琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

昨日、子供が生まれた。


昨日、子供が生まれた。

妻の妊娠をはじめて聞いたときには、正直「あと1年くらい(子供ができるのが)遅かったらよかったのに……」と思ったのだ。
たぶん、子供ができなかったら、ずっと同じことを思い続けていたのだろうけど。

初産で予定日まであと1か月近くあったので、そろそろ名前の候補でも挙げておかなくっちゃな、と考えていたところに、いきなり「破水した」との連絡があり、仕事を終えて産科の病院に着いたときには、もう子供は生まれていた。

保育器に入っているのを外から覗くだけ、というのを予想していたのだが、小さな小さな赤ちゃんは、母親の横で寝るでも起きるでもなく、右手で何かを握ろうとしたり、半分泣きかけたところで考え直したかのように泣くのをやめて半分だけ目を開けたりしていた。

正直、僕は自分に子供ができるのが怖かった。
このエントリで以前書いたように、僕は自分の親、とくに父親の愛情をうまく受け止め、解釈することができなかったし、「子供の世話をするために自分の時間が奪われてしまう」ということについても抵抗があった。
「子供を風呂に入れる時間があったら、ブログのエントリをひとつ書きたい」とか、「休日に子供と遊ぶ時間があったら、好きな映画の1本でも観たい」とか考えてしまう人間は、あまり人間の親になるのに向いていないのではないか。
自分の子供は、僕が父親を見ていたように僕のことを見るはずで、それはとても僕にとって居心地の悪い体験だと予想できたし。


何かスッキリとした表情で横になっている妻の横で、おそるおそる赤ちゃんを抱えてみた。
「ああ、僕の子だ!」とか「世界中に知らせたい!」というような高揚感はなかったけれど、その小ささ、柔らかさに触れながら、僕はいろんなことを考えた。

「生まれた」といっても、無から生じたわけではなく、昨日まで母親の子宮の中に存在していたものが、こうして直接見えるようになっただけだ。
でも、この子は、こうして生まれてしまった以上、しばらくのあいだ、誰かが構ってやらないと、間違いなく失われてしまう存在になってしまった。
そして、この子を「生かすために構ってあげる」のは、僕たちの責任なのだ。

こんな時代に生んでしまったことに対して、僕は息子に申し訳ないな、とも思っている。
生まれてこなければ、「もう死んでしまいたい」なんて感じないし、「生んでくれなんて頼んでないよ!」なんて考えたりしなくてすむのだから。
僕もいつか、こいつにそうやって罵倒される日が来るんだろうな、そして、「親父は子供の気持ちなんてわかってない!」と嫌われる。
そんな切実なものじゃなくても、「どうしてうちの父親福山雅治じゃないんだ?」と嘆く日だってあるだろう。

ただ、赤ちゃんを抱きながら、僕にひとつだけわかったことがある。
それは、僕が生まれた日に、父親も同じように喜び、ホッとしながら困惑していたのだろうな、ということだ。
そして、僕の両親は、こんな小さくて弱い生き物を生きながらえさせ、自分の足で立てるようになるまで、懸命に支えてきたのだ。

少なくとも、僕が生まれた日、こうして僕を抱きかかえていた両親は、間違いなく僕を大事にしてくれていたのだ。
僕は「自分の子供が生まれてきたこと」の喜びというより、「自分がこんなにも親に愛されていたこと」を感じながら、息子を抱えていた。
この子にとっては迷惑千万な話なのだろうし、われながら自己愛の強さに辟易するのだが、ずっとわからなかった「自分の父親の気持ち」が、ほんの少しでもわかったような気がする。

父親という存在が、自分の子供についてどういうふうに考えるものなのか」を実感できたというのは、僕にとっては、すごく新鮮な体験だった。
「盲目的に子供がかわいい」というよりも、「ああ、父親というのは、こういうふうに自分の子供を見ている」という「自分のいままで体験したことのない感情の引き出し」を開けることができたような。

重松清さんが、『流星ワゴン』の「文庫版あとがき」で、こんなことを書いておられた。

 「父親」になっていたから書けたんだろうな、と思う自作はいくつかある。『流星ワゴン』もその一つ――というより、これは、「父親」になっていなければ書けなかった。そして、「父親」でありながら、「息子」でもある、そんな時期にこそ書いておきたかった。
 ぼくは28歳で「父親」になった。5年後、二人目の子どもが生まれた。二人とも女の子である。
 その頃から思い出話をすることが急に増えた。忘れかけていた少年時代の出来事が次々によみがえってきた。身も蓋もない言い方をしてしまえば、それがオヤジになってしまったということなのかもしれないが、ちょっとだけキザに言わせてもらえれば、「父親」になってから時間が重層的に流れはじめたのだ。
 5歳の次女を見ていると、長女が5歳だった頃を思いだし、その頃の自分のことも思いだす。さらにぼく自身の5歳の頃の記憶がよみがえり、当時のぼくの父親の姿も浮かんでくる。
「子を持って知る親の恩」なんてカッコいいもんじゃない。愛憎の「憎」の部分が際立ってしまうことのほうが多かったりもする。記憶から捨て去ったつもりでいた過去の自分に再会して、赤面したり、頭を抱え込んでしまったりすることだって、ある。
 でも、親になったおかげで、子どもの頃の自分との距離がうんと近くなった。その頃の父親の姿がくっきりとしてきて、当時はわからなかった父親の思いが少しずつ伝わってくるようにもなった。そのことを、ぼくは幸せだと思っている。

自分が「父親」になってみて、ここに書いてあることの意味がようやく少しわかったような気がする。
僕は生まれたばかりの小さな息子に出会うことによって、生まれたばかりの自分と、その場面の父親のことを「思い出す」ことができたのだ。
この子が勉強せずにゲームばかりやっていたり、体育があるからと学校に行くのを嫌がったりするたびに(もちろん、そうならないほうがいいに決まってはいるんだけどね)、僕は「あの頃の自分」のことを思い出すことができるし、そういう自分の姿を親がどう見ていたかを体験することができるだろう。

ものすごく自分勝手な考えだけれども、僕は「子供を育てること」そのものよりも、「子供と一緒に過ごすことによって、自分の人生をもう一度体験できること」が、けっこう楽しみになってきた。
もちろん、「子供ができたら、子供のための人生」になってしまうような不安は、いまでもある。
でも、「子供がいること」を「自分の人生」が満たされないことの言い訳にしたくはない。

スティーブ・ジョブズが、ある雑誌のインタビューで、こんなことを言っていた。

やりがいというのは、会社をつくったり、株式を公開したときにだけ感じるものではないんだ。

 創業は親になることと同じような経験だ。子供が生まれたときはそりゃあメチャメチャうれしい。でも、親としての本当の喜びは、自分の子供とともに人生を歩み、その成長を助けることだと思う。

 ネットブームを見て問題だと思うことは、会社を始める人が多すぎるということじゃなくて、途中でやめてしまう人が多すぎることなんだ。会社経営では、ときには従業員を解雇しなければいけなかったり、つらいことも多い、それはわかるよ。でも、そんなときこそ、自分が何者で、自分の価値がなんであるかがわかるんだ。

 会社を去れば、大金が転がり込むかもしれない。だけど、ひょっとしたら自分の人生でもっと価値あるすばらしい経験をする機会を放棄してたのかもしれないんだ。

子供を育てるために、失うものはたくさんあるだろう。
でも、僕自身が「得られるもの」もたくさんあるはずだ。
子供のためじゃなく、僕自身のために、これから妻と息子とともに生きて、いろんなことを体験して、一緒に成長していこうと思う。

僕は子供の顔をみながら、正直、ちょっとだけ嫉妬した。
お前はたぶん、僕が見ることのできない「未来」を体験することができて、「お父さんにもこれを見せてやりたかったなあ」なんて、いつか言うのだろうな、って。
そして、いままで「自分が死ぬくらいまで、世界が平和であってほしい」と願っていた「平和希望期間」を、30年ほど延長することにした。



親バカな話に、ここまでつきあってくれて、ありがとうございました。

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