕がその作品を好み、敬意を抱いている人たちのなかにも、SNSでそういう発言をしている人がいて、幻滅してしまいます。
現実世界では、自分の考えと異なるものでも、上司や仲間が飲み会の席で言っていることには「そうそう!」って僕も相槌をうち、家に帰って軽く自己嫌悪に陥ることもよくあります。
なんのかんの言っても「仲間」や「仕事をくれる人」を裏切ったり、失望させたりするのは避けたい。
マスメディアで働いている人や「ジャーナリスト」を名乗る人には、そういう「党派性」を感じさせない無頼派であってほしい、と僕は願ってしまうのですが、「やっぱり彼らも人間であり、ほとんどの人はサラリーマンなのだ」ということなのでしょう。
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