参考リンク:「ハングリーであれ。愚か者であれ」ジョブズ氏スピーチ全訳(日本経済新聞)
2005年6月にスタンフォード大学で行われたこのスピーチ。
今回、NHKの『クローズアップ現代』で、締めの部分を久しぶりに観たのですが、けっこう淡々と喋っていたのだな、と思いました。
以前観たときには、もっと力強かったような気がするのだけれど。
そういう記憶というのは、時間が経つと改変されるものなのかもしれません。
この”Stay hungry. Stay foolish.”って、ジョブズさんのオリジナルではなく、「The Whole Earth Catalogue」という本からの引用なのです。
とはいえ、これは「ジョブズの言葉」として、語り継がれていくことになるのでしょう。
しかし、僕はこの”Stay hungry. Stay foolish.”が、「ハングリーであれ、愚か(者)であれ」って日本語に訳されていることに、違和感があるのです。
いや、「ハングリー」は構わないですよ、そもそも訳してないし(って、この「ハングリー」って、日本語にすると、どうなるのでしょうか、「空腹」じゃなくて、「貪欲」くらいになるのかな。でも、それも微妙に違うような……)。
でも、foolishが「愚か」っていうのは、確かに「忠実な訳」ではあるけれど、なんだか納得できない。
そもそも、この場合の”foolish”は、単なる「愚か」じゃないと思うんですよ。
僕がこの言葉を聴いて思い出すのが、アントニオ猪木の座右の銘「馬鹿になれ」。
この馬鹿は、「愚か」を超えた、底知れないものというか、他人のモノサシで測ることができないもの、っていうニュアンスだと僕は解釈しています。
ジョブズという人の「先見性」と「他者への厳しさ」を知るにつれ、僕は蝶野正洋が言ったとされている、
アントニオ猪木は太陽だ。遠くから仰ぎ見ると美しくて暖かいが、側にいると焼け死んでしまう。
という言葉を思い出します。
『スティーブ・ジョブズ 神の交渉力』(竹内一正著・リュウ・ブックスアステ新書)という本には、こんなジョブズのエピソードが紹介されています。
ジョブズは、自分が認めるプロジェクトや人間のためには、社内の他部門から平気で予算をぶんどる。技術者が足りなければ別プロジェクトからかっさらってくる。最高の条件で最高のメンバーが最高の結果を出すようにしていった。
だから、こんなこともある。
別プロジェクトからジョブズのチームに異動が決まった技術者が、ジョブズたちの建物に引っ越そうと、机のまわりを整理していた。するとジョブズがやってくるなり、いきなりパソコンの電源を引っこ抜いた。そしてパソコンと本人をクルマに乗せて職場から連行していった。開発スケジュールが迫っていたのだ。
アップルの成長は、「だからジョブズと働きたいんだ」と思う才能豊かな連中とジョブズとの相互引力が成し遂げていたといえる。
反対にジョブズは、才能や貢献を認めていない人物が口答えでもしようものなら、導火線なしのダイナマイトとなる。期待に応えられない場合も悲惨な結果が待ち受ける。
能力がなくて首になるのであればまだましだった。なんでもないささいなことで逆鱗にふれ、社史からも名前を消された人間がいる。
ピクサーの創業メンバーであるCGの魔術師アルビー・レイ・スミスだ。
スタンフォード大学でコンピュータサイエンスの博士号を収得したアルビーは、CGを使って観客に感動を与える長編フルアニメづくりの夢を求めてピクサーの創業に関わった中心人物だ。それが、ある会議でジョブズに反論したために、ピクサーを離れることになったばかりではなく、社史からも消されることになった。
理由は実にささいなことだ。
なんとホワイトボードが原因だった。
ジョブズは、もともとアルビーの批判には比較的素直に耳を傾けていた。ときには指摘を検討することもあった。パソコンビジネスでは経験も才能も他を圧倒していたジョブズも、映画制作では素人だった。CG制作の経験豊富なアルビーの意見は十分聞くに値した。
ところが、ある会議の席上、いつものようにジョブズが会議室でホワイトボードに書きながら話をしているところに、アルビーが割って入った。そこまではよかった。だが、アルビーがホワイトボードのところに行き、意見を説明しながらボードに書き込もうとしたのが致命傷となった。
とたんにジョブズが爆発した。ヒステリックに叫び、アルビーをさげすみ愚弄する言葉を投げつけると、部屋を飛び出していった。
ジョブズは基本的にマイクロ・マネジメントを行う。現場のこまかい点にまでくちばしを突っ込んで、担当者レベルの些事までコントロールしたがる。といって、ホワイトボードへの猛烈な執着は不可解だ。
ジョブズには、「自分の」ホワイトボードに「自分以外の」アルビーが書き込むという行為が許せなかったらしい。ホワイトボードのどこに、そんなにこだわる価値があるのか。
その答えは、世界中でジョブズただ一人しか知らない。
ともあれアルビーは辞表を提出し、ピクサーは重要な人材を失うこととなった。
しかしジョブズは、まだ気に入らなかった。ピクサーの歴史まで変えようと行動した。スピーチやインタビューからも、ピクサーのウェブサイトからもアルビー・レイ・スミスという名前を抹殺した。ピクサーをCGの先頭を走る企業とするために、何年も尽くしてきた人物だというのにである。
ジョブズは太陽のようなものかもしれない。距離を置いていると暖かく心地よい。しかし近づきすぎると灼熱のエネルギーーで燃やし尽くされて滅ぶ。
巨大イベントで、ジョブズはハリウッドスターのように何千人もの観衆を魅了するが、会議室では、怒鳴り、服従させて指示を出す。ジョブズのエネルギーは、半径10メートル以上離れている人々を熱狂させ、半径5メートル以内の人々を恐怖に陥れる。
おお、この本にも「ジョブズは太陽」という例えが!
しかし、大人の行動としては、これこそ文字通りの”foolish”ではありますよね。
アップルストアでジョブズに献花した人で、ジョブズの下で働くことに耐えられるのは、何人くらいだろうか……
もちろん、僕にはとうてい無理です。
ただ、こういう人だからこそ、「世界を変えられた」のも事実なのでしょう。
日本史でいえば、織田信長タイプ。
僕が『クローズアップ現代』を観ていて驚いたのは、ジョブズはお金儲けがしたいとか、有名になりたいとか、大きな会社をつくりたいというような「わかりやすい欲望」のためにではなく、「テクノロジーの力で、世界を変えられる」と信じてアップルを率いていたということでした。
「誰もがパソコンを通じて情報にアクセスできる、公正な社会をつくりたい」
ジョブズにとってのアップル2やMacintoshやiPhoneは、マルクスにとっての『資本論』みたいなものだったのかもしれません。
パソコンとインターネットによって、世界の人々の「情報格差」は、かなり小さくなりました。
世界のなかには、まだネットワークが行き渡っていない貧困地帯がたくさんあるのだとしても。
そして、「インターネットを介して、誰もが自分の感情を表現する世界をつくる」ことを目指していたジョブズは、結果的に、不用意に感情をネットであらわにすれば、「炎上」してしまう世界をつくってしまったのかもしれないけれど。
ジョブズは「革命家」だったのです。
ジョブズはガジェットを売りたかったのではなくて、世界を変えたかった。
そういう意味では、iPhone4Sの発売日に群がる人たちを、ジョブズは意外と冷淡に観ているのかもしれません。
「iPhoneはあくまでも『ツール』でしかないのにね」って。
写真の画素が細かくなっても録るものが無い人には意味がなく、通信速度が速くなっても(4Sが「速い」かどうか、僕は知らないんですが)、伝えたいものを持たない人にとっては、3GSも4Sも同じこと。
まあ、新しいガジェットって、持っているだけで楽しいし、僕もいま使っている『4』から『4S』に乗り換えたくてしょうがないんですけどね。
でも、いま機種変更すると、「手放した『4』と、新しい『4S』のローンを払い続ける」ことになってしまうので、なんとか「自重」しています。
なんかすごく脱線してしまったけれども、僕は”Stay foolish.”が「愚か(者)であれ」と訳されているのを、素直に受け入れるような人間にはなりたくないな、とは思っているのです。
そうそう、なんでこのエントリを書き始めたかというと、今日読んでいた、伊集院静さんと西原理恵子さんの『なんでもありか』って本のなかで、西原さんが、こんなマンガを描いていたんですよ。
大阪のバスに乗ったら運転手さんの名札の下に
「5人の子供を養うため今日もしっかり働きます!!」ってあった。
はいがんばって下さい。
私も働きますです。
ジョブズはもちろんすごくカッコいいんだけど、この運転手さんもカッコいいな、と僕は思ったんですよ。
みんながジョブズの真似をする必要はない(したくてもできないだろうけど)。
人それぞれの”Stay foolish.”があっていいんだよね、きっと。