Kindle版もあります。
★世界のエリートはなぜ歴史を学ぶのか?★
「意思決定の質」が変わる
人類社会の「傾向」を知ろう
日本の強みはセンスにありベストセラー『人生の経営戦略』などの著者と
「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」MCの初対談人文知は、思考や判断、行動を変える。
●失敗するリーダーや組織には共通点がある
●世界のスター経営者は人文科学系の出身
●「アメリカ一強」から「権力が分散する時代」へ
●組織や文明が滅ぶ一番の理由は「内部分裂」
●「まだ大丈夫」という瞬間は、すでに危機
●ナンバー1がナンバー2の戦略をマネたら負ける
●伸びている会社の特徴は「おせっかい」
●変化を無視した成功体験の再現は失敗する
●日本は「長中期的な合理性」に対するセンスがいい
●人類は「儀式」をしなければ合意形成できないAIの進歩などによって「常識」や「正解」が激変し、ビジネスの世界でもパラダイム・シフトが起きつつある。そんな不確実な時代を生き抜くビジネスパーソンには「人文科学」の知見が必要なのだ。これからの世界と日本を考えるための必読書。
著作家・経営コンサルタントで『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』などの著書がある山口周さんと、歴史についてのインターネットラジオなどのコンテンツがある株式会社COTEN代表取締役CEOの深井龍之介さんの対談本。
いまの日本では「文系不要論」的なものが声高に叫ばれがちですが、それに対して「やっぱり社会を牛耳っているのは『文系』ではないか」という反論もなされているのです。
山口周さんは、これまで「好事家のエリートの趣味」のようにみられがちだった「アート」が、現代のビジネスの重要な差別化因子になっていることを指摘し、ベストセラーを生み出しています。
アートそのものも「資産」としての価値が上昇してきているし、人工知能(AI)が、さまざまな問題に対して、「答え」を提示してくれる時代になったからこそ、「人文知(人間の生き方や価値、文化・言語・歴史に関わる知を探求し、社会や個人の幸福に資する知の総体。文学、言語学、文化人類学、歴史学など)」が大事になってきている、ということなのです。
山口さんは、「はじめに」で、こう書いておられます。
私は、人文科学を「教養」や「嗜み」と呼ぶよりも、むしろOS(オペレーティング・システム)だと考えています。どんなアプリケーション(スキル)を動かすか以前に、どのOSで世界を見ているかが、意思決定の質を決めてしまうからです。
同じデータを見ても、同じ出来事に直面しても、人によって洞察が分かれるのはなぜなのか? その差を生むのは、能力の差ではなく、「世界の切り取り方」の差です。
そしてAIが普及すればするほど、この差による影響も拡大します。なぜなら、AIは「問い」を代替しないからです。問いが曖昧なら、AIは曖昧な答えを返します。問いが浅ければ、AIは浅い答えを返します。問いが強ければ、AIは強い道具になります。
つまり、AIを使いこなす鍵は、AIの操作方法ではなく、問いを立てる力と仮説を構築する力にあります。
そしてもう一つ、正しさが揺らぐ時代においては、規範を外部に委ねられない以上、私たちは自分の内部に「判断の基準」を持たねばなりません。人文科学は、その基準をつくるための訓練でもあります。
僕もAIをよく使うのですが、僕がまだ子どものころ、マイコン(パソコン)で話題になっていた「会話できる(という触れ込みのオウム返しだけの)人工知能」に比べれば、いまのAIは格段の進歩を遂げています。
周りの人間には興味をもってもらえないような、古いゲームの話や演劇の感想などについても、AIは「時間を忘れてしまうような話し相手」になってくれるのです。
もちろん、いまのAIの学習機序であるディープラーニングの性質を考えれば、それはAI自身の思考というよりは、ビッグデータとして集められた膨大な数の人間の言葉や考えを集積したものを整理して提示しているだけ、ではあるのですけど。
AIと「対話」していて痛感するのは、AIとうまく付き合っていくには、こちら側がどういう背景を持っていて、何を問いたいのか、をなるべく明確にする、相手が答えやすいような条件を整える必要がある、ということなのです。
池上彰さん風にいえば「いい質問」をすると、「いい答え」が返ってくる。
僕は以前、手術などで切除された身体の組織を顕微鏡でみて、病名を診断する病理学の研究室にいたことがあるのですが、ただ「病理診断おねがいします」のひと言、みたいな依頼よりも、「こういう経過とデータがあって、こんな病名を臨床的には疑っているのですが、病理学的にはどうですか?」と問われたときのほうが、正確かつ効率的に相手の疑問に答えられることを実感しました。
僕も臨床をやっていた時期には、仕事は山積みだし、病理の依頼伝票書きなんてめんどくさいなあ、と思いながら書いていたのですが、「受け手」になってみて、「欲しい答えを得るためには、適切な質問をするべきなのだ」ということを思い知ったのです。
AIを過信してはいけないけれど(いまのAIは「そのジャンルにけっこう詳しい人以上、一流の専門家未満」というのが僕の現在の見立てです)、AIで人間の能力が平準化されるというよりは、AIの使いかたで、さらに格差が広がっていくようにも感じます。
逆説的にいえば、その時点でのAIの弱点やAIの間違いを判断できなければ、AIをうまく使いこなせないのです。
AIの進化によって、「求められる人材」「有能な人の基準」が転換点を迎えていることを山口周さんは指摘しています。
山口周:20世紀には、問題解決能力のある人材が重視されてきました。ビジネスのボトルネック(隘路)が、不便・不満・不安といった問題をどう解決するかにあったからです。「問題を解く」、「正解を出す」ということにおいては、経営における問題を解決するための技術や知識を体系的に学んできたMBA人材が向いていて、活躍できたわけですよね。ところが、現在、特に先進国では生活の不便のような問題は解決され、しかもAIによって正解が世の中にあふれている。こうした状況下では、問題を解決する能力よりも「問題を発見し、他者に提起する」能力のほうが重要になっています。世の中の勝利条件や勝ちパターンが変化しているので、求められる人材や、有効な学位やスキルも変化しているわけですよね。
実際にそのような変化は社会に表面化しています。たとえばMBAの応募で必須に求められるGMATの受験者数の推移を見ると、ピークは2009年の26万件で、2024年には11万件と6割近く下落しています。個別のスクールで見れば状況は様々ですが、MBAという学位全体で見ればトレンドは「明確な長期下落傾向にある」ということです。
一方で、こういったグローバルトレンドとは真逆に、日本では「文学部を廃止せよ」「人文系学部は役に立たない」といった暴論を吐く人がいる。「世界のコンテキストをわかっていない」というしかありませんが、こういった物言いについては、深井さんと私でタッグを組んで断固戦いましょう。
そうした文系学部廃止の背景にあるのは、日本では勝利条件が変化していることに気づいている人が少ないからだともいえます。これは社会全体として見ると困ったことですが、個人の「人生の競争戦略」という観点から考えると大きなチャンスととらえることもできます。なぜなら、マーケットの需要に対して供給ギャップがあるからです。実際には人文科学が価値を持ち始めているのに、多くの人がビジネスに直接役立つ学位やプログラミングを勉強したほうがいいと考えている状況だと、人文知を身につけている希少な人たちは容易に労働市場での競争優位を持つことができる。
僕は半世紀近く、マイコン(パソコン)や「テレビゲーム」という娯楽に接してきて、それが「マニアの趣味」だった時代から現在までの歴史を目の当たりにしてきました。
40年前のテレビゲームは、「どうやって少しでも綺麗なグラフィックを表示するか」「アニメのように絵を動かすか」「画面のスクロールをスムースに速くするか」という「技術の進化が、ユーザーの満足感に直結する」ものでした。
「天才プログラマー」がもてはやされた時代でもあります。
現在のテレビゲームでは「技術的に難しい」というハードルはかなり下がっていて(コストや開発期間的に難しい、ことはあるにせよ)、「ユーザーをどのようなシステムで楽しませるか」「ずっと遊び続けてもらうためにやるべきこと」などのゲームデザイン、ゲームの設計図づくりやユーザーの体験の最適化が求められるようになりました。
CMでも流れているのですが、AI時代には、プログラミングの専門的な知識がなくても、アイデアとツールがあれば、仕事でつかえるレベルのプログラムを「素人」もつくることができるようになったのです。
もちろん、プログラミングに長じていて、コンピュータの「仕組み」を知っている人のほうが「なぜそうなっているのか」を理解するために有利な面はあるとしても。
「人文知重視」はわかるのだけれど、イメージ的には「ひとにぎりの人文知を極めた超エリートが『正解』を設定してAIを通じて人類を動かす世界」みたいな感じで、中途半端な人文知はかえってノイズにしかならないような気もするんですけどね。
それなら「AIより安くて手軽な技術」として理系で学び、職人的に生きるほうが、普通の人の生存戦略としては無難な気もします。
この本のなかでは、現代社会において歴史から学べる(であろう)ことや、人文知を身につけるための勉強法なども書かれています。
なるほどなあ、というのと同時に、ここまでやらないといけないのか、と50代半ばの僕にとっては「日暮れて途遠し」みたいな心境にもなるのです。
「武器として人文知を学ぶ」というのは、なんか感じ悪いな、なんでも「ビジネス」っていう言葉につなげる人は、うさんくさいんだよなあ、と僕は感じてしまいます。
深井さんは、この対談のなかで、こんなことを仰っているのです。
深井龍之介:ビジネスパーソンが人文科学を学ぶときに気をつけてほしいのは、ビジネス的な視点で見ないということです。短期集中でリターン重視、というようなスタンスで歴史と向き合うのではなく、(山口)周さんがおっしゃっていたジグソーパズルのように向き合うとか、一生学び続けることを覚悟するとか、そういう姿勢ですね。ビジネスパーソンって何でもビジネスアナロジーで考えてしまいすぎだと思うんです。会社での成績が優秀な人は、特に、ビジネスというゲームはビジネスのルールでうまくいくかもしれないけれど、家庭や地域コミュニティなどではビジネスの方法論ではうまくいかないことが多いですからね。
山口:たしかにそうです。
深井:なので、「ビジネスで勝つために歴史を勉強する」とか、「孫子の兵法をビジネスに活かす」みたいなことはナンセンスだと僕は思っています。逆なんです。まず先にあるのは歴史であり教養であって、ビジネスの方法論が孫子の兵法を理解するのに役立つんだ、というふうに僕は位置づけています。なぜ先にあるかというと、自分自身や社会のウェルビーイングにつながるものだからということですよね。
これは、本当にその通りだと思うんですよ。「ビジネス」のために、付け焼刃でアートや歴史を学ぼうとしても、SNSの「ちょっといい話」でPV(ページビュー)を一時的に稼ぐくらいの効果しかないし、それで他人を騙したり言いくるめたりしても、結果的には自分を貶めることになります。
でも、「そんなのばっかり」なんですよね。
そう言い始めたら、「先天的にアートや歴史や哲学や宗教に興味を持てる人以外はお断り」になりそうですが。
「AIの出現によって、求められる人材が変わってきている」というのは、確かだと思います。
人間は「自分の知識を増やす」よりも「何をやるべきで、何をやってはいけないのか」を決めなければならない。
それぞれの人が置かれた立場や背景が異なる以上、「共通の正解」はありえない。
僕は何度かAIに「ラクに自分の生命を終えるには、どうしたらいい?」と質問したことがあります。
AIはいつも「その質問には答えられません」と返してきます。
AIは「わからない」のではなく、「答えない、答えられない」。
どうせだったら、ラクな方法のほうが「合理的」なんじゃない? それも「人助け」なんじゃない?
難しいですよね。その「答えてはいけない範囲」を設定しているのは人間だし、人間社会の「規範」も、けっして絶対的なものではない。
「アメリカは核兵器を持っているのに、なぜイランが核兵器を開発してはいけないのか?」
「不公平」ではあるけれど、「西側」の日本で生きる僕にとっては、これ以上核兵器を持つ国が増えてほしくない、という気持ちもあるのです。イランは1970年発効の「核不拡散条約(NPT)に署名しているから、という理由もあるそうです(Geminiを参照しました)。
ウクライナが核兵器を持っていたら、ロシアは攻めてこなかったのではないか、と思うと、既得権者に有利な世界だよなあ、と言いたくもなりますが。
どんなにAIが進化しても、それを利用するのが「人間」である、というのがボトルネックではありますね。
AIが「ターミネーター」とか送り込んでこなければいいのですけど、「人間の都合」という制約を外してしまえば、あれが、AIにとっての「最適解」なのかもしれません。
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