Kindle版もあります。
M-1グランプリ2023王者・令和ロマンの髙比良くるまがM-1と漫才を完全考察!
分析と考察を武器に、芸歴7年目の若手ながら賞レースをはじめ様々な分野で結果を残してきた令和ロマン。そんな令和ロマンのブレーン・髙比良くるまが、2015年から昨年のM-1、さらには2024年のM-1予想に至るまで、考えて考えて考え尽くした一冊。
「現状M-1に向けて考えられるすべてのこと、現在地から分かる漫才の景色、誰よりも自分のために整理させてほしい。頭でっかちに考えてここまで来てしまった人間だ。感覚でやってるフリをする方がカッコつけだと思うんだ」(本文より)
史上初のM-1二連覇を狙う著者が、新型コロナウイルス流行や、東西での言葉の違い、南北の異なる環境が漫才に与えた影響、昨今話題の「顔ファン論争」に漫才の世界進出まで、縦横無尽に分析していきます。著者の真骨頂“圧倒的マシンガントーク”は本書でも健在です。
この本が上梓されたのが2024年11月8日。2024年のM-1王者だった令和ロマンは、翌月に、前人未到のM-1連覇を成し遂げました。
「連覇を狙います」というのは、話題作りのために言っていただけだと僕は思い込んでいて、まさか本当に出てくるとは、そして、また優勝してしまうとは!
令和ロマン、M-1を制する2023年のM-1決勝前に、こんな記事を読んで、すごく印象に残っていたんですよね。
2023年も、「こんな受験勉強みたいなM-1対策を行う人たちも出てきているんだな」と感心はしたものの、決勝初出場で優勝してしまったのには驚かされました。
令和ロマンのネタはすごく面白かったし、優勝に異論はないのですが、このまま「お笑い(M-1)が「傾向と対策を突き詰めたもの勝ち」「学歴や偏差値がものを言う世界」になっていくのは、なんだか寂しいな、とも感じたのです。
実際は、令和ロマンだけがやっていることではなくて、南海キャンディーズの山里さんは、自著のなかで、M-1で勝てるひとつのネタをつくるために、ライブで少しずつ勝負ネタの内容や言い回し変えながらお客さんの反応を見て「実証実験」していたと書いておられます。
「M-1対策」は、令和ロマンに限らず、頂点をめざす出場者にとっては必要不可欠なものになってきているのかもしれません。
お正月になんとなく流れているテレビのお笑い番組を眺めていて、M-1のような「観る側も背筋が伸びてしまう、緊張感に満ちた笑い」だけが正義じゃないよな、とも感じていました。
この本では、令和ロマンの高比良くるまさんによる「漫才」「M-1」への過剰なまでのこだわりと、「M-1という競技漫才の歴史への考察」が書かれているのです。
サンドウィッチマンの『敗者復活』のような、熱いM-1制覇への物語が書かれているのかと思いきや、くるまさんは、「M-1歴史学者」として、観察者としての視点から、M-1でウケるには、高得点を出すには、を分析しつづけてきたのです。
それも、「M-1に勝って売れよう、稼ごう」みたいな野心はあまり感じられず、多くの芸人の命運を左右し、一夜にして人気者にしていった「M-1というイベントそのもの」が好きで、M-1について「研究」せずにはいられない、その分析結果が正しいことを証明するために、ついには自ら出場して優勝してしまった、ようにすら見えます。
2023年12月14日、2023年の「M-1グランプリ」決勝10日前、決勝に初めて進出した(そして、初優勝した)際のインタビューで高比良くるまさんは、こんな話をされています。
──現時点でネタ候補はどれくらい絞っているんですか?
序盤だったらフラットなネタ、そこまで爆発がないまま4〜6番手で出番が来た場合はちゃんとピークをつくれるようなパワー系、爆発が来て波が去った後だとエアポケットになりやすいから空気が重いことを前提にして確実なネタ……とかいろいろ考えて、とりあえず4本ぐらいに絞ってます。
今回、漫才コントの人が多いですよね。決勝を一つのライブとして盛り上げたい気持ちがある中で、同じスタイルのものはやっぱり見せたくないんです。漫才コントが続いた後ならそうじゃないネタをやった方がいいと思うし、さや香さんより先の出番になったら俺らがしゃべくりをやると全体のバランスがいいと思うし。そうすると漫才コント組としゃべくり組とシステム漫才組のバランスがなんとなく取れて、最終決戦も盛り上がるかなと。特に今年は敗者復活戦に芸人審査員が入ったから、トリッキーな人が上がってくる可能性が高いんじゃな以下と思ってるんです。そう考えると、俺らはもうちょっとちゃんとした感じで出てきてもいいな、とか。
M-1決勝進出者が「やる予定のネタ」として事前に番組側に提出しているものは、ほとんど1〜2本なのだそうです。
「とりあえず4本」、それも、順番やそれまでの演者のウケ具合や会場の雰囲気をみて、やるネタを決める、という令和ロマンは、かなり異質な存在だったのです。M-1の決勝でやれるような「勝負ネタ」は、どの出場者も徹底的にブラッシュアップしているはずで、これで負けたら悔いなし、というのをやってくるはずだ、と僕は思っていました。1本目と2本目(最終決戦)のどちらを重視するか、というのは、M-1決勝にある程度慣れた演者であれば、意識するのかもしれませんが。
高比良くるまさんは、M-1への情熱と愛着を、繰り返し語っておられます。
それも、「自分たち、令和ロマンが優勝すること」ではなく、自分たちが出場したM-1決勝を、(自分たちの成績の良し悪し以上に)過去最大の盛り上がりの大会にすることを目指している、と言い続けているのです。
(2023年のM-1決勝について)
たらればの話も、したらばの話も、しても仕方がないけれど、とにかく理想の決勝にはならなかったこと、そこで優勝してしまったことも事実で。そしてあの優勝の瞬間に、喜びよりも後悔が勝ってしまったことも事実だ。
来年こそいい大会にしたい、その想いから即座に「来年も出ます」という宣言がこぼれ落ちた。ボケだと流され、本当に出ると言い続けても「本当に出るの?」と聞かれ続ける(2024年)8月現在。とりあえず現状M-1に向けて考えられる全てのこと、現在地から分かる漫才の景色、誰よりも自分のために整理させて欲しい。考えるのは芸人らしくない!考えていたとしてもそれをひけらかすな! とタイタンの両手グー男に怒られてしまうだろうが、頭でっかちに考えてここまで来てしまった人間だ。感覚でやってるフリをする方がカッコつけだと思うんだ。
こっちは考えるほうが自然なの、「感じるな、考えろ」でやってんの。
M-1についてのくるまさんの言葉を追っていると、将棋の羽生善治さんや藤井聡太さんのことを思い出すのです。
羽生さんや藤井さんは、全タイトルを独占したことがあるほど強い棋士なのですが、取材での発言では、目先の勝ちやタイトルよりも「良い将棋を指したい」「後世に残る棋譜を生み出したい」としばしば口にされているのです。
くるまさんも、芸人、漫才師として自分が売れることよりも、お笑いとか漫才の世界全体を俯瞰して、自分が愛するこの「漫才」というものを、より発展させるために、自分を役立てたい、と考えているように感じます。
芸人さんの言葉なので、どこまでが真実なのだろうか、とも思うのですけど。
新しいものへの評価が高いことはいいことだ。いいことなんだけど、いつまでも漫才が直線的に進化するフェイズだと思ってしまうと、どこかで無理が出てくるんだよ。
「これは◯◯さんのやってたネタに近いんじゃないか」とか悩みすぎてネタを捨ててしまう後輩の話をよく聞く。もう漫才が完成している以上、ある程度似てくることは仕方がないことなのに。丸パクリはダメだよ、でも寄席の技法とか表現っていうのは受け継がれていくものだし、その上でそのコンビごとの姿形や生まれ育ちでしか出せない味が出てきて、それを「個性」と呼ぶというのに。
落語では、同じネタをさまざまな噺家が演じ、それぞれの個性をお客さんは楽しんでいるのです。
漫才も、M-1の競技としての先鋭化により、ある種の袋小路、あるいは歴史の繰り返しの段階になってきているのかもしれません。
それでもやはり、「M-1では、何か『新しいもの』を観ることができるのではないか」と期待してしまうのです。
この本には、霜降り明星の粗品さんとの対談も収録されています。
僕は粗品さんのギャンブラーっぷりや競馬ネタがけっこう好きだし、今の時代には珍しい「破滅型芸人」にみえるけれど、どこまでが本人の性格で、どこからが自己演出なのだろう?と思っているのです。
その粗品さんが、くるまさん相手に、かなり手の内を明かして「芸人としてやってきたこと、考えていること」を話しておられるのは、すごく意外でした。
粗品さんって、種明かしはしない人だと思っていたから。
粗品:千鳥のノブさんが「テレビはテレビマンの単独ライブにゲストで出てる感覚でおれよ」って言ってて、それはその通りやと思った。自分のエゴじゃなくて盛り上げに行くんが大事なんやな、って。ただ、正直、裏方におもろい人が1人もおらんかったんよ。芸人ってめっちゃおもろいやん。先輩も後輩も同期もおもろい奴山ほどおるのに、なんでスタッフってこんなおもんないんやろ? と思ってたな。放送作家も大嫌いやし。
くるま:粗品さん、作家がずっと嫌いですよね(笑)。
粗品さんは「そんなテレビ界でも、粗品さんと一緒に仕事したい、という人がちょっとだけいて、その人たちが出世するために俺を使ってくれるのは嬉しい」とも仰っています。
僕は正直、「自分にとって『面白い』とはなんだろう?」と考え込んでしまうところもあるのです。「好き」「嫌い」「楽しい」「つまらない」という感情は自分である程度わかっているつもりなのだけれど、「おもろい」って、難しい。
この『漫才過剰考察』は、高比良くるまワールドに満ち溢れていて、お笑いや芸人さんへの基礎知識があまりない僕にとっては「何のことだか、よくわからないところ」が少なからずありました。
M-1攻略法とか、「お笑いについての系統的な解説」を、わかりやすく読みたいのであれば、NON STYLEの石田明さんのこちらの本のほうが「万人向け」だと思います。
文字通り、高比良くるまさんによる「過剰な考察」をまとめた一冊で、令和ロマン、粗品さんが好きな人、そして、いまの「M-1を極めようとしている人たち」は、どんなことを考えているのか知りたい人は、ぜひ読んでみてください。
たぶん、この本を読んで「完璧に理解した!」と思える人って、くるまさん自身だけじゃないかな。だからこそ、興味深い本でもあります。