琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】数学の言葉で世界を見たら ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

数学は、君が幸せに生きていくための、魔法の言葉だ!

数学ぎらいなんてもったいない!

数学は単なる計算の道具じゃない。数学を学ぶのは言葉を学ぶのと同じ。
日本語や英語では表すことができないぐらい、シンプルに正確に物事を表現するために作られた言葉だから、数学がわかれば、世界の理解が深まる。
さらに「自分の頭で考える力」「物事の本質を捉える力」「新しい価値を創造する力」も、身につけることができるんだ――足し算・引き算など基礎の基礎から、確率・関数など日常生活で役立つ話、無限世界の驚く話、美しい「式」や「形」の話まで、楽しみながら学べる数学入門。


小川洋子さんの『博士の愛した数式』(この新書のなかでも採りあげられています)を読んだり、作家の佐藤優さんが近年あらためて「数学」の勉強をしている、という話を聞いたりすると、やっぱり「数学」をもっとちゃんと勉強しておけばよかったなあ、と思い、数学の「美しさ」に思いを馳せるのです。

しかしながら、僕は数学には全く愛されておらず、学生時代からものすごく苦手だったんですよね。
これが「美しい世界」であることは頭ではわかる。でも、目の前の教科書やテストの数式は、僕には全く微笑んでくれない。

もう数学のテストの点数を気にしなくてもいい年齢になってしまったので、佐藤優さんに倣って、あらためて数学に挑戦してみようかな、とも思っているのです。
今の世の中は数学に疎いと、騙されやすくなってしまうから。

ということで、読みやすそうなこの本を手にとってみたのです。
文章の部分は読みやすいし、数学に魅入られた人間たちの歴史に興味はわいてくるのですが、僕には出てくる数式がわからない。ものすごく頑張って、中学・高校の数学を復習しながら読めば多少は理解できるし、そうするべきなのかもしれませんが、もはや数式アレルギーみたいなもので、これを勉強しながら読むのなら、もっと自分が興味を持てて、数式が関係ない本を読むよなあ、というのが率直な感想です。

おそらく、僕にある程度理解できたのは、前半の3分の1と数学者たちのエピソードくらいではなかろうか。
これが「楽しみながら学べる数学入門」なのか、うーむ。
もとから数学が好きな人にとっては、たぶん、すごく面白い本だと思うのですが、ある程度数学が好きで、基礎的な学力がないと、僕のような「数式は読み飛ばして雰囲気読み」あるいは「途中リタイア」になりそう。


この本を読んでいて感じたのは、「数学的な知識」を持っているというのは、それだけでいまの世の中で生きていくための「武器」になる、ということなんですよ。

「2つのことが独立に起きる確率は、おのおのの確率の積になる」という性質を応用して、ギャンブルで負けない方法を伝授しよう。たとえば、コインを投げて表が出るか裏が出るかを賭けるとする。コインに癖がなければ、どちらの確率も1/2だ。癖がある場合も考えるために、表が出る確率をp、裏が出る確率をqとしよう。コインには表か裏しかないから、この2つの確率にはp+q=1という関係がある。

 表が出たら1円もらえて、裏が出たら1円取られるという賭けをする。2回連続して投げて、2回とも表になる確率はp×p=p²。これをくり返すと、n回連続して投げてn回とも表になる確率はpⁿとなる。pⁿとはpをn回掛けるという意味で、pのn乗と読む)。pは1より小さいのだから、nが大きくなると、pⁿはどんどん小さくなる。これは、連続して何回も勝つことは起きにくいという、常識的にも納得できる話だ。
 さて、最初にm円持って、1円ずつ賭けていくとする。ギャンブルは引き際が肝心だというから、N円になったらやめることにしておこう。途中でやめず、目標のN円に到達するか、ゼロ円になって破産するまで続けることにする。
 勝って帰れる確率をP(m,N)と書くことにしよう。Pは英語で確率を意味する”Probability"の頭文字で、確率を表す記号によく使われる。m円で始めてN円になる確率だということを覚えておくために、(m,N)と書き添えた。確率が1/2より大きければ勝つ見込みがあるし、逆にあまり小さいようならやめておいたほうがよいということになる。


(中略)


 たとえば、p=q=1/2とすると、P(100,200)=1/2。このときには、100円持ってギャンブルに行くと、持ち金を倍にして帰る確率と、破産してしまう確率は五分五分というわけだ。
 さて、ギャンブルの胴元がコインにちょいと細工をして、p=0.49、P=0.51としたとしよう、このとき、公式を使ってみると、P(100,200)≒0.02となる。つまり、持ち金を倍にして帰れる確率は50回に1回になってしまう。98パーセントの確率で破産してしまうんだ。コインに1パーセントだけ裏が出やすい癖をつけただけなのに、破産する確率が50パーセントから98パーセントと激増したのだ。
 カジノの経営が儲かる理由はこれだ。たとえば、アメリカ式のルーレットには1から36までの数字がついたポケットがあって、1から18までは赤、19から36までは黒、これだけなら赤が出る確率も黒が出る確率も18/36=1/2だけれど、ルーレットには0と00のポケットもあって、この2つのどちらかに玉が入ると胴元にお金が行くようになっている。この場合に赤か黒かで賭けると、お客さんにとってはp=18/38≒0.47。つまり3パーセントの癖のついたコイン投げをしているのと同じことだ。
 逆に、賭けがギャンブラーに少しだけ有利だったらどうだろう。p=0.51、q=0.49だったとして、P(m,N)の公式を使うとP(100,200)≒0.98となる。さっきの場合と、pとqの値が反転しているので、持ち金を倍にできる確率と破産する確率も逆転しているんだ。1パーセント有利なだけで、100円を倍の200円にできる確率が98パーセントになる。これならよほど運が悪くなければ負けない。
 このP(m,N)の式は、いろいろなことを教えてくれる。まず、すぐにわかることは、「ちょっとでも不利なギャンブルは、してはいけない」ということだ。ほんの少し不利になるだけで、ギャンブラーが破産する確率は格段に大きくなる。だから、ルーレットやスロットマシンのように、胴元がpをコントロールできるギャンブルでは、簡単に負けてしまう。


長い引用になってしまった上、途中の数式は省いてしまって申し訳ありません。
僕もギャンブルを嗜む(と、あえて綺麗っぽく書いてみました)のですが、「50%も49%も、たった1%しか変わらないんだから、同じようなもんだろ。プレイヤーの運とか『引き』でどうにでもなる!」と、けっこう長い間思っていたんですよ。

でも、数学的に考えれば、わずかに見える確率の差が、試行をくり返すことで結果に大きな違いを生み出してしまうことがわかります。

カジノのルーレットの「0」や「00」なんて、そんなのめったに入るもんじゃないだろ、と考えてしまうのですが、これが存在することによって、確率通りの結果が出る適正な機械だったとしても、プレイヤーは「賭けつづけると、ほぼ負ける」のです。

しょっちゅうお誘いのメールが来るカードローンの「リボ払い」だって、ほんの数パーセントにみえる利息が、ずっと積み重なっていくと、かなり大きな金額になったり、元金があまり減らずにずっと払い続ける仕組みになっていることが多いのです。

数学に疎いと、世の中の「数値を利用して、お得に、あるいは、たいしたことがないように見せかけようとする人や組織」の戦略に、あっさり引っかかってしまいます。

高等数学は、自分の生活には関係ない、と思ってしまいがちだけれど、現在のインターネット取引で情報を暗号化して送受信するためのSSL(Secure Socket Layer)の仕組みも解説されています。

ふだんは意識していないけれど、現代人の生活は、高等数学と無縁ではいられないのです。
 
一時期、就職試験でよく問われていた「フェルミ推定」のの話も出てきます。

 フェルミは、シカゴ大学の学生にいろいろな量を即興で見積もらせる問題を好んで出した。
 たとえば、「シカゴ市内にはピアノ調律師は何人いるか」というのは有名な問題だ。
 フェルミ推定と呼ばれるこのような問題は、有名企業の入社試験で出題されたこともあって、日本でも何冊もの解説書が出版されている。しかし、このような問題を解く方法は単純だ。一見難しそうな問題でも、簡単な部分に分解して、その一つひとつを見積もり、それを組み合わせればいいだけだ。
 たとえば、ピアノ調律師の人数を見積もる問題では、まず、シカゴ市内にピアノが何台あるかを考える。
 僕はロサンゼルス市の近郊に住んでいるので、この全米第2の都市が、人口400万人ぐらいであることは知っている。シカゴ市は全米第3位なので、300万人ぐらいだろう。各家庭は平均3人家族だとすると、およそ100万軒の家庭があることになる。すべての家庭がピアノを持っているとは考えられないが、100軒に1台では少なすぎるだろう。小学校のときに、クラスの中の数名の家にはピアノがあったように覚えている。そこで、10軒に1台とすると、100万軒には10万台のピアノがあることになる。個人の家庭以外にも、学校や演奏会場などの公共の施設にもピアノがある。しかし、たとえば小学校のピアノを考えると、何百人もの生徒に対して数台だから、無視してもよいように思える。
 そこで、シカゴ市内にピアノが10万台あるとしよう。これだけのピアノを調律するのには、何人の調律師が必要か。
 我が家にもピアノがあって、調律は半年に1回だ。まったく調律をされていないピアノもあるだろうから、平均して2年に1回調律するとしよう。2年間に1人あたり何台のピアノを調律できるか。1年は365日で、仕事をするのは平日だけだとすると、365×5/7でおよそ260日。2年でおよそ500日だ。1台調律するのには約1時間かかるから、その場所に行く時間も考えると、1人で1日に4台ぐらいが精一杯だろう。つまり、2年間で1人あたり500×4=2000台を調律できることになる。10万台のピアノを調律するためには、100,000÷2000=50人程度の調律師が必要になることがわかった。
 ここでは調律は2年に1回とするなど大雑把な見積もりをした。もっと正確な値を使えば、より正確な見積もりができるけれど、この計算でも桁数は合っているだろう。


 ちなみに、著者が「職業別電話帳」で調べたところでは、シカゴ市内には少なくとも30人のピアノ調律師がいるそうです。
 この「フェルミ推定」の思考のプロセスをみていくと、ひとつひとつはそんなに難しいことではないんですよね。
 でも、それを確実に積み上げていくことと、ピアノは何軒に1台くらいあるのか、という生活者としての観察力を持っていることが、結果を出すためには必要で、たしかに「良い問題」なのでしょうね。

 かなり数式がたくさん出てきますし、数学が苦手な人は、書店でこの本のページをめくると「ちょっと自分には敷居が高い」と感じそうです。
 でも、この本の文章だけでも「流し読み」しておけば、数学の面白さと怖さ、「数字に基づいて語ってみせる」ことで、他者をうまく丸めこもうとしている人たちがいることを意識できるはず。
 
 僕のように、数式は苦手、という人ほど、こういう本をわかる範囲でも読んでおくことのメリットは大きいと思います。


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