琥珀色の戯言

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【映画感想】劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン ☆☆☆☆☆

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戦争が終わってから数年後、再び平穏が訪れ人々の生活は新しい技術の開発によって変わりつつあった。代筆業に従事するヴァイオレット・エヴァーガーデンは、大切な人がいなくなった世界で、その人への思いを抱えながらこれからの人生を歩もうとしていた。ある日、1通の手紙が見つかる。


violet-evergarden.jp


2020年、映画館での11作目。
以前、映画の『外伝』をDVDで観て、これは良いな、と思ったのです。
せっかくだからTVシリーズを全部観てから、この『劇場版』に進もうとしたのですが、オンラインで観られるのはネットフリックスだけで僕は未加入、レンタルDVDも置かれている店は限られていてずっと貸出中。
ようやく「予習」を終えたら、『鬼滅の刃』の公開直後で、映画館が大混雑しており大行列に辟易して帰宅。
先週の金曜日のレイトショーで、ようやく観てきました。入場者特典のクリアファイルは、もうすぐ50のオッサンには持ち運ぶのが恥ずかしい……と思いきや、館内には大人のアニメファンが大勢いて驚きました。人気あるんだなあ。
公開から1か月以上経っているのに、週末のレイトショーとはいえ50人くらいは観客がいました。

最初のほうを観ていて思ったのは、たぶん、これだけを観てもある程度は理解できそうなのですが、映画の『外伝』はさておき、テレビシリーズは予習しておいてよかったな、ということでした。
テレビシリーズの登場人物に関するエピソードがけっこう出てくるので、知っていれば「あっ、あの話のときの……」というシーンがたくさんあるんですよ。

ネタバレしないように書いていくつもりなのですが、「ああ、まさにこれが『大団円』というやつか」と大いに満足して家路につきました。

この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』って、テレビシリーズを観ていて、いろいろ思うところがあったんですよ。

ヴァイオレットの美しさと、「空気を読めない」ことの清々しさと苛立たしさ。
うまく口に出せないことを「手紙」にしたためる、ということの意味。
大事なものを失ってしまった人たちの絶望と、そこから立ち上がろうとする姿。

その一方で、このエピソード、『ザ・世界仰天ニュース』(あるいは、それに類する番組)で観たことあるなあ、っていうのもありましたし、「人を感動させるツボを狙ってグリグリ押してくるようなあざとさ」みたいなものも感じたんですよ。こういう話だったら、みんな泣くんだろ、っていう作り手の表情が透けて見えて、なんだか冷める。川村元気さんっぽい、とでも言えばいいのか。

そもそも、ヴァイオレットという主人公がまさに「お人形さん」のような端正な姿で、「お客様のお望みであれば、どこにでも駆けつけます」と決め台詞を述べ、戦えば最終兵器彼女というのも、「あざとい」とは思うのです。

この話、ヴァイオレットの器量が悪かったら成立しねえだろ、とか、少佐は善人ではあるのだろうけど、結局ヴァイオレットを「兵器」として利用しつづけてきたわけで、ヴァイオレットの少佐への思慕の情も「刷り込み」みたいなものじゃないのか?とか。

しかしながら、そんなことは百も承知で、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、ものすごく魅力的な作品なのです。
設定やストーリーの強引さ、荒唐無稽さは気になりつつも、キャラクターの圧倒的な魅力と描かれる世界の美しさで土俵から一気に押し出されてしまう。

観終えたあと、「人生でこんなに有意義な2時間半というのは、そんなに無いかもしれない」と思うくらいに心を揺さぶられ、途中から号泣している観客に、「先にそんなに泣かれたら、僕が泣けないじゃないか」と言いたくなったにもかかわらず、この感想を書くために、ストーリーを思い出してみると、「まあ、ベタな話、ではあるか」という感じなんですよ。

むしろ、よくここまでど真ん中に渾身のストレートを投げ込んできたな、と感心してしまうくらい「まっすぐ」な物語です。

その物語に、ヴァイオレットというキャラクターと石川由依さんの「声力」が加わると、ただ、ひたすら圧倒されてしまう。

僕は「感動ドラマ」とか「ラブストーリー」とかは基本的に苦手ですし、「感動させるために、安易に子どもが不幸になったり、人が死んだりするドラマ」には憤りすら感じるのですが(正直、この映画でも、子どもの扱いは、けっこう残念に思っています)、そもそも、大人がもう少し素直になれば、1時間で終わるだろこの映画。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は「ツッコミどころ満載なのは百も承知で、とにかく、なんだか素晴らしいものを見せてもらった」という気持ちになる映画なのです。
なんなんだろうな、この感動は。

10代のときに僕がこれを観たら、「なんて御都合主義の甘ったるい話なんだ」って思ったんじゃないかな。

でも、今のもうすぐ50も見えてきた僕は「現実にはこんなことは起こりえないからこそ、スクリーンにこの美しい世界が描かれる価値があるし、それで多くの人が救われるのだよな」と感じるのです。
ヴァイオレットがいる世界は、いない世界よりも光に満たされている。
 
ただ、テレビ版から観ていって、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、「喪失と再生の物語」だと僕は思っていたのです。
テレビシリーズの最後で、「ヴァイオレットが『人間の感情』を学んで、日常の世界に、なんとか自分の『居場所』を見つけることができた」という感慨がありました。

しかしながら、この映画版は、そのテレビシリーズで積み重ねてきたものを、リセットしてしまっているんですよね。これでは、元の木阿弥じゃないの?っていう。
いやもちろん、ヴァイオレットは「成長」したのだろうし、まさに「大団円」ではあるのですが……
ある意味「うまくいきすぎてしまっている」感はあるんですよ。

だからこそ、「実写やノンフィクションでは不可能なカタルシスを得られる作品」になっているのも事実ですし、テレビシリーズも劇場版もどちらも素晴らしいのは間違いない。

それでも、「『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はヴァイオレットの『自立』の話ではなかったのか?」という疑問は残るのです。

僕の感情は、本当に「今年のベストワン!」くらいの勢いで絶賛しているのですが、「この作品に惹かれてしまう自分」に、少し後ろめたさもある。結局、人は(というより、「僕は」ですね)無垢で自分の言いなりになってくれる存在に惹かれずにはいられないのだろうか。「より感情的」になったヴァイオレットは、はたして「より魅力的なキャラクター」になるのだろうか?

ごめん、こんなことを書くつもりじゃなかった。でも、こうして書いたことで、なんだか自分のネガティブな感情を「成仏」させられたような気もしています。

素晴らしい作品を観ることができて本当に嬉しかったし、ブルーレイも買おうと思っています。
とにかく「圧と気魄」がある作品なので、ぜひ、映画館で観てほしい。


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