Kindle版もあります。
内容紹介
ジェーン・スー/光浦靖子/山内マリコ/中野信子/田中俊之/海野つなみ/宇多丸/酒井順子/能町みね子…………
人生、折り返してからの方が
楽しいってよ。考えることをやめない。
変わることをおそれない。
間違えたときにふてくされない。ジェーン・スーと、わが道を歩く8人が語り尽くす「いま」。
光浦:愛し愛されるということをしてみたい。
山内:自分の小説は、「女の敵は女」は間違ってると言い続ける活動だと思ってる。
中野:自分で考えることを厭わない人が生き延びていける。
田中:男性の生きづらさと女性の生きづらさはコインの裏表。
海野:この先に誰かと出会うかもしれない。その人に子供がいたら突然親デビュー。
宇多丸:先のことなんか考えても、わからない。今この時を必死で生きるしかない。
酒井:正しい人、優しい人には、悪人に対してすぐ石を投げそうな怖さがあります。
能町:せっかく一緒にいてくれたからお金くらい残したい、という気持ちがある。
ジェーン・スーさんの対談集。
このタイトルをみて、僕は森高千里さんの『私がオバさんになっても』を思い出さずにはいられなかったのです。
あの当時、森高さんが「オバさん」になるなんて想像もできなかったのですが(だからこそ、あの曲名にインパクトがあった)、森高さんは年を重ねてもすごく魅力的なままで、かえって、自分との格差を痛感してしまいます。そもそも、森高さんと自分を比べることが間違っているのだけれども。
このタイトルについて、ジェーン・スーさんは、「まえがき」でこう書いておられます。
『私がオバさんになったよ』と言われると、少しだけ心がざわつく人に届いてほしい。そのざわつきは、読後いくばくか解消されているはずだ。たったひとつの正解しかなかった親の世代とは異なる私たちが、これから先、楽しく暮らしていく手がかりがこの本にはちりばめられているから。
人生、折り返してからの方が楽しいかもしれない。
これは僕もそう感じることがあるのです。
いろんな責任を背負わなくてはならない、というプレッシャーとともに、自分で稼いだお金で食べていけて、もう、あんまりモテなくてもいいし、偉くなることも諦めてラクになったのも事実です。
作家・山内マリコさんの回より。
ジェーン・スー:山内さんは一貫して、女子の自立や属する社会からの脱出の重要性を啓蒙してらっしゃいますよね。『あのこは貴族』も、ともすれば分断させられがちな非常に難しい役割を与えられた女同士を配しながら、キャットファイトしないところが面白かった。
少し前の話になるんですけど、二十歳くらいの高卒で働く女の子が「今の仕事があまり好きじゃない」と言うので、「じゃあ転職すれば」って言ったんですよ。そしたら「今仕事を辞めても、私ができるのはキャバぐらいしかないし」って言われて。びっくりしました。未来があって勉強し直すことだってできる歳なのに、今ここから落ちたらキャバ嬢しかないって本人は言うわけです。そんなことないじゃんって強めにはっぱをかけたけど、我にかえると彼女の周りにはそういう現実しかないんですよね。誰だって、間近で目にしたものに一番影響受けやすいものね。
山内マリコ:環境の連鎖ってすごくありますね。周りに実例がないと、想像すらできない。その最たるものが貧困の連鎖で、メディアでは本当によく取り上げてキラーコンテンツ化してるけど、実はそのスパイラルは貧富両方で起きてるんですね。でも可視化されるのは下層の貧困ばかりで、上流はこれまで隠されてきた。
東京で私立の学校に行ってたような人は、身近なゴシップとしてそういう階層の話をするけど、地方の大部分の人はその階層自体を知らない。東京の貴族の代表格が世襲の政治家で、小説にも王子様として登場します。貴族女子と地方出身の女性という対照的なヒロインが二人出てくるのですが、彼女たちは王子様によって「妻と愛人」みたいに、女としても分断された存在なんです。そこまで対立するカードを揃えておいて、その二人をいがみ合うような関係にはしたくなかった。そこにメッセージを込めました。
ジェーン:知識層の女の人でも「女の敵は女」と平気で言うけど、そのロジックが自分たちの首を絞めてることがもっと広く知られたらいいなと思います。男同士の利害が対立しても「男の敵は男」と言う人は誰もいないわけで。「男の人にとって女同士が仲良くなるのは困るのよ」みたいな台詞が『あのこは貴族』にあって、こんなふうに言える小説最高って思いました。
希望格差社会だよなあ、と、これを読みながら僕は考えていたのです。
ジェーン・スーさんも、どちらかといえば「貴族側」の人ではあるんですよね。
ライムスター宇多丸さんとの対談で、宇多丸さんとジェーンさんが、早稲田大学のソウルミュージック研究会で先輩後輩だった、という話が出てくるのですが、そういう「学生時代の人脈」みたいなものが、人生の転機で活きてくるところはあるのです。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、人間は、自分が知らない世界で生きている人からみえている世界の姿を想像できない。
そういう溝を埋めるために、文学とか芸能とかいうのが果たす役割もあるのでしょうけど。
この宇多丸さんとの対談では、ジェーン・スーさんの「出世作」でもある人生相談についての話も出てきます。
──人生相談に答える仕事はどうですか。
宇多丸:特に女性に対しては、スーさんほど厳しい物言いは、男性としてやっぱできないですよね。それは同性ならではのアドバンテージというか。あそこまでバッサリ斬り捨てられないですよ、僕らは。
ジェーン:斬られたい人ですよね、私に相談をしてくる人たちというのは。
──「悩みのほとんどは我が儘か暇」というスーさんの名言も。
ジェーン:結局自分の我が儘を通したいが通せないことを「悩み」と捉えている人が多い。
宇多丸:それって女性に限らずのことでもあるでしょうけどね。
ジェーン:いつも自意識のことで悩んで仕方なかった子が、自意識問題で一切悩まなくなったと聞いたことがあって。なぜかと尋ねたら「FXを始めたから」と。要するにお金がなくなったり増えたりするという、他のことが忙しくなったら、自分のことなんか考える時間ないんですよね。それってある種、発明だと思って。すげーっFX効果って。
なんだこれは、と思うのと同時に、「悩みの対象の転換」というのは、ひとつの手段ではありますよね、たしかに。
FXでヒリついた勝負をしていれば、自意識どころじゃない。
だからといって、自意識の悩みをギャンブル依存に転換してしまえばいい、というわけにはいかないのでしょうけど。
むしろ、ギャンブル依存の人が「その依存を、お金がかからない自意識への悩みに変換してもらいたい」という事例のほうが、ずっと多いのではなかろうか。
突き放した物言いのようではあるけれど、「悩みのほとんどは我が儘か暇」というのは、多くの人に当てはまりそうです。
ジェーンさんは、脳科学者・中野信子さんとの対談のなかで、こう仰っています。
ジェーン・スー:新しい日本より、元に戻ろうとする力が強いように感じますね。
中野信子:そうそう。
ジェーン:旧態依然としたところにね。でも絶対に戻れないんだけど。
中野:戻れないのに、新しくなるのを拒む力がすごくある。
ジェーン:たしかに。ちょうど過渡期だよ。まぁ時代は常に過渡期で、あとから振り返って「このあたりは戦国時代」とか「この辺は平安時代」とかって区切っているだけなんだろうけど。常に小さな過渡期の繰り返しだよね。そんななか、年齢のせいなのか、時代のせいなのかわからないんだけど、これまで使ってきた「ものさし」が使えなくなったと感じることが増えた。
私は「よく生きる」ことを信条に子供の頃から生きてきたんだけれど、最近はなにが「よく生きる」ことになるのかわからないんだよね。今までの「ものさし」が使えないから。五年くらい前かな、超個人主義の時代にさしかかった時は、それまで使ってた「ものさし」と、新しい「ものさし」の二つを持つことに苦労はなかった。でも今は、その二つともが違う気がする。よく生きるためにどんな「ものさし」が必要なのかわからなくなった。
いまの中年、40~50歳代くらいの人は、家族主義、世の中お金じゃない、という価値観を子どもの頃に刷り込まれ、青年期にバブル経済を体験し、その後、長い経済の低迷と個人主義「自分らしく生きる」「自分の好きなように、自由に生きる」という、価値観の変遷に振り回されてきたのではないか、と思うのです。
僕もそうだから。
勉強していい学校に入って、いい会社に勤め、マイホームを建てて、安定した暮らしをするのがロールモデルだったのに、もはや、そんなのは「寝言」になってしまった。
家族のありかたや人と人との関係も多様になった一方で、古い価値観に縛られている人間たちは断罪されるようになっている。
「ものさし」がない時代は、もちろん、悪いことばかりではありません。
でも、オバさん、オジさんたちは、いま、どう生きればいいのか、困惑しているのです。
そういうことが、けっこう率直に語り合われている対談集だと思います。
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