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元祖〝スパルタ教育〟の実態に迫る
格差を感じさせない、理想的な体制だった!?マキャベリが「最も優れた国制」、ルソーが「安定した社会」だと絶賛。
プラトンが高評価し、ナチスが賛美。スパルタは、1000におよぶポリスが乱立する古代ギリシアにおいて軍事大国として君臨し、アテナイ(アテネ)と覇権を争っていた。なぜ長期間にわたって強国を維持することができたのか。
賛美者が絶えない「理想の社会」の実像とは―
スパルタとはどんなポリス(都市国家)だったのか?
民主制のふるさととされる自由な雰囲気のアテネと、厳しい規律と集団生活で鍛え抜かれた軍事都市・スパルタ。
この2つの都市の覇権争いが、世界史で習うポリス時代のギリシャ史の軸となっていました。
「スパルタ教育」なんていう言葉が現在でも使われているように、ギリシアが反映していた時代が終わっても、「スパルタ」は厳しい鍛錬と規律を守る集団の代名詞として、世界の歴史に名を残し続けているのです。
僕は高校時代、寮の学習時間に勉強するのがイヤになったとき、「世界史資料集」という世界史のさまざまな史料やエピソードが収められた参考書を読んでいました。それを読んでいたら怒られなかったので。
テルモピュライの戦いで、アケメネス朝ペルシアの大軍に、わずか300の軍勢で立ち向かい(狭くて大軍が通れない要所に立ちはだかり)、激闘の末に全員戦死したスパルタ兵とレオニダス王の話は、すごく印象に残ったのです。
なぜ、スパルタの戦士たちは、「勝ち目のない戦い」を最後まで続けたのか?
「神風特攻隊」もそうなのですが、死ぬとわかっている戦いにあえて身を投じる人々の姿というのは、どうしてこんなに、人の心を揺さぶるのか。
僕の理性は「こんな『死ぬため、意地を見せるための戦い』なんて、命の無駄遣いではないのか」と判定しようとするのだけれど、やっぱり「感動」してしまうのです。美化してはいけない、とは思うのだけれど。
この本を読むと、あの300人の壮絶な戦死は、周囲の都市や国を、長年「スパルタは最後のひとりになるまで降伏しない、怖い相手」だと恐れさせることになったことが分かります。
神風特攻隊は、発案者ですら「外道の作戦」だと嘆いていたのですが、植え付けられた「カミカゼ」のイメージは、「そんな作戦をやる国とは、できれば戦いたくはない」と敵国に思わせたはずです。
レオニダス麾下の300名のスパルタ軍は、戦力に大きな差があったとはいえ、最初から「玉砕するためにペルシアと戦った」わけではなく、鎌倉幕府末期に挙兵した楠木正成のように「有利な地形での戦闘でペルシアに対して善戦し、戦いを長引かせれば、相手の陣営の動揺や内部からの離反を誘い、味方として参戦してくれるポリスも出てくるのではないか」という期待もしていたのだと思われます。
それが叶わない状況となっても退却しなかったことには、スパルタというポリスの戦士たちの矜持とともに、生きて帰って来た者を軽蔑するという「圧力」があったこともこの本では書かれています。
トゥキュディデスが述べたイメージ(テルモピュライの戦いの約半世紀後、ペロポネソス戦争中にアテナイ軍に包囲されたスパルタ軍が死ぬまで戦わずに降伏したことが、ギリシア中の人々を最も驚かせた、という話)が強かったことは、戦死した息子に対する母の言動として伝わるエピソードでも示される。テルモピュライの戦いから約600年後に多くの書物を残したプルタルコスが、息子の戦場での振る舞いに対するスパルタの母の話を多く伝えている。
例えば出征する息子に対して、楯を渡して、「これを持って帰るか、載って帰ってきなさい」と言ったという。勝利して楯を持参して帰国するか、戦死して楯に載って運ばれてきなさい、という意味であろう。すなわち臆病から戦闘を放棄して、身軽になるために楯を捨てて逃亡する行為を戒めているのである。楯を捨てることは、スパルタ人が教育や行軍の際に吟唱していた前7世紀の詩人テュルタイオスの詩でも非難されていた。
また戦場で臆病な振る舞いをした息子に対する母の伝えも多い。多くの話で共通しているのは、生きて帰ってきた息子を恥じて母が殺すというものである。一方で息子の戦死を誇らしく思う家族の話は、前371年にスパルタが覇権を失ったレウクトラの戦い後のエピソードが代表的なものである。この敗戦で戦死した者の家族は明るい顔をして外を往来しているのに、生存者の家族は家で目立たないようにしていたとされる。生きて帰国した者の状況を知ると、スパルタの母の行為はある程度、納得できるものかもしれない。彼らは法に背いたのであるから当然、処罰の対象となった。その厳しさを最もよく伝えているのが、テルモピュライの戦いの生存者へのスパルタ市民の態度である。この戦いで出征した300名のスパルタ人のうち、実は2名が生還していた。伝えによればアリストデモスとパンティヌスという名の者で、前者は眼病により陣から離れたところで療養中のため、後者は伝令で戦場を離れていたため、先頭に参加できずに帰還したのであった。
不可抗力であったにも関わらず、帰国した彼らとは誰も口を利かず、ほぼ村八分にされることとなった。すなわち刑法的な処罰というよりは社会的疎外という制裁を受けたのである。そして臆病者という意味で「(恐怖で)震える者」と蔑称された。パンティヌスは耐えきれずに程なく自ら首を吊った。アリストデモスはこの恥辱に耐えて、プラタイアの戦いで自殺的勇戦により、最も手柄を立てて逝ったという。
本当かよこれ……と絶句してしまう話なのですが、太平洋戦争末期、敗勢濃厚の日本軍も「生きて虜囚の辱めを受けず」と、降伏したり捕虜になったりすることを恥じる圧力がかけられていたのです。
いくらなんでも、病気で離脱したり、伝令に出ていた人までこんな扱いをするのはひどいと思うのですが、ここまで強い「同調圧力」があった国、あるいは状況だったからこそ、「テルモピュライの戦い」や「神風特攻隊」が成立した、ということなのかもしれません。
スパルタを賛美していたナチス・ドイツのヒトラーは「古代スパルタでなされていた教育内容をモデルとしたカリキュラム」を多く取り入れば「アドルフ=ヒトラー・シューレ(ドイツ語でシューレは「学校」)を設立していました。
いわゆる「スパルタ教育」は、現在でも、批判の声は大きいものの、賛美者も少なくないのです。
ただし、著者によると、
ところが意外なことに、英語のSpartan educationには「体罰を含む厳格な教育」という意味はない。単純にスパルタでなされる教育を指す言葉として使われているのである。
ということでした。
現在、多くの日本人がイメージする「スパルタ教育」は第二次世界大戦前から日本に存在したものの、広まったのは1969年に出版された石原慎太郎さんの著書『スパルタ教育』によるところが大きかった、とも書かれています。
古い歴史上のエピソードがもとになっているのだけれど、実際に日本で今の使い方が一般化したのは、半世紀前くらいなのです。
「スパルタ」というポリスには、後世の人々が、自らのイメージや思い入れを投影してきたため、史実をは異なる「スパルタ像」が形成されてしまった面もあります。
スパルタも、ずっと「質実剛健で厳しい集団生活」を維持してきたわけではなく、周囲のポリスやペルシアの影響を受けて、「風紀が乱れていった」時期もあれば、それを建て直し、昔の強いスパルタを取り戻そう、とした指導者もいたのです。
あのスパルタの人々でさえ、触れて仕舞えば、美味しい食べ物や贅沢な生活に惹かれてしまう。それもまた「人間の歴史」なのでしょう。
戦争が続いたことによる人口減にも悩まされ、使役してきた被支配階級の反乱もしばしば起こっています。
スパルタの国制をつくったとされるリュクルゴスという人物は、実在したかどうか確証に乏しいそうですが、後世のスパルタの指導者たちは、「いにしえの古いスパルタを取り戻そう!」とアピールするために、「リュクルゴス体制への回帰」を訴えています。
リュクルゴスも、スパルタ自体も、実像以上に、後世の人々によって脚色されたり、利用されてきたのではないかと思われます。
ドイツでは第二次世界大戦の戦局が悪化してくると、テルモピュライやレオニダスをめぐるエピソードが盛んに見られるようになる。有名なのが、スターリングラードの戦いで絶望的な状況に陥ったドイツ第六軍に対して、国家元帥ゲーリングがラジオの演説において、シラーが訳したテルモピュライで散った兵士たちを詠った詩を改変したものを贈り、レオニダスとスパルタ兵に第六軍兵士を準えて鼓舞したことである。しかしこれを聴いたドイツ兵たちは、自分たちは玉砕を強いられ、本国が自分たちを見捨てたと感じて、逆に意気消沈したと言われている。
もう一つあげると、戦争の最終局面において、ヒトラーはソ連軍が迫ったベルリンの防空壕で最後の誕生日を迎えた。その時、アルプスへの逃亡も考えたが、結局、留まることを決意して、「死に物狂いの戦いは、常に記憶すべき先例として覚えられるだろう。レオニダスと麾下の300名のスパルタ人を考えてみたまえ」と述べたという。そしてその10日後の4月30日に彼は自ら命を絶ち、ドイツは降伏することになった。
「玉砕」を後方にいる偉い人に強要され、それを賛美されたら、そりゃ白けるし、絶望するよなあ……
とはいえ、1989年にフランク・ミラーが発表した劇画『300』は、2006年に同名の映画化され、大ヒットしました。ペルシア軍やその王の描写がおかしい、悪意を持って描かれている、と抗議も受けたのですが、僕はこの映画がけっこう好きで、何年かに一度、思い出しては観ています。観客にとっては「玉砕劇」には、抗えない魅力があるのかもしれません。究極の自己犠牲、ではありますし。
ちなみに、僕にとっての『スパルタ』のイメージは、テルモピュライの戦いとともに、ジャッキー・チェン主演の映画『スパルタンX』と、ファミコンでも大ヒットした同名のテレビゲームなのですが、これを書いていて、あれは「スパルタ」と何か関係があったのだろうか?と疑問になったので、ネットで少し調べてみました。
Wikipediaによると、
スペイン・バルセロナを舞台に、ワゴンカー「スパルタン号」による軽食販売で生計を立てるトーマス(ジャッキー・チェン)、デヴィッド(ユン・ピョウ)の二人と、探偵モビー(サモ・ハン・キンポー)が謎の集団に誘拐されたシルヴィア(ローラ・フォルネル)を助けだそうとするコメディ調のカンフーアクション映画である。
映画ではワゴンカーの名前が「スパルタン号」だっただけで舞台はスペイン、ファミコン版は「映画とゲームの内容に直接関係はないけれど、タイアップで『スパルタンX』のタイトルがつけられた」そうです。
「戦うアクション映画」=「スパルタン」が、それらしい感じがするのも「スパルタ伝説」のおかげなのでしょう。
けっこう面白かったんだよなあ、ファミコンの『スパルタンX』も。