琥珀色の戯言

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【読書感想】テルマエと浮世風呂: 古代ローマと大江戸日本の比較史 ☆☆☆


Kindle版もあります。

新しい歴史の愉しみ方が見えてくる至極のエッセイ

古代ローマと江戸日本を比較してみたら、思いもよらぬ共通項が見えてきた! 百万に及ぶ都市の人口、非一神教の風俗、二百年におよぶ平和の享受――前近代社会では他に例のない環境のもと、両国にはどのような相似や相違が生まれたのか? 書名に掲げた「テルマエと浮世風呂」のほか、「ワインと日本酒」「図書館と貸本屋」「娼婦と遊女」「アッピア街道と東海道五十三次」など、10のトピック別に比較する新感覚の歴史エッセイ。


 古代ローマ徳川時代の江戸を比べてみたら……という「比較史」の新書です。
 あまりにも時代が違いすぎるのでは、と僕は思ったんですよ。
 著者は、同時代のローマと日本を比較すると、あまりにも違い過ぎて、類似点を見つけるのは難しい、と述べています。
 ローマにコロッセオが作られたのは紀元1世紀で、ローマ帝国の版図が最大になったのは2世紀。それに対して、卑弥呼邪馬台国が中国の史書に出てくるのが3世紀前半。うーん、確かに違いすぎて比較の仕様がないですよね。その時代の日本の史料そのものが少ないし。
 奈良時代平安時代の日本との比較も試みてみたそうなのですが、それでも、「類似点」を探すのは困難だったそうです。
 そこで、比較可能な時代を探して行ったところ、江戸時代の日本、それぞれの首都であるローマと江戸なら「比べるのにちょうどいい」ということになったのです。

 著者は、両者の共通点を三点挙げています。

 第一の共通点は、平和な時代が長く続いたことである。江戸の天下泰平は、およそ260年続いたとされる。古代ローマも、アウグストゥスが皇帝に即位した前1世紀後半から2世紀末まで、250年近くにわたって平和と繁栄を謳歌した。「パクス・ローマーナ(ローマの平和)」と讃えられたこの時代も、国境付近では他民族との小競り合いが続いていたが、帝国の心臓部であるローマの都をはじめ、地中海に近い地域にいた人々は極めて平和な生活を送っていた。
 第二の共通点は、人口規模である。江戸時代中期になると、江戸の人口は100万に達していたが、「パクス・ローマーナ」時代のローマもほぼ同規模である。近代以前の社会としては、どちらも類を見ないほどの大都市を形成していた。ヒト・モノ・カネが集まる大都市では、庶民にも暮らしを楽しむゆとりが生まれ、そこから新しい文化が花開く。王侯貴族やひと握りの富裕層が文化芸術を独占していた前近代社会にあって、古代ローマと江戸日本は、極めて例外的に「庶民文化」が大きく興隆した都市である。
 第三に、宗教上の共通点である。日本と西洋を比較する際にボトルネックとなるのは、決まって宗教の問題である。現代の西洋社会は、社会制度から文化的慣習に至るまで、あらゆる層にキリスト教の影響が入り込んでおり、日本との比較が容易ではない。ところが古代ローマは、キリスト教がヨーロッパを席巻する以前の社会であり、神々やそせんに対する敬虔さを重んじる土壌は、日本にも通じるところがある。実際、社会規範や風俗を見ると、意外なことに日本と似ている部分も多い。


 ヤマザキマリさんの漫画『テルマエ・ロマエ』は、「風呂」をモチーフにして日本とローマの文化の描き、大ヒットしました。
 ローマの人たちが「風呂好き」だったにもかかわらず、その後のヨーロッパ諸国では、長い間、公衆衛生という考え方は発達せず、感染症の大流行を繰り返してきたのです。奴隷制度の有無などの大きな違いはあるのですが、江戸とローマにはかなり共通点が多いように感じました。
 僕は自分自身が生きてきた時代を基準に、人間の文化や文明というのは、どんどん「発展・改善」されていくのが当たり前だと思い込んでいたのですが、記録されている人類の歴史の間だけを見ても、数十年、数百年単位では、支配構造の変化や宗教的な理由などで、停滞や後退していたように見える時代もあるのです。
 未来の人たちからみれば、今の時代も、「停滞期」と思われるのかもしれません。インターネットとかスマートフォンとか、リアルタイムで生きている人間としては、「すごく進化している」ように感じてはいるのですが。
 まあ、いつか「スマートフォンなんて不便なものを使っていた人たちがいたんだねえ」と言われる時代が来ることになるのでしょう。人類がずっと続いていれば。

 著者は、ローマと江戸の比較のなかで、こんな指摘をしています。

 最後に、古代ローマと江戸日本の間に横たわる決定的な差異を指摘したい。それは、民衆が集まる喧噪の空間に、為政者の姿があったかどうかである。
 ローマのコロッセオやチルコ・マッシモには貴賓席があり、皇帝も民衆と一緒に見世物に興じていた。その上、ただ民衆の眼前に姿を現すだけでなく、皇帝が熱心に見物していないと民衆がブーイングを浴びせることもあったという。「民と共にある」というのが為政者にとって重要な仕事だったことが分かる。
 目立ちたがり屋として知られるネロは、自ら主催したサーカスに派手な格好で現れて喝采を浴びた。五賢帝の一人であるハドリアヌスは競技場にしばしば姿を見せただけではなく、公共浴場で民衆と一緒に入浴を楽しんだ。
 一方で、大勢の人でごった返す花見の名所に将軍が姿を現し、同じ場所で宴を張ることはあり得ない。将軍が出かける時は先遣隊が人払いをしていたし、芝居や相撲を観るならば役者や力士を城内に呼んで上覧していた。天子様は御簾の向こうにおられるのが常である。たとえ将軍であっても、直接には拝顔できないのが「常識」であった。
 これは古代ローマと江戸日本に限った違いではなく、ユーラシア大陸の東西で分かれる権力のあり方だろう。しかも、歴史に蓄積されたそうした土壌が、今日の為政者にも表れているように思えてならない。ヨーロッパの政治家は自らの言葉で民衆に語りかけることを重んじるが、東アジアの政治家は側近や官僚が事前に詰めた原稿を読み上げる。我が国の政治家の顔が見えてこないのは、歴史に根差した宿痾なのかもしれない。


 これを読んでいて、第二次世界大戦中のウィンストン・チャーチルを描いた映画のなかで、ドイツの激しい攻勢のなか、地下鉄に乗っていたチャーチルをロンドン市民が励ますシーンがあったのを思い出しました。もちろん、現在の日本の政治家も、選挙の際にはみんなの前で演説をすることもあるのですが、それ以外では、積極的に民衆のなかに入っていく、という感じではないですよね。どちらかが正しい、というわけでもないし、大勢の前に出ることには危険も伴うのですが、言われてみればたしかに、「ユーラシア大陸の東西で分かれている」ように思われます。

 古代ローマの庶民は街角の壁に落書きして鬱憤を晴らし、江戸の庶民は川柳を読んで楽しんでいた。つまり、彼らは「読み書き」ができたのである。
 ポンぺイをはじめ、ローマ時代の遺跡に残る数多の落書きを見ると、相当なレベルで読み書きができていたことが分かる。母語であるラテン語はもちろん、なかにはギリシア語で書かれたものもあった。今の日本になぞらえて言えば、英語や中国語を使って気の利いたジョークを落書きし、読んだ人もそれを解したということになるだろうか。単に「読み書きができた」というだけではない。
 現代人が使っているスマホやパソコンは、基本的に識字率が100%近くあることを前提に成り立っているが、今から2000年も前に、庶民が文字を介してコミュニケーションしていたというのは、実に驚くべきことではないだろうか。
 歴史を遡ると、読み書きは「書記」と呼ばれる人々の、いわば専門スキルであった。文字は、主として王宮の財産や軍備、徴税状況などを記録するために用いられ、詩歌や物語などは口承が基本であった。私たちが今、それを「読む」ことができるのは、後世の人々が文字に起こしてくれたからだ。
 専門スキルは、やがて貴族階級や富裕層に必須の教養となり、長く平和な時代が続いたローマでは、それが一般庶民にまで広がっていった。しかし、ローマ帝国の衰退と共に、人々の読み書き能力も低下の一途を辿る。中世ヨーロッパでは、王侯貴族ですら文字を書いたり読んだりできない人が珍しくはなかった。
 なぜここまで落ちぶれてしまったのだろうか。理由の一つは、自分で書かなくても、口述すれば誰かが書き留めてくれるからだろう。読みたい本は、誰かに読み聞かせてもらえばいいし、手紙だって音読してもらい、返事は代筆してもらえばいい。当時は、読み書きできることが自慢の種にすらなるほどだった。


 ヨーロッパの人々の読み書き能力が、再び上昇に転じたのは、ルネサンス期以降なのだそうです。
 こういう歴史を知ると、いま、ほぼ識字率100%の2022年の日本で生きているというのは、ものすごく特別なことのようにも思われるのです。
 もしかしたら、これからまた、「多くの人々が文字の読み書きをできない時代」が来ることがあるのだろうか。

「お風呂」だけじゃない、ローマと日本の共通点と、「洋の東西の違い」について考えさせられる新書でした。
 あと、「文化や文明は、ひとりの人間の寿命の範囲では、右肩上がりとは限らない」ということも痛感しました。


 

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