Kindle版もあります。
ありそうでなかった
「しにくい」を「しやすい」に変える技術わかりにくい説明、使いにくい道具、
見にくいデザイン、読みにくい文章、
住みにくい部屋、片づけにくいモノ――。生活の中にはたくさんの
「しにくい」が溢れています。こんな「しにくい」ものに触れたときは
ちょっとイライラしたり、
ちょっとストレスを感じたりするもの。説明書がわかりにくかったり、
バーガーが大きすぎて食べにくかったり、
イベントの席がぎゅうぎゅうで座りにくかったり。一方、仕事上で自分が「しにくい」を
作り出してしまっているときは、
どうすればこれを改善できるだろう?
と悩むものです。お客さんや上司に
「使いにくい」「読みにくい」
などと思われているのなら、
改善しないとなりません。本書は、たったひとつの技術を使って、
「しにくい」を「しやすい」に
変えるための本です。
僕は長年「片付け」とか「整理整頓」を苦手にしてきたのです。
この本を読みながら、もっと早くこういう知識や考え方に触れていれば……と思ってしまいました。
実際は、同じようなやり方には何度も触れてきたのに、僕が実行しなかっただけなのかもしれないけれど。
世の中には「誰がこんな使いにくいものを作ったんだよ……」と心の中で叫びたくなる商品やサービス、しくみ、ルールが溢れている。
では、できる人は、一体どうやって「しにくい」を「しやすい」に変えているのだろうか? もう、おわかりだろう。「しやすい」は、たったひとつの技術を身につけることで実現できる。それが上手に「分ける」技術だ。
キャンパスノートが30行に分かれているのも、宅配ピザのMサイズがたいてい8等分にされているのも、ディズニーランドがエリア別に分かれているのも、すべて理由がある。「気が利いている」ものは、誰かが絶妙な分け方と考えたはずなのだ。
著者は、この本の冒頭で、野球でここを超えたらホームラン、という「フェンス」の存在や、なかなか片付かない子供部屋が「区切りかた」で片付くようになった話をされています。
オーバーフェンスはホームラン、というのは、野球のルールを知っている人にとっては当たり前のことのように思われるのですが、実際は、同じ飛距離の打球でも、球場の広さによってホームランになったり、外野フライになったりしているのです。フェンスという「区切り」は、スポーツとして、娯楽としての野球を大きく変えたともいえます(昔の野球ではフェンスがなく、ホームランの定義は曖昧だった、とのことです)。
民主主義国家の議会では、過半数の賛成で(憲法改正などの場合を除いて)法案が成立する、というのは、常識だと思い込んでいるけれど、あらためて考えてみると、51対49の場合は、ほとんど半々、ですよね。両者がケンカしても、どっちに転ぶかわからない。でも、「過半数という境界に従う」というルールをみんなが受け入れているのです。80対20くらいならまだしも、51対49でも、51のほうが「勝ち」になり、過半数をとるために、さまざまな駆け引きが行われています。
こういうのは、どこかで「区切り」をつけないと、キリがなくなってしまうものではありますし。
結局、できる人は「分け方」がうまいのだ。
できる人はつねに現状の分け方に疑問を持っている。そして、何か新しい分け方がないかと探しているのだ。分け方はいくつも存在する。正解はひとつではない。そのように考えて「しにくい」を「しやすい」にたえず変えようと試みている。
一方、できない人は、それまでの分け方に疑問を持たない。違和感を覚えたとしても、そのまま放置してしまう。
著者が子どもたちの部屋がなかなか片付かないことに対してとった対策は、けっして複雑なことではありませんでした。
こんなことで片付くようになるのか!と驚かされるのと同時に、人というのは、「明確な目的を設定する」ことで、いろんなことがやりやすくなるものなのだな、とも考えさせられました。
仕事でも、「誰が何をどこまでやればいいのか」という「仕分け」が大事なのです。
この本を読んでいると、日頃、何気なく「こんなものだろう」と思ってやっていることにも、工夫や改良の余地はたくさんある、と気づかされます。
私は、仕事がらセミナーを開催することがよくある。そんなときに悩むのが、会場の「イスの並べ方」だ。来た人がバランスよく座ってくれればいいのだが、後ろや端の席に人が集中して前がガラガラになることがよくある。皆さんも職場や学校で人を集めるときに苦労することもあるだろう。
特に、会場にテーブルを置かず、イスだけ並べる場合は、置き方の自由度が高い分だけ悩んでしまう。イスを配置する上で、考えるべきことは主に次の3つだろう。
1.お客さんが快適に過ごせること
2.募集数に対して実際はどれくらい来るか見込みを立てること
3.前のほうの席から詰めて座ってもらうこと
これらをイメージしながら椅子を並べ始める。とは言え、来場者数については蓋を開けるまでわからない。100人程度の募集の場合、イスを5席ほど並べて通路をあけ、また5席ほど並べて通路をあける、といったレイアウトをよく見かける。
ところが、この分け方をしてしまうと様々な問題が起こる。まず、早めに来た人は「端」から座ろうとする。そのほうがセミナー中「快適に過ごしやすい」からだ。ところがこうなると、あとから来た人は、「すみません、通してもらえますか」などとお願いしながら中の席へ行かなければならず、「入りにくい」ことになる。これでは先にいた人も、あとから来た人も、決して快適な入場とは言えない。
また、早く来た人から順に、前の席に座らせたがる主催者は多い。こうするとあとから来た人たちが「座りやすい」し、前のほうの席が埋まっていると講師も「話しやすい」から、主催者の気持ちはわからないでもない。しかし、早く来たお客さんは、好きな席に座りたいからこそ早く来たのだ。それなのに、「前から詰めて」と言われるのは、決して気持ちのいいことではない。むしろ「不快」に思う人もいるだろう。
最終的に満席になるのなら良いが、応募した数の6〜7割程度しか来ないケースもよくあり、座りようによっては空席が目立って、なんとなく「ハズレ」のセミナーに来てしまった印象を与えてしまう。これでは講師のモチベーションも下がってしまう。
本では図でわかりやすく示されています。
僕も講演会などに参加した際、この「席が端から埋まってしまって、両端が埋まっている真ん中の席には座りづらくて、空席があっても後ろの補助席に座ったり、立ち見になったりすることが少なからずあるのです。
講演会を運営する側にもなったことがありますが、正直、「いつもそんな感じだし、そういうものなんだろうな」としか考えず、惰性でイスを並べていました。
著者は、「分けかた」というか、「イスの並べかた」を変えることで、この問題を解決しようとしています。
では、座席をどのように分ければ、これらの問題点は解決できるのか。自分でセミナーを企画して様々なことを試してわかったことは、「2席ずつ分ける」とうまくいく、ということ。2席ずつ通路をはさむのだ。
この分け方の最大の利点は「端」しかないことだ。5人席だと端は右と左の2つ。あとの3つは「中のほう」の席ということになる。しかし、2人席だと、そもそも「中のほう」の席は無くなるのだから、どこに座っても「快適に過ごしやすい」場となる。
また、やってみてわかったのは、こうするとこちらが何も言わなくても前のほうの席に座ってくれる人が増えることだ。そもそも、後ろより前のほうがプロジェクターの文字は「見やすい」のだ。それでも前に座ろうとしなかったのは、座席の快適性が低いことが原因のひとつだった。この快適性を担保することで、人の気持ちは積極的になることが多い。そのため、自ら前に座る人が増えるのだろう。
「詰めてください」などとアナウンスすることもなく(「そう言われても詰めたり前に行ったりしたくない」というのが参加者の本音でしょうし)、イスの並べかたを工夫するだけで、参加者の座りかたも、おそらく満足度も変わるのです。
もっと若い頃にこの本を読んでいたら、僕も「気が利くヤツ」としてもっと上司ウケが良くなったのではなかろうか。
もうひとつ考えさせられたのは、「正解はひとつではないし、状況によって求められる『分けかた』は変わってくる」ということです。
販促用の「球根」を載せたトラックが事故で横転し、様々な色のチューリップの球根が混ざってしまったそうだ。球根は見ただけでは何色の花が咲くのかはわからない。
売り手は、どうしようかと考えた結果、何色が咲くのかわからない「訳あり球根」と銘打って安く売り出したそうだ。すると、SNSで情報が拡散されて、50万個がまたたく間に完売したそうである。何色かを分けなかったことで、咲くまで色がわからない。球根が種類別に分けられているほうが買う側としてもわかりやすいが、そういったトラブルのストーリーと分けられない状態が、ワクワク感を演出する効果を作ったのだろう。災いを福に転じさせたわけだ。
古本屋や古着屋は、商品をそれほど正確に分けずに、あえてゴチャゴチャさせていることがある。「安い」ということに加えて、「宝探し」的な楽しさを演出しているのだ。「ドン・キホーテ」なども、そのあたりを心得ている。買い物の醍醐味はワクワク感で、分けないほうが「ワクワクしやすい」演出ができるわけだ。
一方で、「ユニクロ」はすべてのサイズが、豊富なカラーバリエーションで整理され、分けられている。そこに行けば必要な服がすぐに「見つけ安い」という安心感がある。
発注ミスで大量に余ってしまったプリンや直前のドタキャンで席が空いてしまった人気レストランなどの「物語」があるものが、SNSで話題になり、あっという間に完売するというのは、ネット時代ではよく見かける光景になりました。
その一方で、「ネットで拡散されることを最初から狙っていた商業作品」は、大バッシングされることもあるのです。
匙加減というのは、本当に難しい。
気持ちや努力の問題だとみなされていることにも「分けかた」「仕組み」を変えることで、同じ人がうまくできるようになることって、けっこうたくさんありそうな気がします。
僕自身、スケジュール管理をスマートフォンに入力するようになって、「うっかり忘れ」が劇的に減りました。
スマートフォンは僕の生活必需品であり、「遊び」のためにも常に持ち歩くので、画面に表示された予定も、何かのついでに目に入ってくるのです。記憶は失われるし、手帳は持ち歩くのや確認するのを忘れてしまうけれど。
すごく読みやすくて、日常生活の解像度が上がる本なので、興味を持たれた方は、手に取って(あるいは、電子書籍のリストに入れて)みてください。