琥珀色の戯言

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【読書感想】タリバン台頭: 混迷のアフガニスタン現代史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

テロとの戦い」において「敵」だったはずのタリバンが、再びアフガニスタンで政権を掌握した。なぜタリバンは民衆たちに支持されたのか。恐怖政治で知られたタリバンは変わったのか、変わっていないのか。アフガニスタンが生きた混迷の時代には、私たちが生きる現代世界が抱えた矛盾が集約されていた。


 正直に言うと、僕はこの新書を読むまで、アメリカ軍が撤退したあとのアフガニスタンで、再びタリバンが政権を握ったことを知らなかったのです。
 タリバンって、アメリカにさんざん叩かれ、もう無力化してしまっていたのではないのか……IS(イスラム国)との区別も、ほとんどできていなかったのです。

 この新書では、中東の研究者で、在アフガニスタン日本大使館にも書記官などとして7年間の勤務経験がある著者が、これまでのアフガニスタンの歴史と、現状について、わかりやすく説明をしてくれています。
 
 僕のタリバンへのイメージは、女性の教育に否定的で、人類にとっての歴史的遺産であるバーミヤンの石仏を破壊した、戒律に縛られている狂信的な集団、というものでした。
 アメリカ軍の進駐で、アフガニスタンの人々の価値観も変わり、太平洋戦争後の日本のように「アメリカ化」が進んだのではないか、と思いきや、現実はそんなに簡単ではなかったのです。
 むしろ、「日本は自分たちと戦争していた国に、なんでこんなに染まってしまったのだろう」と考えてしまいました。

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、同年10月7日、アメリカと同盟国がターリバーン「政権」に対する空爆を開始し、以後20年に及ぶ戦争が続いた。同年12月までにターリバーンは権力の座から追われ、12月5日には戦後復興のロードマップを定める「ボン合意」がドイツのボンで締結されることとなった。暫定政権の首班の選出にはアメリカやパキスタンや国連など外部者の強い意向が働いていた。
 その後、暫定政権は、2002年6月成立の移行政権を経て、2004年10月には最初の大統領選挙が行われて正式な政権になるが、並行して諸外国から巨額の援助が流入したことで行政の末端まで汚職が蔓延(はびこ)り、政治エリートと一般民衆との間の溝は深まるばかりだった。これを証明するかのように、2019年に行われた大統領選挙の投票率は、史上最低となる18.8%を記録した。この時点において、イスラーム共和国の正統性には大きな疑問符が付されており、国民の政治不信は最高潮に達していた。


 アメリカは軍事力でアフガニスタンを一時的に制圧したものの、その後の新しい国づくりがうまくいかず、人々の不満が鬱積したことで、タリバンの「復権」がなされたのです。

 著者は、アフガニスタンが一筋縄ではいかない国であり、伝統的な部族社会として長年イスラム教の慣習を重視してきた歴史的な背景を紹介しています。
 アメリカは、同時多発テロの首謀者であるアルカイダを援助しているアフガニスタンを「テロ国家」として攻撃し、制圧したものの「その後のアフガニスタンをどうしていくか」という将来設計には乏しかった、と著者は指摘しています。
 そして、アフガニスタンに駐留し続けるコストや、それに対する見返りの乏しさに辟易して、アメリカ軍は撤退することになったのです。

 1970年代から内乱が続き、1979年12月にはソ連ソビエト連邦)軍の侵攻を受けたアフガニスタンは、イスラム教勢力と共産主義勢力の権力争いが長く続きました。
 その後、ソビエト連邦崩壊により、共産主義勢力は衰退しましたが、諸勢力による内戦はおさまらず、さらに無秩序な状態となったのです。

 南部カンダハール州では、地元に戻ったムジャーヒディーン兵士が非道を働き、治安が著しく悪化した。もとより男色が盛んな同地では、略奪や暴行を働くムジャーヒディーン野戦指揮官たちは道行く少年を誘拐していたばかりでなく、埋葬されたばかりの遺体を掘り起こして死体から油を取って売買したり、人骨を秤にかけて飼料として売るものまで現れた(高橋博史「ターリバーン出現の背景と最高指導者ムッラー・ウマル」7ページ)。
 人権団体アムネスティ・インターナショナルは、1994年の報告書で以下のような状況を報告している。

 強姦を含めた拷問が、政府管理下の拘置所ムジャーヒディーン各派による施設で常態化していた。被害者には、政敵やその家族、並びに、無関係の市民も含まれた。(1994年)5月に受け取った報告書によれば、カーブルに収監された精神障害を抱えた女性の囚人は、過去数ヵ月にわたってムジャーヒディーン各派によって繰り返し強姦された。


 血で血を洗う激しい戦闘が続き、多くの国民が難民として隣国に逃れ、国に残った人々の生命と財産は日常的に脅かされた。このような混迷を深める無秩序状態の中、1994年に新勢力ターリバーンが姿を現した。


 タリバンが登場した背景には、あまりにも無秩序になってしまったアフガニスタンに、こんな世の中を変えてくれる存在を市民が欲していた、という現実があったのです。
 実際は、「世直し」のために立ち上がったはずのタリバンも権力を握る過程、あるいは、権力を掌握したあとで、対立していた者たちに残酷な復讐をしたり、市民の生活に厳しい制限を加えたりすることなるのですが。
 

 アフガニスタンの人々は、国が荒廃しきっていくなかで、「少しでも安全で暮らしやすい社会」を求めてタリバンを支持していたのです。

 タリバンの台頭には、アフガニスタンに影響力を持ちたい隣国・パキスタンの思惑やサウジアラビアUAEなどの国の支援もあり、ソ連の侵攻による混乱も大きかったのです。
 そして、同時多発テロ後にはアメリカ軍による攻撃を受けたのですから、踏んだり蹴ったり、という感じです(そんな軽い言葉で言い表せるものではないでしょうけど)。

 民衆がターリバーンを支持した背景には、イスラーム共和国の腐敗の問題もあった。例えば、交通事故が発生した場合、警察の判断は賄賂によって決まる。その一方で、ターリバーンは双方の事情を聴取した後で、シャリーアイスラーム法。語義は、水場へと至る道)に沿って判断をする。ターリバーンは腐敗しておらず、賄賂を要求することはない。民衆がどちらを支持するかは明らかであった(高橋博史「最近のアフガニスタン情勢」)。


 その後のタリバンの行いをみると、こんな「善いタリバン」ばかりではない気はするのですが、アフガニスタンの民衆にとっては、「タリバンのほうがずっとマシ」に思えたのは理解できます。
 僕がいまの日本での生活と比べれば「タリバンが支配する厳しい戒律や女性蔑視の世界は異常だし、間違っている」のですが、アフガニスタンの人たちにすれば、これまでの腐敗しきった権力者たちよりは、こちらを選びますよね、それは。

 著者はアフガニスタンで生活をしてみて、都市部にはスーパーマーケットが立ち並び、若者はスマートフォンやパソコンを使いこなしており、日本での生活とそんなに変わらなかった、と述べています。

 しかしながら、それはあくまでも「都市部の一部の人々」でしかない、とも指摘しているのです。

 しかし重要なことは、今でもアフガニスタンの人口の7割超は農村部に暮らしており、そこでの人と人のつながりや社会のあり方、そして人々の信ずるものや行動規範は大きく変わっていないということである。筆者はアフガニスタンに滞在した約7年間で、幾度も友人から邸宅に招待を受けたことがあるが、そうした場面で男性ホストの女性家族構成員と顔を合わせたことはほとんどない。唯一の例外は、ホストが学生時代にアメリカにフルブライト奨学金留学生として暮らしたことがある家庭のみで、その意味では彼の暮らしはアメリカ式であった。その他の家庭では、たとえカーブルに暮らし国際機関に勤めるアフガニスタン人であっても、女性の尊厳を厳格に護るのである。そして、たとえ家計が苦しくても、客人に対しては最大限のもてなしを行い、勇気や復讐といった価値を命よりも重く考え、外部者がアフガニスタンの国の独立や人々の尊厳を脅かそうものなら命を懸けて抵抗するのである。この本質は今でも全く変わっていない、と筆者には思える。

 
 タリバンには、女性蔑視やテロ組織への協力、反対者の虐殺など、さまざまな負の面があるのですが、アフガニスタンには、そこで生きてきた人たちの歴史の積み重ねがあり、西欧的な価値観を至上のものとして植えつければいい、というものではないのです。
 だからといって、「当事者の好きにやらせておけ」とは言えないのがいまの「グローバル社会」ではあります。
 それぞれの価値観がある、とはいっても、女子教育が行われていなかったり、少数派への弾圧・虐殺が横行しているとなると、「世界の大国」の側としては、それぞれの国内からの批判もあり、放っておくわけにはいかない時代です。

 アメリカ、IMF、および世界銀行は、ターリバーンが包摂的な政権を築いていないことや、女性の権利保障に問題を抱えていることを理由に、ターリバーン実権掌握後、アフガニスタンの資産を凍結している。これらは普遍的価値を護ることを名目として、民主主義諸国によってなされているものである。
 しかし、ターリバーンの思想体系はこれとは大きく異なっている。ターリバーンはシャリーアイスラム法)に従うことを行動原理の礎にしており、例えば、民主主義諸国が普遍的と考える「基本的人権」とターリバーンが解釈する「人権」とは異なる場合がある。その場合、外部者が信ずる価値を一方的に押し付けるのかどうかは、真剣に議論されるべき問題である。過去20年間民主化支援が成功しなかったことを踏まえれば、アフガニスタンの宗教や文化や慣習に即した国造りを進める必要がある。一方で、現地流だからといって、ターリバーンによる報復や女性の権利侵害を容認してよいわけではない。
 アフガニスタンをめぐって、全く異なる価値体系が衝突している。この問題が根本的に解決するということは、少なくとも近い将来にはないだろう。国際社会はターリバーンを政府として認められない。しかし人道支援は続けなければならないというジレンマに直面しつつ、傷つけ合わない程度に共存する叡智を編み出さなければならない。


 国と国、だけではなく、人と人についても、同じことが言えそうです。
 いまの社会では、「それなら、力で征服して、無理矢理こちらの理屈やシステムを押し付ければいい」というのは(原理原則上は)許されない。
 どうやって、お互いに傷つけ合わず、最低限の価値観を認め合って共存していくか、ということなのでしょう。
 
 「こんな面倒なことに、関わるんじゃなかった……」と内心思っていても、一度知って、関わってしまったからには、「無かったこと」にはできないのだから。

 「違う歴史と価値観で生きてきた者たちどうしが共存すること」について考えさせられる良書なので、アフガニスタン情勢について興味がある人以外にも手に取ってみていただきたいと思います。


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