やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる、暮らし方・考え方 (幻冬舎文庫)
- 作者:わたなべ ぽん
- 発売日: 2019/02/07
- メディア: 文庫
Kindle版もあります。
「なんとなく使ってきたけれど、本当に今の 自分に必要なんだろうか」。そんな思いで炊 飯器、ゴミ箱、そうじ機といった生活必需品 から、つい謝ってしまう癖、もやもやする友 達付き合いなどを「やめてみた」日々。その 果てに訪れた変化とは? 少しずつ生きるの が楽になっていくさまを描いた実験的エッセ イ漫画。
Kindle Unlimitedで読みました。
僕は基本的に「スローライフ系」って苦手なので、この本の最初のほうの「炊飯器をやめて土鍋でご飯を炊くようになった話」とか、「掃除機を使わなくなった」なんていうのを読むと、「そりゃ、土鍋でうまく炊けたご飯は美味しいのかもしれないけれど、それをずっと続ける『面倒くささ』のほうが、僕には問題なんだよなあ」としか思えなかったのです。
「こういう実験ができるのは、家に小さな子どもがいないからだよね……」とか、つい考えてしまいますし。
その一方で、そういう先入観とかにとらわれずに、「今まで自分にとって必要だと思いこんでいるものを、思い切ってやめてみる」っていうのは、生活を少しずつでも良くするためには、けっこう大事なことなのかな、という気もするんですよ。
1万円余計に稼ぐのも、1万円使うお金を減らすのも収支は同じになるのだけれども、後者のほうが結果を出しやすいのも事実でしょう。
「なんとなくつけっぱなしにしていたテレビを消してみる」なんていうのは、「そのくらいのことでネタにするのか……」と読みながら思ったのですが、実際は、「そのくらいのこと」からはじめてみるほうが良いのかもしれませんね。
テレビそのものを「観ない」わけじゃなくて、「本当に観たい番組は観る」わけですし。
僕自身、もう50歳も近づいてきたので、これからの生活のことも考えていろんな物や契約を整理しているのですが、保険とか買ったものの長年読んでいない本とか、「いつか役に立つんじゃないか」と、なかなか止めたり捨てたりできないのです。
でも、あらためて考えてみると、それは「手続きがめんどくさい」とか、「せっかく今までとっておいたのに、今さら捨てるというのも悔しい」というような、「それが本当に必要か」とは、また別のしがらみというか、こだわりみたいなものが原因ではないか、という気がします。
本とかモノとかに関しては、今の時代は、「もし本当に必要になったら、多少レアなものでも、Amazonとかネットオークションで手に入るだろう」と思えば、以前よりは捨てやすくなりましたし。
まあ、この本は基本的に「断捨離」とか「整理整頓」の本じゃないんですが。
これまで、自分のなかで「当たり前」だと思っていたことを見直して、生きていくために本当に大事なものについて考えてみよう、ということなんですよね。
炊飯器や掃除機が悪いと言っているわけじゃない。
まあ、読んでいると、「そんなに家事に手間と時間をかけられるのは、家で仕事をしているマンガ家だからじゃないか?」とか言いたくなるんですけど。
「スマートフォン中毒」になっていた著者が、スマホをやめてみた回があるのですが、そのなかで、夫が「明日、同僚の女性が今のプロジェクトで悩んでいるみたいなので、外で一緒にごはんを食べてくる」という話をしたときの、著者のリアクションが書かれています。
「えー、そういうのって、ネットでは”相談女”っていって、相談を口実に男性との距離を縮める嫌な女の手口らしいよ~」
二人きりなのかどうかはわからないのですが、いちおう、こうして事前に報告もしているし、仕事の相談だ、と言っているのに……疑ってしまう気持ちもわからなくはないんですけどね。
Twitterなどをみていると、夫婦や家族の間での価値観や「正しさ」をTwitterの「いいね」の数で判断しようとしたり、相手の悪口を書いて、応援の反応をもらう人の多さに、僕は気持ち悪くなってくるのです。
そういうのは、目の前の人に直接言うか、信頼できる友人・知人に相談すべき話で、価値観や信頼感をアウトソーシングするようになっては、リアルでの人間関係って、うまくいかなくなると思うんですよ。
そもそも、自分自身が、他者の呟きにたいして、どういう気分で反応しているかを考えれば、「そんなものは、いくら積み重ねてもアテになんかならない」のはわかりそうなものなのに。
ということで、僕自身も、そういうSNSや相談サイトとは、極力距離を置くようにしています。
これは本当に「やめてみた」ほうが良いと思う。
疑う必要がないものを疑うようになれば、どんどん信頼関係は崩れていきますし、ネットには、そういう時限爆弾みたいなものが多すぎる。
「習慣」とか「当たり前」は絶対的なものではない、というのは、この新型コロナウイルス下での生活でも、多くの人
が思い知らされたのではないでしょうか。
「感染するかもしれない」となれば、身内の死に際に立ち会えなくても、みんなそれを(少なくとも表面上は)受け入れているのだから。
僕にとって、やめてみるべきものは、まず、「ネット」と「ブログ」かなあ、と思っています。